御旅所の南北には2艘の和船形の山車があって、そこには太鼓が乗せられている。単調なリズムだが
笛と太鼓と当たりがねの音は打ち手が交代しながら途切れることはない。
この太鼓のバチがおもしろい。生木の細長い枝を皮もむかずにそのまま使っている。
確かに船の上ではこのバチの方が使いよさそうに見えた。あるいはこういうバチを神事で使う意味が何かあるのかもしれない。
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東の鳥居付近で神主が見守っている |
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御旅所の中を駆け巡る |
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神輿の下を往復でくぐるは私の母親 |
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さすがに疲れるのか、途中で担ぎ手の休みがある。その時とばかりに先ほどまで見ていた観衆が
神輿の下をくぐり抜ける。厄落としの御利益があるのか?いわゆる茅の輪くぐりのような感じに思えた。
いつの間に来たのか母親もくぐっていた。今は台の上に置かれた神輿だが、昔は担ぎ手が止まった刹那に競うようにくぐり抜けたそうだ。
当時は戦争で出兵する若者が神輿を担ぐことになっていという。そういえば大島の石灯籠基台に『事變紀念祈 皇軍武運長久 昭和
十三年七月』とあった。年代から言って支那事変のことだろうか。戦場から無事に帰れることを祈りながら神輿を担いだのだろう。
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クライマックスは海へ |
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鳥居と月 |
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西の鳥居を出ると終了 |
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現在の時間は22時30分を過ぎている。御旅所で神輿を練って、そのまま西の鳥居へ出るのかと
思っていたらそうではない。出ようとする担ぎ手と、出すまいとする氏子とのあいだでせめぎ合いがある。
昔は朝方まで延々と続いていたという。
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西の鳥居を出ました |
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すったもんだあってようやく西の鳥居を出る。期せずして観衆から拍手。
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仮殿の前で・・・ |
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そのまま仮殿まで行き、最後にその前で練られて終了。大島の本殿で神輿の一部が壊れ、今見ると
頂上部の鳳凰も無い。母親も大満足。なかなかおもしろい祭りだと思うのだが、深夜まで続くので
一般の人が見るには難しいかもしれない。
翌日は子供神輿が町内を回るのと、今日と同様に大島まで神様を送る神事がある。我々は帰宅するので
そのどれも見れなかったのだが、今日のベタ凪がうそのように翌日は海が荒れて大島まで神様を
送ることができなかったと後で聞いた。
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