はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『岩屋堂』、『西河内』を参照していただくようお願いいたします。 2012. 6.10. 日曜日 曇り後晴れ 気温 あったか
2年前に単独でここ 中音水渓谷 を歩いてみた。目的は昭和43年まで稼働されていたという林鉄線の跡を見たかったからだ。 結果としては、あまりにも多くの遺跡(こういう表現をさせてもらうが)の出現に興奮&頭が混乱して? 整理できぬままに途中撤退してしまうという体たらくな結末だった。 その後手に入れたORJ発刊の『日本の廃道 26号』でその詳細を知るにつけ、再度訪れたいという 気持ちが強くなる。なかなかタイミングが合わなかったが、このたび鳥取の沢川森林軌道 でご一緒したK山さんと二人で行けるチャンスを得る。
昔はほとんど訪れる人もいなかった音水集落だが、現在はハサリ山の登山口としてハイカーが通過している。
しかし、ここから始まる中音水林道を歩こうという酔狂なハイカーは今も皆無?だ。『音水農産物直売施設』横の駐車場には9時05分。
このままスタートしても良いのだが、前回寄り損ねた金山神社に立ち寄る。焼き板で造られた比較的新しい建家の中の小さなお社がある。
鍵が掛かっているので祭神を拝むことはできなかった。
金屋子神の絵像があるなら見てみたかった。
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金山神社 | インクライン跡を見る(白いラインに挟まれた箇所) |
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林道の入り口には小さな橋がある。その名も『インクラ橋』とある。もちろんインクラインのことだが、改めて辞書で 調べてみると『傾斜鉄道』と書かれていた。 橋を渡った右手から山の斜面を見ると石垣で補強された斜面がある。ここをケーブルで貨車が 上げ下ろしされていたのだ。とうぜん上部には山腹を平行に移動する軌道があったはず。 |
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林道終点がほんとのスタート地点 | 土砂で埋まった砂防堰 |
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この林道は転回場所が無いので車で終点まで来ると 帰りはバックで帰らねばならない。自転車で来たらよかったと前回と同じ後悔をする。 しかたなく林道をテクテク歩いて終点には10時ジャスト。 肝心の林鉄跡はこの林道ではなく左下に存在している。
終点から斜面をトラバースする。ここは地形図で見てもわかるように山が落ちている箇所で、一見石垣のような
砂防の堰は土砂で埋まって、さらにあふれた土砂が林鉄跡を押し流してしまっている。
ここはおいそれと人を近づけさせないための、まるで林鉄界と我々の世界との行き来を阻む結界のようだ。
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『B』の鉄橋 | 『C』のコンクリ橋(帰路の撮影なので方向が逆) |
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まずは第一橋梁が出現。幅20cmほどのH鋼の桁が軌道幅である。 昨日の雨で表面が濡れていて、試しに足を乗せてみると摩擦がいかにも小さい。 つまり滑りやすいということ・・・。最初の橋で谷底に滑り落ちて病院行きはなさけないので、 ここはおとなしく下をくぐり抜けることにする。 第二橋梁は幅広のコンクリ橋だったのでこれは楽々クリア。 |
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『E』はパスして川を渡った | そのまま半時計回りに前進 |
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前日の雨で川の水量は多い。第三橋梁『E』の手前右手には『中音水源流碑』の道標がある (ハイカーが来ることは皆無と書いたが、この酔狂な人たちはこれよりさらに上流へ行っているようだ)。 『E』はちょっと右に傾き加減で対岸へ繋がっている。『B』と同じ鉄橋なのでこれを歩くとたぶん川にドボンだろう。 水量の多い中音水川を渡渉して対岸へ。『F』はコンクリ橋だと思うが流失して無い。ここも渡渉して前回Uターンした 『G』へ向かう。 |
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第五橋梁『G』 | 上を見ると第六橋梁『I』が見える | 結局はこうなる |
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前回、なぜここから引き返したのだろう。苔むしたコンクリ橋を渡るのが怖かったのか? あるいはあまりに多くの遺跡に頭が順応せずめまいがしたのか。 確かに高度感もそこそこあって、その手が苦手の人にはこの第五橋梁は恐怖の踏み絵なのかもしれない。 ならば!渡れないのなら下をくぐれば良いのだ。 ここから谷の上を見ると、次に渡る第六橋梁『I』が見える。 |
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足元の石垣が見事だ | あこがれの林鉄隧道に遭遇 |
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ORJのレポートで知ってはいたが、その隧道を見るだけで背中にぞぞっと電気が走る。 隧道にはえもしれぬ謎のパワーがあるようだ。 |
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中はきれい | 出口(ほんとは入り口) |
