黒松古傳 『盆踊り』

2015年 8月14日

子供の頃、夏休みのお盆に帰省すると昼間は海で泳いで、夜になると盆踊りを見るのが恒例だった。 開催される場所は家の前の三叉路だったり、東の橋の三叉路だったりと、町内を通る道路のど真ん中で やっていた。考えるとよくまあ、あんな 狭いところでやっていたもんだと驚くというかあきれる。

それほど小さな集落の素朴な盆踊りだったということだ。ある年の夏、帰省せずに 住んでいる町の盆踊りを見たことがある。それは 煌々と照らされた広い公園でレコードを拡声器で掛けてそれにあわせて踊っているというもので、 都会ではごく普通の盆踊りなのだろうが、あまりの騒々しさに子供ながら違和感を感じずにはいられなかったのを思い出す。

場所は大島神社仮殿前

数十年ぶりの盆踊りを見る。場所はさすがに道路の三叉路というわけにはいかず、 現在は大島神社仮殿前の広場となっているようだ。
まずは初盆の法要から始まる

母親曰く、昔はなかったそうだが、踊りの前にお寺さんによる法事が行われていた。 今年、初盆となる人の名前が祭壇に掲げられ、その前には遺族の方々が参列している。 よくよく考えればお盆とは先祖の霊を供養する行事ですから、これぞ正しい 盆踊りの在り方ではないでしょうか。 ひとしきりお経を読まれた後で遺族の焼香が行われていよいよ盆踊りとなる。
こんな感じです

町の盆踊りではレコードだったと書いたが、ここでは『口説き』と言われる なま唄で踊りを踊る。口説き手はやぐらの上で太鼓などの鳴り物もなく 淡々と歌い続けるのだった。子供の頃からそれを聞いていたのでレコードで踊る盆踊りは 一種カルチャーショックだった。

はっきりとした記憶ではないが、子供の頃は肉声で口説いていたと思うのだが、 現在はマイクを片手に拡声器でやっている。残念なのはPAの性能が悪くて (あるいは口説き手がヘタで)なにを語っているのかさっぱりわからないのだ。

母親が言うには昔は臼をひっくり返してその上に口説き手が立ち、番傘を片手に持って 肉声だけで口説いていたという。たまたま地元紙の記事に淡路の沼島の盆踊りでも 番傘を持って口説いているという記事があった。

それには声が上に拡散してしまわないように傘を持っていて、踊り手に向かって 声が届くよう一種拡声器の役目をしているのという内容だった。 昔の人はかしこい!今は変に利便性を求めて逆効果となっている。

口説きで踊る

数十分ほどすると口説き手は交代する。ここで気がついたのだが、さきほどまで きれいな踊りの輪だったのが、新たな口説き手が 踊っている人たちのリズムをつかんでいないと、見る間に踊りの輪が崩れていって しまうのだった。

昔は一人の口説き手で軽く1時間は口説いていたと思う。母親らに「なんか、侍の話を 口説いていたよなあ・・・」と子供の頃に聞いた口説きの記憶を思い出して言うと 「そうそう、鈴木主水の話」とのたまう。 鈴木主水という侍はどいういう人物かネットで調べてみると・・・。

鈴木主水の口説きは日本中で口説かれている有名な口説きだとあった。 それは江戸の話で、女房と子供二人を持つ主水が女郎の白糸に熱を上げて やがては心中してしまうという現代で言うところのスキャンダルなお話。

黒松で口説かれている文句と同じかどうかわからないが一節をここにコピペしてみる。

花のお江戸のそのかたわらに さしもめずらし人情くどき
ところ四谷の新宿町よ 紺ののれんに桔梗の紋は
音に聞こえし橋本屋とて あまた女郎衆のあるその中に
お職女郎衆の白糸こそは 年は十九で当世育ち
愛嬌よければ皆人様が われもわれもと名ざしてあがる
あけてお客はどなたと聞けば 春は花咲く青山へんの
鈴木主水という侍よ 女房もちにて二人の子供
五つ三つはいたずらざかり 二人子供のあるその中で
今日も明日もと女郎買いばかり 
と延々続くのです。

母親の踊る盆踊り。昭和20年代後半?

ちなみに黒松の盆踊りは男踊りと女踊りの二種類があるそうですが、私はまったく踊れません。


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