はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『音水湖』を参照していただくようお願いいたします。 2014. 6. 1. 日曜日 晴れ 気温 ふつう
ここは一般的な登山者にはまったく興味のない所だと思われるが、 昭和12年から43年にかけて操業されていた林鉄跡が残っていて、ある一部の人たちにとっては 心躍るような渓谷なのです。 まずは 2010年 に初めて単独で行ったレポート、そして2012年 にはK山さんと二人で行ったレポート。初回もその遺構のすごさに感動したのだが、 二回目は、隧道も見れたし、最奥にある巨大な橋脚も確認できて、昔の人のすごさを 再確認することができました。
今回はさらに見落とした所も確認したくて再訪を計画。梅雨前のこの時期なら渡渉も簡単だし
ちょうど良い。前回と同じくK山さんと新たにN川さん、TQFさんの四人で歩くことにする。
音水集落にある『音水農産物直売施設』(現在は閉鎖)横の駐車場に止める。
ここはサイクリング道の始発でもある。9時25分スタート。
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新しくなっていた祠 | 中には鬼子母神の像 |
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『いんくら橋』を過ぎたすぐのところがずばりインクラインの場所だ。前回同様に覗き込むが 普通に山の姿に戻っている。次にあるのが岩壁を背にした祠。これは真新しくなっていた。 つまり今でも頻繁にお詣りがされているということ。 中を見るとなにかの像があった。その像様からして天部のようだったが後で鬼子母神だとわかった。
改めて画像を見ると胸の中に抱いているのは赤子のようで鬼子母神(訶梨帝母『かりていも』ともいう)
で間違いなさそうだ。子供の頃に読んだ釈迦の伝記本に書かれていた
鬼子母神の挿絵、それと大映映画『釈迦』の中で山田五十鈴が演じていた鬼子母神がすごく印象に残っている。
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林道の終点 | 砂防堰堤を過ぎると林鉄跡が現れる |
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のんびりと歩いたので林道終点には10時10分。矢印方向に登って踏み跡を頼りに 歩いている所は、土砂で埋もれて その用を為さなくなった砂防堰堤の上だ。それをクリアーすると 倒木でふさがれ気味の林鉄跡が現れる。
ほんとは我々が歩いていた林道の下を平行して存在しているのだが
林道工事でそのほとんどが埋もれている。
いくら詳しく説明しても地図がないとわかりにくいので 前回の地図を貼り付けてみる。今回もコース的には前回とほぼ同じです。 国土地理院の地形図では隧道『H』のあるコーナーの場所がずいぶんと手前に書かれていて あきらかに間違っている。この地図はその修正をしています。 |
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最初の鉄橋『B』 | 二つ目のコンクリ橋『C』 |
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最初の鉄橋『B』も二つ目のコンクリ橋『C』も、その上にあった軌道は同じもので 同じ幅。 しかし『B』のH鋼の上部の幅が狭いので相対的に中央の空間は広がっている。 それが恐怖心を生んでなかなか渡るのが難しい橋だ。 反対に『C』は幅の広いコンクリートなので中央の空間も狭くて恐怖心はわかない。 |
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『E』の鉄橋 | 『G』のコンクリ橋 |
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源流碑を尻目に殺して『E』の鉄橋を渡って対岸へ。ワイヤーで支えられた栃の大木の下を通過して 『F』の流失橋の残骸を見る。そのまま石垣に沿って中音水川の下流へ進むと 『G』のコンクリ橋。ここから上を見上げると『I』のコンクリ橋が見えるのだが、その高度と見た目の 危うさから「え〜っ、あそこを渡るのかあ・・・」ときっと誰もが思うはず。 |
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『G』を過ぎて隧道へ | 隧道入り口着 |
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これらの石垣といい、隧道といい、考えれば考えるほど不思議な思いにかられる。いったいいかほどの 年月を費やしてこれらを造り上げたのか、その年月の割には稼働したのはわずかな年月だったのでは?と思ってしまう。 |
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上の写真と石垣を比べてください | 『G』から『I』を見るとこうなる |
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ここまでの石垣はその周辺にあった手頃な石を積み上げた感じだったが、 隧道を抜けたところの足下の石垣は専門工が成形したものをここまで運び込んで積み上げたのがわかる。 |
