穴裏の地蔵菩薩

所在地:福知山市
日本海と瀬戸内海を分ける中央分水嶺でもある穴裏峠(京都府福知山市と 兵庫県氷上郡青垣町を分ける峠です)。 現在は穴裏トンネルと姿を変えてしまっていて、地形図にはその記述すらない。 最初はトンネルの真上が昔の峠かと思っていたが、実際は少し北にずれた399mの 標高点の先の鞍部がそうであった。

そこには石仏は無かったが石碑がありそれが峠の証でもあった。 それには『アという梵字の下に 道造供養塔  享保十七壬子(1732)天 東芦田村   十二月日 願主○○』となっていた。東芦田村とは兵庫県氷上郡側の村である。

峠からは反対方向の福知山市側の奥榎原に下ってみた。そしてあったのがこの石仏である。

向かって左側の舗装路が穴裏トンネルへの道、右側の道が旧峠への道である。 地蔵菩薩の前にはこの辺りでよく見かける小さな板碑形の石仏が数体並べられている。

帽子を取ってみたが長い年月のためか表情はすっかり摩耗していて判らなくなっていた。 深く舟形に彫り込まれた中に地蔵菩薩立像が浮き彫りされている。 横には『右あなのうらみち 左やまみち』とある。

このきれいに整備された台座は昭和56年に建立されたとある。肝心の石仏は 宝永六巳丑(1709)年 六月廿四日とあった。

穴裏峠の由来を近くの民家で聞いてみたた、「あまりに傾斜が急なもんやから、 前を登る人の尻の穴が見えたということからついた名前やそうや」 ということである。
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