金峯山寺 蔵王権現

2010年11月6日

播州の山行きで忘れてはならない歴史上の人物と言えばなんと言っても法道仙人だ(とは言っても、やまあそが勝手に思いこんでいるだけですけどね)。 至る所にその痕跡と逸話を残している。彼を知ることはすなわち播州の山の歴史を知ることにもなるのだ。 その法道仙人を語ると、そこに現れるのは法起菩薩。法起菩薩を語ると、そこの現れるのは役行者。 そして役行者を語るとき無くてはならないのが蔵王権現なのです。

いつもは秘仏なのですが、今年は平城遷都1300年記念で、100日特別ご開帳というありがたい? イベントがある。平民の私は土日しか行けそうにないが、とんでもなく混み混みが予想されます。 幸い6日は午後から雨の予報で、紅葉にも早いために空いていると推理する。 吉野へドライブするのはほぼ20年ぶりとなるので、ナビと道路標識に従って運転する。

どう間違ったのか近鉄吉野線の終点である吉野駅を横目にぐるーーーっと大回りに如意輪寺を経由する 時計回りコースで金峯山寺へ到着してしまう。当然駐車場は無いのでそのまま下ると 下千本の駐車場に着く。大きな駐車場で中はガラガラ。お金を出そうとすると、なんとタダだという。

向こうに蔵王堂が見える

参道をのんびり歩く。『発心門』と額のある銅(かね)の鳥居が俗世と浄土の境界を表しているのだそうだ。 その浄土の向こうに見えるのが仁王門。阿吽の仁王さんの間をすり抜けるといよいよ蔵王堂。 拝観の入り口があるのだが正面に回って蔵王堂を見る。
正面から蔵王堂を見る

特別拝観料1000万円を払ってさっそく本尊である蔵王権現を拝観する。パンフレットには一体しか写っていないが、 実は三体のほぼ同じような姿をした蔵王権現が祀られている。

そもそも蔵王権現とはなんぞや。それはインドやら中国から伝わった仏ではなく、 日本独自の仏様で、役行者が山上ヶ岳で祈り出した仏と言われてます。 役行者が山上ヶ岳で この乱れた世にある魔の降伏する仏の出現を願うと、まず釈迦如来が出てくる。しかし、行者は今の世にふさわしくないと 辞退。次に出てきたのは千手観音。これまたやさしすぎると辞退。次に出てきたのは弥勒菩薩だが、 これまた未来に出るべきお方ということで辞退。

もっとそれらしい、荒々しい仏の出現を願うと、 最後に山上ヶ岳の湧出岩から現れたのがこの蔵王権現なのだ。 本によっては先ほどの三尊が地蔵だったり弁財天だったりするのだが、ようするに 釈迦は過去、観音は現在、弥勒は未来の三世を表し、それらを本地仏とするのがこの蔵王権現と言うわけです。 つまり、蔵王権現は釈迦でもあり、観音でもあり、弥勒でもある(大きな声では言えませんが、 蔵王権現はオールマイティーな力を持つという都合の良い解釈がなりたつのです)とのこと。

パンフレットです

さらに、蔵王権現の正式名は金剛蔵王権現。金剛とは金剛界のこと、蔵とは胎蔵界のこと、 つまり金剛界と胎蔵界を統べる王ということになります。 てことは、大日如来でもあるという解釈になるそうです。 ああ、すばらしい超越三段論法。

蔵王堂に三体もの同じような蔵王権現があるのは、前述のように 現在、過去、未来を三体で表す、そういう訳だったのです。

私のネタ本の一つ。この蔵王権現は蔵王堂回廊にある客仏

蔵王堂は記録に残るだけでも5回も焼失していおり、現在ある三体の本尊は 最後の焼失後の天正二十年(1592)から現在まで鎮座している。 今回お参りしている私を含む観光客たちも、じーっと見つめたまま席を立とうと しないほど威厳のある姿だった。

しかし、よくよく見るとずいぶんと頭のでかい、バランスの悪い体型をしている。 それに比べると本尊の裏の回廊に安置されているもう一体の蔵王権現 (奥千本の安禅寺にあったのだが、明治の廃仏毀釈で客仏としてここに安置されている)は 木目も見える寄せ木造りのすばらしい像で、こちらの方が全体に整って、力強さもあるように思えるのだった。

最後に、権現様。フラッシュは焚きませんからカメラ撮影を許可してほし〜い!!

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