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『J』のコンクリ橋 | すごい石積み!! |
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『J』のコンクリ橋と『I』のコンクリ橋はほぼ直角でつながっている。先ほどの隧道も急カーブで Uターンするようになっていた。はたしてスムースに貨車は通行できたのだろうか? TQFさんが言うには決められた長さに短く切っているのでこれぐらいのコーナー角度なら 大丈夫だとか。
いよいよ問題の『K』に。ここもコンクリ橋なのでこれまでと同じように歩けるはずなのだが その高さ、下に流れる川の様子、真ん中の隙間から延びて行く手を邪魔する木の存在・・・とかで 渡る勇気が出ない。ちなみに去年ここに来た大柿さんはもちろん渡っている。
ここを渡りきればすごい切り通しがある。橋の手前からも見ることはできるが
その場所に立ってみたい。う〜ん、帰りに軌道跡をたどって行ってみようか。
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前回謎だったこの石垣サークルは・・・ | 巨大炭焼き窯跡だった(排煙穴確認) |
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『K』を渡らずに中音水の川に沿って右に左にと渡渉をしながら遡ることに。その途中には 前回謎だった巨大サークルがある。炭焼き窯にしてはあまりに巨大なので謎のサークルだったのだが、 今回周辺をよく観察すると入り口から最奥の場所に煙突穴があった。周辺には煤の塊もある。 ということで炭焼き窯だとわかったのだが、これだけでかいサークルを塞ぐ天井部分はどのような構造だったのかまたまた謎だ。 |
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きもち良い渓流を行く | ここ全部が石垣だ。こうなると芸術だね(白いラインから右側) |
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水量は少ないが宍粟の最奥にある渓流だけあって水は冷たくきれいだ。左岸の上部には 軌道跡があるのがわかる。前回は途中からそれを歩いたのだが、今回は宿舎跡まで 川を遡行する。その軌道跡の石組みがすごい。元からある岩盤に沿って(白いライン)まるで ジグソーパズルのように石を配置している。これは実物を見てもらわないとわからない (それを感動する感性がなければ言わずもがなだが・・・)。 |
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渓流から上って宿舎跡へ | おくどさん |
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2度目の宿舎跡訪問となる。最盛期は100人ほどの男女が活動していたと聞いたことがある。 軌道沿いと一段下の平地と2カ所がその敷地となっていて風呂場もそれぞれにある。 |
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橋脚のある巨大なコンクリ橋『N』 | 『N』橋から軌道跡とは直角なのです?! |
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いよいよ最大の謎ポイントに到着。それまで見てきたいくつかの橋は橋脚のないガーター橋だったが ここは巨大橋脚が谷をまたぐように存在している。元は3基あったのだろうが1基崩落している。 それは林鉄が現役時代のことなので、急遽材木でその代わりになるような橋脚が造られた。 全体から見るとコンクリと木材のハイブリッド構造となっている。しかし、あんなインスタントな 橋脚の上を列車が走っているのはなんとも恐怖だ。
どうやってこの橋脚を造って立てたのだろうか?四人で推理してみてある程度の 結論は出た。 おもしろいのは国土地理院の地形図にはちゃんとこの橋が記載されているのだった。 ただ、それに気がついて行ってみようという人は皆無だと思うが・・・。 |
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川向こうに渡り、木の橋脚を見る | 軌道跡はさらに奥へ続く |
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とりあえず川を渡ってハイブリッド橋の向こう側へ行ってみる。当然というか そこからも軌道跡は奥へ向かって続いていた。次回があるとすればこの奥を行ってみたい。 今回はここで時間切れということで軌道跡を使って帰路につく。 |
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すごい切り通し | 『K』の橋を切り通しから見る |
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この軌道跡は途中で斜面の崩落場所がある。なんとかそれをクリアーすれば 『K』橋の切り通しにたどり着ける。そこはただただ感動の場所だった。 素人考えでこの岩場手前からインクラで下ろすとかすれば超簡単だと思うのだが・・・。 今回も実地だけの探索だけで音水集落での聞き取りが出来無かったのが残念。 興味本位だけでここを訪れようとしている人がいるとしたら危険な所が多いので やめたほうが良いと思う。 |