黒松古傳 『さらば我が家』

2011年 8月14日

子供の頃、決まって夏休みは黒松に帰省していました。高台にあるJR山陰本線の黒松駅(現在、無人駅)を降りて 一本道を下っていくと三叉路となり、そのドンツキが我が家である。 祖母が黒松の一等地だといつも言っていました。

駅から下ると真っ正面が我が家

赤い瓦は石見地方に独特の石州瓦。この地方の家屋はすべてこの赤い瓦であると言ってもいい。 昭和○○年に祖父と親父と近隣の知り合いたちで建てた家です。つまりセルフビルド!! というのもうちは先祖代々?(少なくとも2代は)左官を生業としているのです。
後ろ姿はおじいちゃんかな?

しかし、長年無住のままだったので壁も剥落してくるし、瓦もずれて落ちかけています。 まことに残念ですが解体して更地にしようということになりました(2011年)。
コカコーラの看板があるのは、祖母がお店をしていたからです

更地にしてみると案外広いので驚きました。右手は川で、その奥に見えているのは 海岸です。つまり海は目と鼻の先、家の傷みも早いのです。 家の無くなるのはなんとも悲しいものですが、母親とその妹たち(私にとってはおばさんたち)にとっては それよりさらに古い家のほうが思い出が深いでしょう。
おにいちゃんは向かいのトオルさん

残念ながら全景の写っている写真はありませんでした。道路側に(上の写真の玄関付近)濡れ縁がありました。 駅から下ってきた行商の人たちはこの濡れ縁を利用して店を開いていたそうです (もちろん、使用料は頂いていたそうです)。

玄関から奥庭に向かって土間が抜けていて、お風呂、トイレは奥庭にある。 天井は無くて煙は上に吹き抜ける?そんな記憶が残っています。 祖父がいつ建てたかわからないというので、たぶん保四郎(我が島田家の始祖)が本家より分家したときと思うので 明治の始め頃か・・・・。



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