与布土坂〜青倉山〜多々良木坂

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『但馬竹田』、『矢名瀬』、『但馬新井』、『大名草』を参照していただくようお願いいたします。

2004. 5. 1.  土曜日  晴れ  気温あったか・涼しい
今回の山歩きは中央分水嶺踏破計画の1ページです。スタート地点は黒川ダム湖の最北部にある 与布土へ抜ける与布土坂という峠です(本によっては坂根峠と書かれているものもありますが、 黒川では与布土坂と言われています)。ここから時計と逆回りに分水嶺を歩いていきます。 途中には青倉山、鍋岩を通過しますが、さてどこまで歩けるでしょうか?

単独になると思っていましたが、TQFこれかねさん親子とIRCたぬきさんが来てくれることになりました。 GWの朝でしたが、スタート地点の黒川ダム下にある駐車場にはまったく車はありません。ここから一台の車で与布土坂へ 向かいます。この黒川ダム周回道路は全線舗装になっていて、楽に高度を上げながら進んでいけます。 今日はダムの上にある風力発電のプロペラも動いていませんねえ。

徐々に大きくなる粟鹿峰を見ながら周回路の標高最高点を少し過ぎたところに与布土坂の入り口があります。 案内板、石仏などは以前通りですが新たに東屋が出来ていました。さっそく準備をしてスタートです。 9時30分。峠に向かって階段が続いています。「ここから峠まで何分かかるか知ってます?」 「え〜、どれぐらい?」「へへへ、30秒で峠です!!」ということで、ちょうど話し終わった頃にその峠に着。
与布土坂に到着周回道路のすぐ横も通過します

古い石仏が二体、コースを示す道標もありますが、示す方向が微妙に間違っています。 勘違いする人もいるかも・・・・。 粟鹿山方向には通行止めの看板がありますが、これに記述されている工事も終了しているし、 第一この工事現場はここではありませんので最初から無視してもよい看板です。この粟鹿山への コースはまた今後のお楽しみに残しておいて、青倉山へ向かいましょう。 久しぶりに会う由李子ちゃんに分水嶺の意味を説明するがわかってもらえただろうか? 「意味はわかったけど、名前(ちゅうおうぶんすいれい)が覚えられない」と由李子ちゃん。

すぐに伐採地になり、鹿避けネット沿いを歩きます。黒川ダム湖と周囲の山々が見えますが、 山中で湖面が見えるというのは何とも言えず良い感じです。雑木の尾根を登ったり下ったり、 周回道路に近づいたり、離れたり。のり面保護の金網が足元にあるので「ここ注意してよ!!」と 叫んだとたんに自身が思いっきり転んでしまいました。カメラはなんとか無事、左腕からは血がプツプツと 出ています(>_<)

Ca.750のピークから大きく右にルートは曲がります。青倉山の反射板がだいぶん大きくなってきました。 久しぶりに山歩きをする由李子ちゃんがちょっとへばり気味か?最後の雑木尾根を登り切ると伊由峠への分岐に 到着。峠への踏み跡は明確で2001年6月にこのルートで伊由峠まで下ったことがありますが、一般ハイカーが間違って進入しないようにPPテープで 印してありました。
まもなく青倉山頂上青倉神社分岐(伊由峠)

青倉山には予定通りのペースで11時10分着。標高810.5m、三等三角点。山頂の表示板からは西方向が 見えるのだが強烈な霞で遠くは全く見えません。すぐ近くには先日登った 多々良木 白岩山を確認するも、ここからは あの頂上付近の岩場が見えない。馬場山、大杉山、笠杉山、とんがりさん、フトウガ峰などが なんとか見える。

お昼には早いのでこのまま分水嶺を進んでみます。ここからは青倉神社からの登山道なので 超快適です。兵庫50山なのでだれかに出会うかと思ったがそれもなく淡々と下っていく。 小さなピークの登り返しがあるのだが、そこからイワカガミがドバドバ現れる。夜久野で出会ったものよりは ずいぶんと小さいが、この遙か先にある鍋岩付近まで続いていて驚かされる。

いきなり木の階段が現れる。しかしそれは段差がでたらめで、丸太に足をのせるとツルツルと滑り、 土は流されてえぐれている。まったく怒りを通り越してあきれたとしか言えない施設です。 これも兵庫50山になったための弊害でしょうか。華美で醜悪としか思えない金属製の道標、 あれは必要不可欠という人がいるが、そう言う人はこの階段も歓迎してるんやろね、たぶん。

降りたった分岐は、右に下れば青倉神社、左に下れば黒川ダム、正面の尾根は分水嶺の続きである。 そしてここは伊由峠とも呼ばれています。伊由峠というと朝来町伊由市場と山東町与布土を結ぶ 県道が一般だが、黒川の人に言わせると「ここも伊由へ抜ける峠だから、昔から伊由峠と呼んでいる」 と、胸を張って言っていました。
舗装林道との出合いプラチューブが散乱している

