黒松古傳 『法正寺』

この小さな村、黒松には二つのお寺があり、その一つがこの龍松山法正寺です。 村の東端にあるという(もうひとつの楽音寺もその近くらしい)が道路標識では わずか300mで行き止まりになるとある。 子供のころ帰省してもそこまで行ったことがなかった。 法正寺はそのちょっと手前にある。
通行止めの標識さらにこんな看板も

車で行って引き返せないと困るので、歩いて行くことにする。 といってもお盆のまっただ中(2012年8月15日)で立っているだけで汗が噴出してくる。 季節がよければもう一つの楽音寺も探したかったが 今回はとりあえず法正寺だけを見学する。
法正寺です

法正寺はうちの宗派である浄土真宗本願寺派なのだが、近所であるにも関わらずここの檀家ではない。 母親に聞いてもその理由はわからなかった。うちを含めて親戚とか、近所の人は隣村になる 後地という所にある光善寺(もちろん浄土真宗本願寺派です)の檀家である。
二本の大きな銀杏の木が特徴的だ

しかしまったく縁がないという訳ではないらしい。母親は若い頃、ここの本堂で 洋裁を習っていたという。当時の住職の姪御さんが台湾から帰国してここで 教えていたという。村の若い女性が習いに行っていたと思う。本堂の扉を開けて、 親鸞聖人の歌を歌ってから始めたと話していた。さらに、ここを初めて訪れたと思っていた私とも無関係ではないらしい。

というのは、私が生まれた時、産婆さんが「性根を入れてもらってくる」と、生まれたばかりの私を 抱いて、この法正寺へ来たという。性根を入れるという儀式がどういうものか、母も私も まったくわからないが、たぶんお経をあげてもらい、腕に小さな数珠をかけてもらったのだろう。 ただ、現在の私自身をみるにつけ、はたしてその性根なるものが入ったのかどうか疑問だ・・・。

古い石州瓦が置いてあった

龍松山法正寺は元和年間(1615−1623)に釈得忍師により開基。その後、文政年間(1818−1829)に本堂が再建されたとある。 目の前にある本堂はその文政年間に再建された200年前のものだろか。 屋根は光沢のある黒瓦だが、門の横手には赤い石州瓦が置かれている。ひょっとしたら最近に屋根の葺き替えがあって 古い瓦が展示されているのかな?
終点はこんな風になっていた

現在は住職が居ないので前述の光善寺が管理をしているそうだ。この本堂の裏手の高台は『空地』と言うところで 『くろまつ古傳 その五』で紹介した黒松簡易小学校が建っていた場所です。

寺を出て道路の終点へ行ってみる。自動車ではたしかに終点だが、徒歩では左右に道は続く。 というか、そこにある標識を見る限り昔からの街道であったようだ。しかも標識にはおもしろそうなポイントが書かれていた。 これはまた次回に紹介できればと思う。



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