はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『西河内』を参照していただくようお願いいたします。 2015. 5.31. 日曜日 晴れ 気温 あったか
2008年に 今回と同様に奥の院コースで後山の山頂へ行ったことがあるのですが、そのときの コースはキャンプ場がスタートだったので 下山コースは船木山からキャンプ場へ下るコースでした。 次回登ることがあれば山頂から岡山と兵庫の県境を下って上乢まで行ってみたい。 それがようやく7年後の今日かなうこととなる。
志引峠を越えて岡山県に入る。名前はわからないがいつも
利用する舗装林道で山腹を走ると奥の院への入り口がある。少し走ると獣よけのゲート。
それを抜けると二股分岐。右は上乢から下山に利用する林道なので、左(正面)を少し登ると広い駐車場があった。
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奥の院駐車場 | ロープが張られた参道はパス |
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当然というか、我々以外一台の車も無い。 準備をして9時45分スタート。参道入り口には四十丁と彫られた町石があって、正面に舗装路、 右に古い参道らしき道がある。当然道を選択すべきだがロープが張られているのでひょっとしたら 奥で道が危うくなっているのかも。で、舗装路を行く。
この舗装路から右下に先ほどの参道が見える。見た限りは歩けそうだったので、あっちを
歩けばよかったかも。
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三十三丁にあるお堂 | キャンプ場との分岐『A』 |
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三十三丁の丁石と地蔵菩薩の石仏を祀ったお堂を過ぎると林道ほどの幅があった道が シングルトラックになる。すぐにキャンプ場との分岐。前回使ったコースです。 ここからはまさに谷沿いの細い道となり、等間隔?で丁石もある。 |
謎の行者山遊歩道 | 男子垢離取場 |
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入峰橋を渡ると立派な桂の木があってその先が分岐となっている。 割れてしまっているが『行者山遊歩道』という看板が右に向かって案内している。 この遊歩道を歩いた人はいるのだろうか?ここに来る人のほとんどは奥の院へ行くであろうから この寄り道をする人は皆無だろうと思う。この道がどこに行くのか誰かのレポートを期待したい。
本来ならば垢離取場で身を清めてから進むべきなのだろうが、日頃から潔斎しているので
そのまま前進。建屋の壁にはこんな神文が書かれていた。『吉野なる 染山の奥の石清水 この世のあかを 洗い去りとる』
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母御堂に到着 | 中にある石仏と仏像 |
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母御堂には10時10分(後で調べると前回のタイムチャートとほぼ同じ)。 もとから無いのか正面は開けっ放しで奥に安置されている石仏、仏像が丸見え状態。 真っ赤な不動像を中心に、一番左が玉依御前(だと思う)、地蔵菩薩、愛染明王、不動明王、役行者の石仏が置かれていた。
そして、吉野大峯同様にここより女人禁制となり、この先よりいっそう険しい道となる。
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東山行場との分岐 | かわいらしい行者様 |
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それまで左岸を歩いていたのだが右岸に渡った所で蔵王権現の石仏がある(前回のレポートを参照して ください)そして十三丁でまたもや分岐となる。前回のレポートにもある『なかめ石』というのも 謎のままだが、東山行場というのもどんな所だろう。TQFさんはこちらへ行こうと言うが、そうすると 奥の院へ行けなくなってしまう。このコースはいずれ行者道の途中にある覗きの岩場で合流する(『F』地点)。
ここにはかわいらしい行者の石仏もある。年号はわからないが寄進したのは『但馬大屋講中』とある。
筏村と大杉村(いずれも現大屋町)の村名もある。そこから奥の院となると若杉峠で道谷村に出て、
現29号線を南下、波賀から鳥ヶ乢を経て千種町、さらに志引峠(あるいは上乢)を通過するコースとなる。
こういうルートを想像するって楽しいよね。
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奥の院の石垣が見えた | 前回はここをよじ登った |
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別途添付の地図を見てもらったらわかるが、現ルートは奥の院手前から左の斜面を登るようになっている。 ところが旧ルートはそのまま谷を登るように示されている。実際そこには谷に入らないように ロープが張られていた。道崩れかなにかがあったので参道が付け替えられたのかも。 |
本堂に到着 | 護摩壇上にある石碑を見る |
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見事な石垣をぐるーっと回り込んで正規コースで本堂に到着。10時50分。 麓にある道仙寺はもともとここにあったわけで、それが今では奥の院として 修験の要地となっている。 このお堂がいつ頃のもので、何が祀られているのか知りたいがやはり道仙寺に行かないとね。
本堂の横手に護摩炊きをする場所があるのだがその上にある石碑を見に行く。
それは明治時代のもので『入峰〇〇回』と彫られた供養塔だった。これも
養父郡のもの。
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たくさんの入峰記念碑 | 籠り堂の中 |
