後山(道仙寺奥の院コース)

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『西河内』を参照していただくようお願いいたします。

2008. 8.10.  日曜日  晴れ  気温蒸し暑い
最近にあって、これだけ別名のある山も珍しいだろう。 後山が一番ポピュラーな呼び名だが、兵庫側では板馬見(板葉見)山、教霊山。 岡山県側では行者山、後山、道仙寺山などの呼び名となる。 そもそも後山というのも、その南にある日名倉山(前山)に対しての後山、あるいは 奈良の大峰(前山)に対しての西の大峰(後山)などの諸説があって おもしろい。

それもこれもこの山が役行者を祀る修験の山だからだ。今回は未だに女人禁制を守っている道仙寺奥の院を 通過して山頂に至るコースを試してみる。当然だが単独ではなく、私を役行者と見立ててTQFさん、OAPさんの 二人を前鬼、後鬼とした修験体験記とする?

現在は美作市となっている旧東粟倉村の後山キャンプ場をスタートゴールにする。 広い駐車場には先客の車が一台あるが、きっと舟木山の登山道で登っているのだろう。 我々のコースはよほどの物好きしか利用しないと思う。 準備を済ませて9時半スタート。
後山キャンプ場サイトの奥に道あり

駐車場より一段高いサイトの奥に『行者山参道』という標識が草に埋もれかけている。 そこが入り口。
モミジが多くて秋が楽しみ小滝とお堂がある

道はしっかりしており、その左右には整備時に植えられたと思うモミジの緑が映えていた。 すぐにお堂が現れる。横手には小滝もありそこから黒いホースがキャンプ場へ延びている。 サイトの蛇口からきれいな水が出ていたのはここからの給水だったようだ。 お堂には中央に不動明王、左に蔵王権現、右に役行者と三役がそろっている。

ほとんどアップダウンもなくわずかの距離で奥の院の正規の参道と出会う。9時55分。そこには 『三十一丁』の丁石が立てかけられていた。頭の部分には『馬頭観音』の種子が彫られている (その後現れる丁石の種子はその都度違っていた)。丁石の距離を見て 「まだ三十一丁(3km以上)もあるんか!!」と叫ぶ。地形図から考えてもそれはおかしいんだが・・・。
入峰橋垢離取場

ほんらい100mおきにあるはずの丁石はその半分ほどの距離で設置されているようだった。 ホッと一安心。先ほどの出合いから3分で『入峰橋』、立派なカツラの木が出迎えてくれる。 右に分岐があって『行者山遊歩道入り口』とある。これをたどっても奥の院へ行けるのだろうか? それともこの周辺を散策するだけなのか?とりあえず正面の参道を行くべし。

大岩にもたれかけるようにあるのが『垢離取場』だ。行者達は横にある水場で身体を清めて本堂へ 行くのだろう。頭上には不動の石仏が我々を見下ろしている。
母御堂ニューハーフは通過可能?

いよいよ核心部に近づいてきた。『母御堂』だ。10時07分。先には『是より女人禁制』の結界門が 見えている。お堂の中はきれいに掃き清められており多くの仏像が飾られている。 中でも気になったのは一番左にある婦人の像。これは『母御堂』の名前の由来になった 弘法大師の母親、玉依御前ではないかと想像する。中央にはなんと愛染明王の石仏もあった。 やはり女性は愛欲の煩悩から逃れがたいということからだろうか。
出た!蔵王権現

参道はひどくガレているが行者はここをわらじで歩くのだろうか? 所々岩場にはチェーンがぶら下がっていて、これも行場の一つかと思ったりする。 次々と現れる丁石には年号の彫られているものもあり、『嘉永五年子(1852)』と読める。

しばらく左岸を歩いていたが、右岸渡ったところですばらしい石仏に出会う。 修験の象徴でもある蔵王権現だ。割れたり欠けたりしている箇所もあるが 今にも動き出しそうな力強い像だ。『文化六巳年(1809)』の銘がある。

