黒松古傳 『地蔵かつぎ』

2011年 8月13日

今年のお盆、お墓参りに帰省したときのことです・・・。

黒松と都治の境にある地蔵堂

お寺のある後地(うしろじ)町から都治(つち)町を通って黒松町へ帰る途中のこと。この近辺はほぼ一車線で離合困難な舗装道路です。 その道路でちょうど都治と黒松の町境にやってきました。 母親が子供の頃はこの辺にきつねが出るというので、ここを通過するときは走って抜けたと言います。 そこは峠と言えないほど緩やかな坂道のピーク。そこにあったのは・・・。

コンクリート製の小さなお堂。名前は『槇澤地蔵堂』。「石仏があるなら写真に撮りたい」と私が言うと、母親は「思い出した!」と声を上げ、 さらに「中には地蔵さんがいるはず」と言います。通称は『むらざかやの地蔵さん』と言われている。

中を覗いてみると

僧?あるいは羅漢像?深い彫りの地蔵菩薩

さっそく中を覗いてみると、2体の石仏があって新しい花が生けられています。 むかって左側は うっすらと彩色が残っていて後背部分に文字は無し。胸の前で合掌しているその姿は 地蔵菩薩などの仏では無く、実在した僧かあるいは羅漢像のようだ。祠の柱には『明治廿七年・・・』の文字がある。

右手はさらに古いようで、全体に摩耗が進んでいるし、後背部分の欠けも多い。頭の部分が 後背より浮き出るような彫りになっている地蔵菩薩立像だ。 なんてことはない普通の石仏だ。昔はもっと朽ち果てたお堂だったそうだが、昭和55年に立て替えられている。

母親は何を思い出したかと言うと、結婚式(昔なので自宅で婚礼を行った)の日に縁側を見ると、 この地蔵(たぶん右側のもの)がちょこんと置かれていたというのだ。 たぶん親戚の誰かが置いていったと思われるのだが、翌日には祖母(母親の実母)がお堂に返しに行ったという。

これは嫁がその家に居着くようにいう言い伝えによるもので、 黒松周辺で受け継がれているものなのか、あるいは石見地方全体で言われているものかは不明。 ネットで調べてみるとこの風習は全国各地であるようで『地蔵担ぎ』と呼ばれているが、この黒松での呼び名は これまた不明。

こんな背負子(しょいこ)で運んできました

昔のことですから自動車で運んだわけではなく、写真のような背負子で重い石仏を運んだということです。 本来は嫁がとついだ家に居着くようにする風習ですが、 実際嫁いできたのはうちの父親、つまり婿養子です。 婿が居着くようにと親戚の誰かがお地蔵さんを運んできたのでした・・・。 めでたし、めでたし・・・??


くろまつ 古傳表紙へもどる