はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『上郡』を参照していただくようお願いいたします。 2013. 4.14. 日曜日 晴れ 気温 あったか
早いもので上郡の 皆坂愛宕山〜点名『古畑』 をMTBで走ってからもう3年も経ってしまった。その時に次回走るとしたらここだと考えていたのが今日のコースだ。 時期もちょうど3年前と同じ頃。あのときは桜も満開だったが今年は咲くのが早かったので期待はできない。
前回と同じ駐車場所には
道路沿いに真新しい炭焼きの窯ができていた。8時35分スタート。駐車場所からも見えているのが
上郡町立船坂小学校行頭分校。もちろん廃校なのだが小さな校庭に残された遊戯施設がもの悲しい。
その分校の道路向かいにあるのが須賀神社。
まずは須賀神社にお参り。須賀神社というからは祭神は素戔嗚尊。 地域性か拝殿には赤穂浪士の絵馬が掲げられている。 前回、この須賀神社の前身は牛頭天王を祀る神社だったのではとレポートしたが、今回もその 思いは強い。そもそも牛頭天王は日本古来の神様でもないし、かといって仏教の仏でもない。 どちらかというと道教系あるいは陰陽系と言った方がいいかもしれない。
そんな中途半端な神様を祀る神社は明治になると廃仏毀釈以上の格好の標的となる。
あの京都の祇園社さえ牛頭天王から素戔嗚尊に祭神を変えて八坂神社と社名すらも変えてしまったのだ。
それって、どうよ!・・・と、憤慨するのは私だけか。
それはさておき今回は分校の横手にある牛神様も拝んでおこう。
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謎ののりむねさん | 牛神様と備前焼の牛たち |
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分校の横手にある小山のてっぺんには数基の石造物がある。 真ん中のが一番目立つがこれはごく普通の題目塔で大正七年と寄進者の銘がある。 問題は左手の奇妙な塔だ。『のりむねさん(赤松の武将?)』と呼ばれ、五輪さんと 言われているが、これはどう見ても崩れかけた宝篋印塔。 さらにおもしろいのはこの『のりむねさん』を削って口に含むと歯痛に効くという。 石塔の裏手にはそのためか穴が開いていたりするのだ。
そして右手にあるのが牛神様。昭和11年の銘があって、周辺には備前焼の小さな牛たち(
ちょっと見はネズミのように見える)がある。この子牛たちを見て思い出したのは
境内に何千とこれと同じものがある岡山備前市の田倉牛神社だ。
たぶんそこの牛像をここに持って帰ったのだろうと思う。ちなみに田倉牛神社の祭神は
牛頭天王なのだ。
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満開は終わっていたがまだまだきれい | 安室ダムと本宮湖 |
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分校周辺でずいぶんと時間を割いてしまった。スタートしてまだ数十mしか進んでいない。 気を取り直して再スタート。安室ダムへ向かって舗装路で高度を上げていく。 ダムまでの途中にある沿道の桜が見事なのだが、残念ながら盛りは過ぎていた。
ダムに到着。スタート時は肌寒かったが今は半袖で汗をかいている。
3年前は左岸を走ったので、今回は右岸を走ってみる。水辺を走るので
すーっと汗が引いて気持ちよい。
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皆坂地蔵尊 | 今年で607歳になりました |
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県道と合流すると皆坂集落への入り口に県指定文化財の皆坂地蔵尊がある。さほど大きな 石仏ではなく、見た目もそんなに傷んではいなが応永十三(1406)というずいぶんと古い石仏だ。 前垂れを外して彫り文字などを確認したい誘惑に駆られるがまだまだ先が長いので県道を 岡山方向へ進む。 |
青木功G.C. | 播磨特有の顔立ちです |
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ゆるい登りをクリアすると青木功G.C.の入り口だ。そのまま素通りするつもりだったが、 入り口の真向かいにでかい石仏があったのでまたもや寄り道だ。 六十六部供養塔だが『諸人牛馬安全』ともあるので、この先にある山伏峠の往来安全を祈念 するものだろう。表情は播磨の石仏によくある顔だ。
横手に願主、世話人などの名前とともに石工の名前もあった。
上郡落地の安藤久吉とある。この石仏自体は明治三年だが、倉敷には久吉さんの手による大正八年の
道標が存在している。これはすごいスパンだ。20歳で(あり得ないけど)ここの石仏を造ったとして
倉吉は70歳ということか・・・。
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旧山伏峠はこの横手だ | ここにも石仏と道標がある |
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えっちら、おっちらとMTBでようやくのこと山伏峠に着。9時40分。けっこう車の往来があって、 今も県境の街道としての役割を担っているようだ。 旧峠は法面の上にある。『従是西備前国』という道標が県境を表している。さらに小さな広場があって 地蔵菩薩の石仏があった。それにしても今日は石仏レポートか?