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たくさんの入峰記念碑があるので、ひょっとして建屋餅耕地の朝日さんの名前がないかと 目を凝らす。但馬は民間の修験道信仰の厚いところで、朝日さんは餅耕地から奥の院までの 道中の詳細を記録されている。私のレポート 長野・佐中の三峠の中で ちょっと触れています。 残念ながら餅耕地とか朝日さんの名前はなかったが春名政之進という名前を見つける。 この人は美作壬生の人だが養父の石碑に刻まれた名前のうちの一人だった。 これから行く行者道の途中に愛宕の洞窟があるのだがその中にある将軍地蔵にも この人の名前がある(前回のレポートにあります)。よほど有名な先達だったのだろう。
この人の名前のある
将軍地蔵には『慶応二寅年(1866)九月七日』の年号があり、入峰二百三度の祈念碑には明治元年(1868)の年号がある。
江戸時代はともかく、明治元年といえば明治政府による神仏分離令が発布され、まさに廃仏毀釈の年ともいえる。
修験道は明治五年に修験禁止令されてしまう。大先達の春名さんは激動の時代に活躍していたわけだ。
国から禁止されたものの明治の中期の石碑もあることからしぶとく生き残っていたことになる。
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岩を下る(足下に石碑あり) | 落ちるとどうなる? |
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籠り堂の裏手にはコウモリ穴があってそこにも石仏が祀られている。前回はコウモリの団体とその糞で出来た 小山があってなんとも不気味だったが今では数匹がいるだけだった。 コウモリ穴を出て、いよいよ行者道で山頂へ向かう。
斜面を登っていき、岩の裂け目にある不動明王、前述の愛宕の洞窟をクリアーして前進。ここまでは
明確な記憶あり。その先からはTQFさんと「こんな所通ったかなあ?」を連発しながら進む。
岩を下る途中に前回見つけられなかった石碑を発見したものの文字は読めなかった。
が、これがあるということは昔からここが行者道だった証しだ。
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大岩を超えて | よじ登る |
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ずーっと山腹を巻いている。GPSの表示を見るとほとんど平行のようだが実際は細かな アップダウンが連続する。雨後の笹は滑りやすくて(実際何度か滑る)下手すると 数十メートルの滑落というような箇所もある。 あまりにおなかも減ってきたので登山道に出る手前にある覗きの岩場で食事にしようと話す。 |
最後の分岐にある標石 | 覗きで食事 |
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標石ポイントに到着。前回この石の表面にあると思われる文字はまったく読めなかったが、 今回目を凝らすと『ごん』というひらがなが明確に浮かび上がってきた。 どう考えても『権現』の『ごん』であろう。さて、時間は 12時25分。ここから左に登れば県境尾根にある登山道に出る。覗きはすぐ右側にあるので そこで食事をする。 |
覗きの横にも石碑があった | 覗きから見える奥の院 |
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この覗きから参道途中にあった『東山行場』の分岐に降りることが出来る。 さらにここにもなにやら文字のある石碑があった。残念なことに判読は不能だったが これらの石碑があることからこの行者道の歴史はいかほど(数百年?)のものかと 想像が膨らむ。
ここから奥の院を見ているとその方向から大きな声が聞こえてくる。
我々以外にも奥の院に来た人がいるようで驚く。
こちらも大声で
それに応えるが聞こえているだろうか?
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登山道に出る手前の激やぶ | 山頂着 |
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食後、頂上へ向かう。『ごん』の石碑からしばらくは良いのだが、登山道手前数十mは激ヤブなのです。 ようよう抜け出して登山道に出た。タイミング良くハイカーがいれば とんでもない所から出た我々に驚くこと間違いなし。
頂上には13時15分。単独ハイカーが一人いた。しばらく休憩していると夫婦連れと、その後
若い男の子グループがやってきた。いずれもキャンプ場から舟木山経由。
「さっき大声出してたのは君らか?」と聞くとそうだという。てっきり奥の院から聞こえてたと
思ったのは舟木山コースのようだった。
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県境尾根を下る(ここはまだ登山道) | ここからは登山道ではありません |
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20分ほどで下山開始。行者コースへの分岐、奥の院が見下ろせる岩、一般コース(笛石山)への分岐、 いずれも兵庫側の登山口への分岐をクリアするとここからは初めてのコースだ。 |
更紗満天星 | 紅満天星 |
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県境尾根 | 一カ所岩場あり |
足下はエゴの絨毯 | 下りきると上乢 |
「これ、駐車場まで帰ると遅くなるで〜」とTQFさん。岩場で14時25分。 939.8mにある四等三角点からダイレクトに西へ下ろうかとも言うが上乢がどんな所か 見てみたいのでそれはパス。
ミスコースしたところぐらいから作業道が見え隠れしてくる。
それらを無視して到着した上乢は15時05分。石仏等があるかと期待したが
植林の鞍部には何もなかった。ここから作業道が西に向かってある。それを利用。
奥の院駐車場には15時30分。帰宅後確認するとこの駐車場からも後山の頂上が見えるようだ。 逆に山頂から双眼鏡で駐車場を探せばよかった。 帰りに429号線沿いにある石仏を見る。ちょうどこの付近から上乢への古道があるらしい。 ひょっとしたら上乢から降ろされたものかも。
今回の後山(道仙寺奥の院コース)の地図は
こちら(約90k)
でごらんください。 |