出来るだけ分水嶺を忠実にが合言葉なので尾根を歩くが、すぐに舗装林道ののり面で分断される。 ここから多々良木ダム方向への展望はすばらしいが、のり面を降りるのはちょっと危ない。 さきほどの黒川への峠道でも簡単にここに出られるので由李子ちゃんのためにもそちらを 選択したほうが賢明だったかもしれません。

これから先の分水嶺はどんなだろう? 地形図には点線が描かれているが、たしかに道はすこぶる良い。イワカガミも咲き誇っている。 そろそろお昼にしたいがどこがいいのか決めかねてどんどん進んでいく。 空腹でヒーヒー言いながら登ったピークが切り開かれた小スペースになっていた。 足元には地籍調査の金属標が埋め込まれている。ここでお昼にしましょう。12時20分。

お腹が満腹にあるとこんどはそれが重たくて歩きづらい。へんなものが稜線に落ちている。 それは白いプラスチックのチューブでした。知らない人も多いでしょうが、これはブナなどの 広葉樹を植林する際に鹿の食害から苗を守る為の物です。杉植林などで死んだ森にするよりは 広葉樹を増やすことは良いことですが、ここは植えっぱなしで後のフォローがない様子。 それでプラチューブが倒れてそのままなのです。お金のかかった事業でしょうにねえ・・・。

その先には新設の三角点がありました。点名『長右衛門奥』、四等三角点、標高770.2m。 13時10分。昔ながらの石標ではなく金属標です。さて、この辺りにあるという 鍋岩はどこでしょう?右下を覗き込んでも雑木が生い茂るだけで岩盤らしきものはありません。 「通り過ぎたかなあ・・・」とあきらめ気味に歩いていると、目の前にいきなり大岩もピークが・・・。
鍋岩下部に降りてみる多々良木坂に降りました

どうやらこれが鍋岩のようです。みんなは岩の上に移動していますが、私はこの大岩の下部に行ってみます。 さいわいなんとかそこまで行けそうなルートがあり、木をつかみながら下降します。 岩場にはめずらしい植物があるという期待からそこへ行きましたが、残念ながら花はありませんでした。 上からは「だいじょうぶかぁ?」とみんなが叫んでいます。

鍋岩から最後のピークを越えて多々良木坂へ下りましょう。ここには釘で打ち付けられたプレートが ありました。釘を引き抜こうと思いましたが、あいにくペンチを持ってくるのを忘れてしまってます。しかし、TQFさんが 素手でもぎ取りました。「木にもかわいそうだし、これはゴミやからねえ・・・」 そんなことにも気がつかないハイカーには来て欲しくないです。

コンパスにしたがって右の斜面を滑り落ちるように下っていきます。 多々良木坂には14時15分。峠は広場のようになっています。ここから続いている稜線を登っていくと 大持山から始まる銀山湖沿いのピークが連なることになります。今日の分水嶺を辿る山歩きはここで 終点としましょう。全員がそろったところで黒川に降りる前にちょっと寄り道。
なぜか信号が・・・火薬保管倉庫??

多々良木側に50mほど歩くと関電のダム管理用トンネルがあります。そこは一般車の進入が出来ない 道ですが、どういうわけか感知式の信号があります。センサー部分の真下に行ってセンサーを 作動させようとしますが赤のまま動きません。実はこのトンネルの黒川側の入り口には多々良木坂に あったという石仏が祀られています。黒川の人に言うと「石仏見に行くだけやったら通行してもええはずや」と 軽い許可らしきものも得ています。そこでトンネルを抜けて石仏にご挨拶。

下山は旧峠道で下っていきます。地形図には603ピーク付近に建物のマークがあります。 ひょっとして祠かなにかと思っていましたら、ブロックで出来た壁に囲まれた窓もない真四角な 建物。ドアは鉄製で、2ロックの頑丈なもの。これは推測ですがダム工事、トンネル工事で 使用する火薬類を保管する倉庫でしょう。(似た作りのものを鉱山跡でも見たことあり)

快適な峠道を下りきるとログハウスの別荘地に降りてきました。14時50分。ここにも石仏があります。 下部がコンクリの基台に埋まってしまってますが、『左 やまみち 右 たたらぎ』と読めそう。 昔、村の人はこの峠道で多々良木へ下り、播但線の新井駅へ行ったそうです。 こちらのほうが生野へ行くより便利だったとか。

今回のルートはひょっとして道も不明瞭で単独の方が気を遣わずにヤブに突進できると思っていましたが、 予想に反して快適で花もたくさんありました。展望の良いところもあったのですが、霞のために 良い写真も撮れずそれが残念です。楽しくお話しながら歩くことが出来たのもこれかねさん親子、 母たぬきさんのおかげです。

今回の与布土坂〜青倉山〜多々良木坂の地図は こちら(約130k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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