三室山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『西河内』を参照していただくようお願いいたします。

2015. 7.20.  月曜日  ガス  気温 寒い

兵庫で第二位の標高を持つ三室山だがその昔は野外活動センターからの登山道しかなかったのだが、 やがて竹呂からの縦走路が出来、そしてとうとう大通峠からも登れるようになりました。 すでに相当数のハイカーが歩いているというので道もしっかりきているはず。 さすれば私のような軟弱者でも難なく歩けるだろうということでTQFさんと 行くこととなる。

山崎のスーパーで偶然OAPさんと出会う。聞くとOAPさんも三室だという。 しかもルートも我々とほとんど同じ。我々は大通峠から登るつもりだったが OAPさんの取り付きのほうがおもしろそうなのでそちらの案で行く。

地図にある駐車ポイントから川を渡る

台風の影響も鑑みて千種から大通峠を越えるのではなく、鳥取側29号線からのアプローチとする。 加地川に沿ってある舗装林道を大通峠へ向かって走って行くと 写真のポイントに到着。ここがスタート・ゴールになる地点で 2台止めるには充分なスペースがある。準備をして9時55分スタート。
左に見える石垣がたたら場跡だ川を渡ると作業道がある

駐車ポイントからきれいに整備された舗装路があって楽に川が渡れる。 取り付きポイントは川を渡ってすぐ右にある未舗装の林道の奥らしい。 その途中にはたたら製鉄の際に出来る鉱滓が道ばたにあった。 さらにおどろくべき遺構が出現する。それは石垣に囲まれたたたら場跡。 じっくりと見たかったがこれから登山なので涙をのんで素通りする。

この未舗装林道はすぐに土盛りで終点となる。その右手の流れを渡ると 作業道が続いていた。作業道を少し登ると取り付きの尾根だが、作業道はそのまま 右山腹を上っていた。

前述の作業道を横切る

薄暗い植林の尾根は傾斜は急なれども下草もなく登るにはなんら支障は無い。さっそく汗まみれに なりつつ登って行くといきなり目の前が開ける。 どうやら先ほどの作業道と出会ったようだ。その後登っている途中に見えたこの作業道はほぼ平行に三室の 北山腹を横切っているようだった。
植林から自然林にようやく県境尾根へ

高度を上げるにつれて歩きにくくなってくる。若干ヤブっぽい植林の幼木帯を 抜けるとそこから一気に自然林となって県境尾根が近いことを知る。 スタートから1時間ほどで県境尾根に到着。 杉の幹には分岐を示す二重線のテープあり。 三室からの下山にこの県境尾根を利用すると我々の登ってきた尾根に迷い込みそうな 地形となっているのでこのマーキングがあるのかも。
ガスに包まれて・・・シダの原に出たが視界悪し
下山予定の尾根が一瞬見えた背丈を超える笹もまばらだ

晴れていればずいぶんと景色が良いのは 残雪期 に歩いているので体験済み。 ガスで展望は皆無だが、風もあって涼しいのが助かる。 このシダの原っぱも昔は根曲がり竹のジャングルだったのだろうか? 高度を上げるにつれて竹も出てきたがあの暴力的な勢いはもうない。
最後の登りで頂上着

最後はジャングルジムをよじ登るようにして山頂に出る。11時50分。 山頂もガスと風で上着を羽織らないと寒いぐらい。展望はあきらめて さっさと食事。そいうこうしていると同じルート(登り口は大通峠)で やってきた単独男性。聞くと千種から大通峠までの道は大丈夫とか。 さらに通常の登山道で4名の男性たちもやってきた。我々は 12時20分下山開始。
以前よりははるかに快適な下りガスの切れ間から目的の尾根が見えた

山頂に残っているハイカーたちからの 「あいつら降りるところ間違ってるやん!」と言わんばかりの視線を背中に感じながら県境尾根コースへ。 3年前に 赤西山〜三室山 という逆コースで登ったときにはまあまあの激ヤブだったのだが 拍子抜けするぐらいヤブが薄くなっていた。ただ、濡れている竹が やっかいで何度か尻餅をつく。 ガスが切れると正面に見える下山尾根がきれいだ。
赤西山の稜線が美しい

