天谷の青面金剛

所在地:出石郡但東町
いよいよ青面金剛の聖地とも言える出石郡の但東町へ やってきました。但東町にはすごい数とすばらしい青面金剛があると聞いていたので、 山にも行かずにその取材にやってきました。

まずは夜久野町から天谷峠を越えて最初にある天谷という集落内をうろついてみます。

道路脇に車を止めて如意寺周辺を歩いてみると、入り口の石灯籠横にありました。


苔のためにひどく傷んでいます。舟形光背に薄肉彫り。足下の三猿、ショケラもうっすらと確認できます。 表情が穏やかなのが特徴的。この石仏には年号はありませんでしたが、横の灯籠には文政年間の銘がある。 この青面金剛どこかで見たことがあると思ったら、図書館で見た石造美術品の本?だったかにあった。


この道沿い、先ほどの青面金剛よりすぐの所に地蔵堂がある。『天谷地蔵堂』と名前があった。 中には数体の石仏が安置されている。むかって右手から四体は地蔵菩薩、次が阿弥陀如来、そして二体の 地蔵菩薩(地蔵は合計六体で六地蔵になってます)。そして左端にちょこんと背の低い石仏がある。



これが青面金剛です。顔の表情はすっかり摩耗しているのでわからないが、それ以外は よく残っていて、所々彩色の跡もある。青面金剛にかならずあるといっていい三猿(見ざる、聞かざる、 言わざる)は、庚申の『申(さる)』から来ているともいわれる。人間の悪事を見ない、聞かない、 言わないという意味です。

また、猿は山王権現の使いとも言われていることから、山王も庚申信仰とつながりがあり、 関東では山王系庚申塚といわれるものもあるそうです。ついでに言うと、三戸の虫が人間の 悪事を報告するのは天帝、すなわち帝釈天(北斗七星)です。山王七社も北斗七星を意味するので ここでもつながりがある。(なんかややこしゅうて訳わからんわ)

表紙にもどる