美登呂姫の石仏

所在地:加古川市上荘町

近場でありとても有名なのに知らなかった石仏です。場所もちょっと判りにくい。 加古川の右岸、みとろの公民館(国民宿舎みとろ荘とみとろ苑を直線で結んでちょうど真ん中ぐらい) を左に見て、右にある消防施設横に細い道がある。その奥にある。

木造のお堂と銀杏の大木が目に飛び込んでくる。銀杏はとてつもなく大きい木で この季節(4月上旬)小さくかわいい若葉を付けている。 木造のお堂は扉が開け放たれていて、中は畳敷きで老婆がお経を上げていた。 そのお堂の横手にこの石棺仏が立っている。 これが『美登呂姫の石仏』と呼ばれる阿弥陀三尊像である。

初めてこの石棺仏を見たときはちょうど夕暮れ時で、銀杏のための薄暗さもあって『2001年 宇宙の旅』に出てくるモノリスを思わせ、その迫ってくるような存在感に思わず身震いをしました。 大きさは幅125cm、高さ174cm、厚み25cm。写真で判るように前に大きく傾斜しています。


近所のおばあさんが言うには、過去に何度起こしても前に倒れてくるという話しでした。 三尊像は写実的ではなくて簡素化されたシルエット。肩から足元までズドンとまっすぐの ずんどうスタイルである。このあたりの表し方は加西の五百羅漢に似たスタイルかなあと思う。

正面の阿弥陀如来が一番表情がはっきりしている。切れ長の眼にきりりと一文字の唇。 手は右手の施無畏印だけは確認。向かって右の観世音菩薩は鼻と口が欠けている。蓮華を 持っているのがうっすらと判る。左の勢至菩薩は顔が欠落して合掌印が確認。


最後にこの石仏の由来をご紹介しましょう。
室町時代のはじめ、当地の井口城が赤松則村の砦として築かれました。 井口城には美しく心やさしい美登呂姫がおられました。家来の一青年が 美登呂姫を見入り機会をみて近寄ろうとしていました。ある年の"月見の祝" の席で姫に近寄ることができた青年は、姫への思いを打ち明けましたが、 姫は青年の申し出を拒みました。腹の立った青年は姫を切り殺し、 裏山に埋めてしまいました。村の人々はとても残念がり、石仏を作ってまつりました。 見土呂の地名は美登呂姫からきているといわれています。

本日の教訓。身分違い恋は双方に悲劇をもたらす・・・ しえくすぴあ。

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