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入り口付近(ほんとは出口)からむこうの明かりがぼんやりとわかるぐらいで ライトは不要だった。 隧道は円弧を描いていて全長は30mほどか。 中ではカジカ?がうるさく鳴き、頭上にはコウモリが数匹いる。 単純な疑問なのだが、はたして材木を積んだ貨車はここ(カーブした隧道)を通過することが できたのだろうか?長い材木が壁に当たりそうな気がするのだが・・・。
隧道を抜けて右下を見るとさきほどまで歩いていた林鉄跡がすぐそこにある。 こうやって実際に歩いてみて思うのだが、 わざわざ隧道と三つの橋梁まで造ってこの長いヘアピンの軌道跡は必要だったのか? 別途地図にある『K』から『F』へインクラで降ろせば事足りたのでは? などと素人ならではの疑問を持ってしまう。 |
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第六橋梁『I』と | 第七橋梁『J』はL字に繋がっている |
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第六橋梁『I』からはさきほどとは逆に第五橋梁『G』が見える。恐怖感が麻痺したのか、あるいは慣れたのか スムースに渡れた。 |
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前回も見た車輪 | 第八橋梁『K』 |
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第一ステージもそろそろ終了間近となる。いよいよ前回も渡れなかった第八橋梁『K』にやってきた。 この橋梁の向こうにはすばらしい岩の切り通しが見える。あそこに行きたいのだがやはりここは怖い・・・。 線路幅のコンクリのその間からは木が突き抜けて生えている。それを払いのけながら前進する途中に 落ちてしまいそうだ。やはりここはパスしよう・・・。
ここまでの地図は
こちら(約70k)
でごらんください。
車輪のある箇所から緩斜面を下れば『F』、『E』へと戻ることが出来る。
その途中から林鉄跡へよじ登ることも出来るのだがORJのレポートでは歩きにくくなると書かれていたので
源流碑のメンバーのルートと思われる川沿いを行くことにする。
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炭焼き窯跡にしてはでかすぎる謎のサークル | 林鉄跡『L』に登り返す |
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ところが途中で難度も渡渉をしなくてはならない。これがやっかいだった。渡るのに時間がかかってしかたない。 このままだとタイムオーバーになりそうだ。K山さんが「あそこに林鉄跡の石垣が見えてますね」と言う。 歩きにくくてもあっちのほうがよさそうだ。斜面をよじ登って『L』に立つ。
あとでわかったのだが、ここから左(『K』方向)が道悪で、進行方向である右手には良い路面が続いていた。
したがってペースも上がり、ほどなく目的の宿舎跡『M』に到着。12時05分。
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この右下にも宿舎跡あり | きれいに残っている五右衛門 |
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残っている建屋は裏側に廻るとその正体がわかる。トイレとお風呂だった。肝心の宿舎は その横手にあったが完膚なきまでに潰れていた。さらに右の斜面下にも同様に潰れた宿舎跡と トイレ棟があって、それだけでここの規模の大きさがわかるというものだ。 宿舎跡の脇に座って昼食をすます。
さて、これからどうするか。ORJのレポートではさらに奥まで行っているが、そこになにがあったのかは
内容を忘れてしまっている。時間もあるので我々も続きの軌道跡を辿ってみる。
するととんでもないものが眼に飛び込んできた。
探検隊が密林の中で遺跡に遭遇するときの驚きとはこういうときを言うのだろうか。 まさにそれはジャングルの遺跡のようだった。 第九橋梁『N』だ。それは対岸へ向かって三つの橋脚から成り立っている。 アルファベットのAという文字に似たコンクリ橋脚が二つ。その上には桁も残っている。 |
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対岸近くには木製の橋脚が・・・ | それを拡大して見る |
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三つめは崩れ落ちていて、その代わりに木製の橋脚が二基ある。 二人で想像するに、本来あったコンクリ橋脚が流されてしまい、応急処置で木製の橋脚が 設置されたのだろう。この危なっかしい橋脚の上に線路を敷いて動車が木材を積んで走っていたかと 思うと身震いするほど恐ろしい。ていうか、その状況を見てみたい・・・。 この周辺を眺めているだけでいろんな疑問が湧いてくる。いわく、この橋脚は里から運ぶことは無理なので、 ここで造ったのだろうか・・・とか。造ったあとどうやって立てたのだろうか・・・とか。 この橋梁は川沿いの軌道から直角に存在していて、貨車は曲がれないはず、どうすんねん・・・とか。
我々に時間と、対岸へ渡る根性があれば、さらなる冒険をするのだが、二人ともここが終着だということを
感じ取っている。上流へ視線を向けるとそこそこの滝もあった。足元の装備さえしっかりしていれば
見に行くのだが・・・。この辺で帰りましょうか。12時50分。
宿舎跡に戻り、もう一カ所の所も見てみる。ここにも小さな建家が残っており、 中の感じからして発電設備があったのかもしれない。 ここにちょっとしたお宝があったのだが、そのときはその価値に気が付かずにいた。 次回来ることがあれば回収したい。 川沿いは懲りたので林鉄跡を戻る。登りに使った『L』を過ぎるとレポート通りに 道悪になってきた。『O』で前進が苦しくなったので斜面を下って川辺に降りる。 あとは無事に戻ることだけに気を付けて駐車ポイントには14時30分だった。 ところで中音水川の源流碑ってどこにあったんやろ??
後半の地図は
こちら(約85k)
でごらんください。 |