那須与一宗高

所在地:加古川市東神吉町

ここは加古川から加西市、高砂に延びる県道の西奥に位置していましたが、 真横にバイパスが出来たので非常に目立つ存在になっています。

ベンチのところには立派な屋根もあり、年寄り達の格好の寄り合い場所になっています。 きれいな石垣の上にたくさんの石仏らしきものが見える。ずいぶんとお金が掛けられて改修されたようです。 赤い幟には『那須与一宗高』と染め抜かれているので、最初はなんのことかと思った。 石垣の上には玉砂利が敷き詰められていて、周囲を数基の五輪塔が囲んでいる。

向かって右から真新しい地蔵菩薩、真ん中は赤っぽい色の家型石棺蓋には地蔵菩薩の座像、 左には石棺の身に立像の地蔵菩薩。ただし肩からばっさりと斜めに折れている。



市の作った古い案内板があったので読んでみますが、よく判らないと言った投げやりな内容。

銘がないのでいつ造られたものか、はっきりしませんが、室町時代の中期以前に 造られたものと思います。 伝説では、半分に折れた方が那須与一の像といわれており、信仰すると長患いをせずにすむと 言われています。

ここでようやく主役の那須与一が出てきましたが、この半折れの地蔵菩薩が那須与一??? 図書館の本にもこれに関する記述がありましたのでコピーしました。

 須磨の那須与一崇高の墓参りをしていたある人に「汝、我を信じて遠きよりこの地に 参詣するも、我は病中播磨の国、神吉の荘高野山慶妙寺に参篭していたがついに落命せり。 現在、神吉村の西にある釈迦堂というところにて火葬せらる。彼の半折の石仏は自分の像なり。 これよりここに参詣すべし。」とのお告げがあったといわれています。その後、毎月7日には 多くの人々のお参りがありますが、ここへお参りすると、長患いをせずに済むと言い伝えられ ているからです。

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