役行者が大峰で修行をしていて、この末世にふさわしい仏の出現を念じていると、 まず釈迦が現れた。しかし、役行者はこの地にふさわしくないと辞退願う。 次に現れたのが千手千眼観音菩薩、これも却下。さらに現れた弥勒菩薩にもお帰り願う始末。 「もっと強い仏はないんかい!」と最後に現れたのがこの蔵王権現で役行者も大喜び。

以後この蔵王権現が修験の仏として活躍するのだが、本来インドのヴィシュヌ神を起源にする 仏がほとんどの中、蔵王は日本オリジナルの仏というのが興味深い(何を元にあの姿を考えたんやろか?)。 さらにこの逸話も多種多様のバージョンがあって、今回紹介したのは 『金峰山秘密伝(1337年)』からの引用で、釈迦(過去)、観音(現在)、弥勒(未来)を 表していると言われています。
おもしろい文字塔

十三丁付近でおもしろい文字塔を見つける。『にかめ石』あるいは『こかめ石』としか 読めないのだが、太子町のIさんから「奈(な)」のくずし文字で『なかめ石』、 左は『東山行場』と教えてもらった。

さらに『右 東山道 左 御本社』という道標もあった。この時点ではわからなかったが 後で東山道に合流することとなる。さてさて、次は何が出てくるのか。 参道はやがて谷から離れて(地形図ではずっと谷に沿っているが)山腹をジグザグと 上り詰めると正面にどえらい石垣が現れる。10時48分。
ショートカットする奥の院本堂

すごい石垣です。どれだけの労力で造られたものなのか。現在のように重機も無いしねえ。 麓の道仙寺が13世紀に建てられたといいますから、それ以降(15世紀ぐらい?)だとしても 600年か!!

本堂もすごい。後ろには今にも崩れ落ちてきそうな大岩がそびえ立ち。 本堂はそれにくっつくように建っている。ひょっとしたら道仙寺以前から この磐座をご神体とした何かがあったのではと考えたくなる。とにかく三人ともヘロヘロなので ここでしばし休憩。

本堂から眺めると後山頂上から南に派生する岡山・兵庫の県境尾根が真っ正面だ。 その近くに断崖の岩場が見える。「あれも行場の一つやろねえ。でもあそこには行きたくないなあ・・・」と 話をするが、後でわかるが実はそこもルートでした。(>_<) 休憩も終わって11時10分スタート。
こうもり穴最初の谷奥に洞窟あり

本堂から社務所方向に移動する。社務所の中にはきたない布団が積み上げられている。 ぐるっと回り込むと大岩が左右から倒れかけて窟を形成している。中には何があるんやろ? 見ると石を組み上げた祭壇状のものかあり上には石仏も見えた。だが、近寄りがたい。 というのも100匹にならんとするコウモリが周囲を飛び回っているのだ。 足元には小山になった糞がある。臭いし早々に退散。

さて、後山の山頂まで行ける道(行場道)はどこだろうとさがしていると、 黒いホースが目に付いた。それに沿って細い踏み跡が続いているし、テープもぶら下がっている。 ホースとはすぐに離れて、さらに進むと最初の谷に出る。テープはすぐ対岸に見えたが (写真の白矢印方向)、さらに上には洞窟があった。当然そちらへ寄り道する。

洞窟というより岩の裂け目というものだったが、ちゃんと最上部の岩棚には 石仏が祀られていた。滑りそうで近寄れなかったがたぶん不動明王だと思う。 そのまま山腹をちょいトラして行場道に復帰する。手足四輪でよじ登るような箇所もある。 えいやっと登り切ると、そこにも岩窟が。11時30分。
またまた岩窟が出ました勝軍地蔵

手堀なのか、はたまた自然の穴なのか、えぐり取ったような感じで奥行きはさほどない。 手前には弘法大師の石仏、奥の岩棚には見たことのない石仏がいた。 それは馬に乗っていて鎧甲に身を包んでいる。左手の持物がちょっと割れていて わかりにくかったが、家に帰って調べてみるとそれは勝軍地蔵だった。 『慶応二寅年(1866)九月七日』『願主壬生村先達春名政之進』と銘がある。

