所在地:加古川市志方町
高御位山の南には加古川から姫路に向けて国道2号線が あります。その高御位山の北側を同様に加古川から姫路に伸びている県道があり、 そこにこの石仏があります。 ちょうど加古川から姫路の境界になる峠の手前右手を注意深く見ながら車を走らせていると、 一瞬金網と手水鉢が見えます。必ず一回は通り過ぎてしまうのでうろうろして事故らないように しましょう。 前垂れに厚く保護?されているのでちょっと剥がして撮影してみました。 地蔵菩薩立像ですが、ばっさりと真横に切断されています。 横にあった立て札をコピーしてみますと、 この石地蔵は、竜山石に彫ったもので、(製作年代は不明)胴体があたかも切腹したように 割れています。 腹切りの名の由来について地元に二つの話が伝えられていますが、 二つの話とも、天正八年(1580年)の三木城落城にまつわるもので三木城にかかわる 一人の武士がこの地で切腹して果てたのだというのである。 村の人がそのあとに、石の地蔵を建てて武士の菩提を弔ったが、不思議なことに、この 地蔵さんがいつの間にか腹部のあたりから二つに割れてしまったのです。 この地蔵さんは、どんな願いでも一つだけはかなえてくださるといわれている。 前に並んでいる小さな石仏は願いのかなった人がお礼のために寄進したものである。 昭和62年3月 加古川教育委員会 二つの話というのは、一つは三木城から逃れてきた落ち武者がここで観念して自刃したというもの。 もう一つは三木城を応援するために駆けつけた武士が、落城したのを知って残念に思いここで 自刃したという二つである。 表紙にもどる |