さらに兵庫県側の赤西山から氷ノ山へ続く分水嶺の県境がすばらしい。 高台にある檜塚周辺に似ているように思えた。

分岐ピークには13時ジャスト。右に行けばそのまま県境尾根(中央分水嶺)で 赤西山からハサリ山へ。正面を行けば初めてのコースでそこから下山となる。

こちらもシダの原っぱだ1178にある杉の巨木

その下山コースもシダの原だった。天気がよければ三室と我々が登ってきた尾根も 一望だったはずだ。ここにきて風が強くなり歩いていても足がよろけそうになるほど。
1174ピーク。ここから一気に下る2度ほど作業道を横切る

地形図を見てもらえればわかるように1174ピークからの下りはGPS無しでは難しい。 地形図とコンパスだけで歩いていた頃ならちょっと二の足を踏む下りだ。 きっちりと尾根に乗れるとあとは安心して下れる。2度ほど作業道を横切って ほどなくで下山完了。
やれやれなんとか降りましたこのときは素通り

下りきって駐車ポイントへ戻る途中。左上にはなにやら石垣が見える、右の植林内にある平坦地も気になる。 登山開始の時に見たたたら場の石垣ポイントはすぐ近くなので、これらは同じ意味のものに違いない。 が、そのまま駐車ポイントへ戻って帰路につく。
道路から見える一本杉根元に墓石がある

大通峠へ向かう途中にあるのが『中江の一本杉』だ。道路脇に案内板があるので見つけるのは簡単。 そこからアシウ杉の巨木が見えていて昔も今も立派にランドマークとして存在している。 ここは江戸時代には中江という集落があって大通峠、中江乢、小通峠への分岐地点だった。 きっと、たたら製鉄のためのカナゴ(砂鉄)、炭などの運搬でずいぶんと往来のあったのは ないだろうか。

杉の根元にはいくつかの墓標があり、『寛政七卯(1795)』『文化六巳(1809)』などの年号のある ものの他に『木地屋 忠兵衛』と刻まれた墓石もあった。 周辺を探るといつのものかわからないが陶器のかけら、そして当然ながらたたら製鉄の際に出る鉱滓。

陶器の欠片足下には鉱滓

今日の登山はここで終了だったが、登山口周辺にあった史跡が気になっていて1週間後に 再訪することになった。先週と同じ場所に車を止めて長靴で川を渡る。
石垣の入り口から中を見る

石垣自体の幅は1m以上もあって、一カ所北側に入り口がある。広さは測っていないが 写真に私が写っているのでだいたいの大きさがわかると思う。

千種周辺のいろんな場所で野だたら跡を見たことがあるがそれはたくさんの鉱滓の存在で そこが野だたら跡だったとわかるだけで、今回のような石垣跡は初めて見た。 千種天児屋にある高殿跡ほどではないにしても野だたらよりはレベルの高いものではないだろうか。

ヒを冷やす鉄池(かないけ)跡?道ばたにある鉱滓

千種鷹巣の藤原さんの話ではこの石垣内に柱が立てられ、梁を通して屋根が作られる。 その中には炉床が作られてたたら製鉄が行われる。できたヒ(けら)は入り口から 外へ出されて鉄池で冷やされたのであったろうと話された。
道から見えるこの木が目印小さな祠があったと思う

もう一カ所気になった所がある。下山の道を歩いていて植林の中に一本の古木が見えた。 そこには人工的な石積みも見えていたのだ。実際行ってみるとあきらかにお宮の跡だった。 とうぜん祀られていたのは金屋子神に間違いない。
住居跡と思われる

中江にもあった墓石を探してみる。汗にまみれながら周辺を探してみたが それらはなかった。想像だが、ここのたたら場は気候のきびしい所でもあるし、 常住の集落ではなく一年のある期間だけ 麓の村からやってきて操業されていたのではないだろうか。
加地川沿いにある墓石群

ここから6kmほど下流には加地の集落があるのだが、その途中にある平坦地(現在は 植林地でうっそうとしている)には必ずと言っていいほど墓石が点在している。 常住の集落には必ず墓地があるのが普通なのでそういう想像ができそうだ。

今回の三室山の地図は こちら(約140k) でごらんください。


それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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