勝軍地蔵とは愛宕権現のことで、火伏せの仏として知られている。 愛宕と修験とは一見無関係のように思えるが、京都の愛宕山といえば太郎坊という天狗が いたとされていて、その天狗は修験者のイメージから生まれたものです。 さらに修験の護摩焚きは火祭りの一種でこれまた愛宕とは無関係とは言えません。
難路は続くよどこまでも〜♪

寄り道が多すぎてなかなか前進ができませんでした。いよいよ山頂へ向かいます。 といってもルートは山腹を大きくトラバースしていて、後山山頂との距離は まったく縮まりません。行場道は普通に歩ける所はほとんど無く、片足だけが かろうじて乗るような箇所がほどんどです。
本堂が見えました落ちる〜!!

このままトラバースが続くならどこかで本堂が見えるはず。そう思っていると 木々のあいだからわずかに見える箇所に来た。あれだけ歩いたのにここからの 直線距離は短いようで力が抜けそうになる。 この辺りから下ったと思ったと思ったらよじ登りがあったりと、なかなか手強くなる。
判読不可能いよいよヤブ?

ちょっとわかりにくい(テープはある)笹藪をくぐり抜けて斜面をプチトラすると目の前に 石柱があった。なにやら書かれているがまったく判読不可能。というより、なんでこんな所に あるのかそのことが感動ものだ。この石柱から左に折れると激斜面+チシマ笹のヤブが始まる。 右に折れると谷にあった東山道の道標に出るはず。そしてここが本堂から見えた断崖の覗きの行場でもあった。

当然だがここからも本堂がよく見えるが、ここから見てもよくあんな場所に建てたなあと 感心する。行者達もこの行場を周回するだけでなく山頂の祠へ参ったはずだ。我々もその後を追う。
登山道に出ました山頂着

最初こそ人がくぐれるような空間のあったチシマ笹ヤブだったが、最後の10mほどは かき分け、かき分けて、1mに1分かかるほどの激ヤブだった。 そして登山道に飛び出る。12時50分。

行場道への入り口はテープこそあるもののわかりにくい。あの20mを 少しだけでも刈り込んでくれたら楽なのにと言うと、OAPさんは 「わかりやすくすると迷い込んで遭難するハイカーが出てくるからだめなんや」と言う。 なるほどその通りだ。ハイウエーのように快適な登山道を上り詰めると後山山頂だ。12時58分。 標高1344.6m、二等三角点。

着いたとたんに雷鳴が聞こえた。氷ノ山方向は深くガスがかかっている。 今日氷ノ山に登っているたぬきさんのお二人と、同じく布滝を沢登りしている矢問さんはもう下山したの だろうか。無線でコールしてみるも応答なし。我々も早々に食事を終える必要がある。 私以外の二人はアルコールの給油に余念がない。

山頂にある祠を調べてみる。祠は朽ちかけており、腐り落ちた穴からも風雨が入っているのだろう、 中には木っ端などのゴミでぐちゃぐちゃだ。その中に木札が三枚、中央が『本尊高祖神変大菩薩(役行者のこと)』 左右に『金剛蔵王大権現』『大日大聖不動明王』と三尊がそろっていた。
舟木山へ下山コースへ

13時35分下山開始。下山コースは舟木山登山道でキャンプ場まで戻る。 途中の尾根ではチシマ笹の背丈の低い箇所があって、南方向に大展望が広がる。 午前中の苦労がうそのように快適に歩けます。舟木山の手前では左手に 鍋ヶ谷林道から登ってくる登山道とも合流してます。舟木山(標高1334m)には15時53分。 三角点もないピークですが宍粟50山に認定済み。

立派な標識のある登山道分岐から南へ下る。一直線に下ってしかも階段。 その後左の渓谷へ向かってジグザグに高度を下げ、ガレた道が延々続く。 特に書くべき所もなく黙々と下るだけ。
駐車場着

下りでも汗まみれになるほど今日は暑かった。途中で何度も川の水で顔を洗う。 たいくつな下りだったがようやくキャンプ場に着いた。15時ジャスト。 奥の院周辺の行場にあった石仏やら道標やら・・・・またカメラでちゃんと 写してみたい。

今回の後山(道仙寺奥の院コース)の地図は こちら(約110k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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