地蔵と祠横手のスペースがなくてカメラが入らない。それでも
『天保十三寅(1842)八月・・・』『為 大又邑(現在の吉永町都留岐大股)永道氏先祖菩提』
『施主末流三良平』などの文字が読み取れた。
さーて、石仏レポートは終了で、ようやくMTBレポートになりそうだ。
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いきなり極楽!! | 『F』の池を見る |
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今回はこの山伏峠から才ヶ峠までをMTBで縦走予定だ。つい最近 山屋のIさんが逆コースで歩かれている。このコース、一旦尾根に乗ればさほどアップダウンもない。 しかもIさんも歩いているだからMTBも大丈夫でしょうと勝手に決める。
地形図ではスタートからアップダウンがあるのだが、なんと、巻き道がある!!
しかも倒木もないのでいきなりの乗れ乗れなのだった。これならすぐにゴールかと
思いきや、池が見え始める地点から道は怪しくなる。
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こんな所もあったり | こんな所もあったり |
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世の中そんなに甘くないと実感する。コースである 県境尾根は池をぐるーっと回り込んでいるのだが、今までのような巻き道も なくなり、その代わりに嫌なシダが現れたりする。 |
数少ない展望 | 数少ない展望 |
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小刻みにピークとなり、そのピークごとに進行方向を確かめないといけないのだが、 ちょっと罠にはまったようで、踏み跡も見失うし、行くべき方向も怪しくなり、 何度も地形図を眺め直す羽目となる。GPSを取り出して なんとか難を逃れるがこれまたひどいシダで(本ルートからちょっと逸れているため)気持ち的に げっそりとなる。
ザレ地で小憩をする。見えているのは八塔寺山ダム(岡山のセンチュリーランで
走ったなあ・・・)の向こうにある堂後山だ。あそこもMTBしてみたい候補地の一つである。
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点名『延野』付近は | 絶好の尾根なのだが・・・ |
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点名『延野』付近はフラットで道もしっかりしていて走り放題?と言いたいが 10mおきぐらいに太い倒木があったりする。そのたびに降りて跨ぐという 悪循環が続きストレスが溜まるなあ。平坦尾根の終点、ここから下りになる『 I 』のピークで軽食を摂る。
点名『長谷』には12時25分。道よりちょっと左手の危うく見逃すような場所にあった。 ほんとはその三角点より下るのが正解だったのに、道に戻りその先へ進んでしまった。 なんかおかしいと気がつき県境へ戻る。あぶない、あぶない・・・。 |
才ヶ峠 |
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才ヶ峠には12時40分。山屋Iさんのレポートにもあった石仏の横手から峠に出てきたことになる。 回り込んで正面から見ると花崗岩で出来た立派な地蔵菩薩だ。 ただ、首から上が切れているのは明治の廃仏毀釈のためだろう。 |
反対方向から見る | やさいい顔をしている |
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銘を見ると『文政四巳(1821)年 六月日』とある。基台には『施主人神根本村(峠を越えた八塔寺川ダムの下流)』として 複数名の名前があった。 当然だが、ここからも県境尾根には歩けそうな切り開きが南方向に続いているようだ。岡山県側にもはっきりとした道が降りている。 それにしても今回のルートにはゴミが多かった。そのほとんどは空き缶などで、この峠にも大量の 空き缶が散乱していて古道の情緒は台無しだ。
峠からの下りは単調かと思いきや、これがなかなかやっかいなのだ。
峠から20mほど駆け下った所でいきなり道が消失する。まちがっても谷に降りたりしたらダメ。
正面をよく見ると道の続きがある。ちょっと登り調子だがそれが続きだ。
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峠からの下山はむずかしいのです | なんの機械? |
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そこから下るとこんどは鉄橋があるのでそれを渡れば良い。昔、この辺に送電線鉄塔があったので そのための鉄橋だ。鉄橋を渡るとまた登り道となり二つ目の峠となる。丹波にも二つの峠が続き、 その峠の名前は『二度びっくり』という超めずらしい名前の峠がある。ここも二カ所峠の部類に入る。 そしてそこを下るとなんとも怪しい廃墟(地図の『M』)が現れるのだった。ログハウス風の廃墟と 何に使用するのか不明な機械が二台。さらに奥には宿舎が崩れたような建物跡。山の斜面には道らしき ものも見える。近くにズリでもあれば鉱山跡ようにも思えるが、とにかくバテたのと足が攣りそうなので 奥まで行かなかった。
昭和11年の大阪毎日新聞に赤穂行頭鉱山で有望な金鉱脈が見つかって調査中という記事があった。
ひょっとしてここのことだろうか?ただ、記事の最後に問題は鉱脈がどのくらい続いているかである。
と締めくくられていた。
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どうやって登ってきた? | 近づきにくい・・・ |
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その下(地図の『N』)にも怪しい廃墟が。もう何が何だかわからないので素通り。 この廃墟下からようやくガレた林道が現れ、乗ったまま下れるので攣りそうな足には ありがたい。13時30分駐車ポイント着。
今回の山伏峠〜才ヶ峠の地図は
こちら(約170k)
でごらんください。 |