はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『市島』を参照していただくようお願いいたします。 2017. 3.19. 日曜日 晴れ 気温 ふつう
丹波の雪もようやく落ち着いてきたので表題の山に行ってきました。地形図を見てもわかるように山頂までは 南北から舗装路が山頂まで続いている。そのためか近くにある自転車好きのお蕎麦屋さんの ホームグラウンドになっているようだ。主にロードでヒルクライムを楽しんでいるようだが 地形図を見ると山頂からいくつかの点線ルートがある。
つまりMTBでも遊べると思い、
17年前にそのうちの一本を試したことがある。山頂から友政(とんまさ)城址へ降りる
シングルトラックだ。今となっては記憶も希薄だがあまり乗れなかった印象がある
(現在は道標もあるらしいので遊歩道になってる?)。
そこで今回はなんとか乗れるであろうコースを行くつもり。
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田野山田公民館に停める | 池の横手にある水利施設 |
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市島からぐるーっと回り込んで福知山の田野から登る。田野山田の 公民館の近所にいたおじさんに断りを入れて車を止めさせてもらう。MTBを準備して9時50分スタート。 集落の終わったところに大きな池がある。ここに車を停めてもよかったなあ。 池の横は小規模の採石場跡でその脇から道があるが見えた。どうやら旧の峠道のようだ。そこを行こうかと思ったが 正面に水利施設とその先の道沿いに地図のようなものがあるので とりあえず林道を行ってみる。 |
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林道の終点 | 峠道はこんな感じ |
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地図はすごくわかりやすくて見てよかった。今回の目的はまずはこの福知山の田野山田から 市島町の岩戸寺へ降りる峠を目指す。地図にはそのルートが書かれているのとは別に 周辺のおもしろそうな箇所も書かれていた。今回は行けないがいつか行きたい。
林道には倒木が数か所あり。MTBを倒木の向こうへやり、身体は下をくぐってクリアー。
林道の終点からはいよいよ古道を歩くことになる。MTBは当然担ぎ。
担いでいると視線はついつい下になるが、なにやら白いものが地面に散乱している。
見ると碍子だった。
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分岐(地図の『C』)にある標識 | 木柱の残骸があった |
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岩戸寺から田野へ峠道に沿って電柱があったらしい。後日、田野山田の80才をすぎた方に聞くと 電気を送っていたのではなく電話のそれでもく何かの通信のものだったと言う。なんやったんやろ? 目の前に大岩が現れたら(地図の『C』地点左へ折れる。すると 『岩戸越』の標識があって峠はそこからわずかな距離。
件の老人は戦後まもないころ市島町の神池寺で行われていた盆踊りにこの峠を越えて踊りに行っていたという。
田野山田を午後3時頃に出て向こうで一晩中踊って朝方に帰ってきたと言う。
「その頃は娯楽もなかったからそういうのは楽しみだった。神池寺まで歩いたで」と老人。
ちなみに70才台の人たちは行かなかったと言っていた。
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岩戸越の峠に着。〇印に石仏がある | 今日の安全をお願いする |
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岩戸越(いわとこし)の峠には10時50分。期待していたとおりに石仏があった。里で聞いてしまうと 楽しみが半減してしまうので、聞かないままに来て正解だった。 一つは板碑型の如来で年月日などの銘はなかった。もう一つは舟形の地蔵菩薩。 大きく割れているのは自然でなく明治の初めの廃仏毀釈のためのように思う。 |
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無くなった文字が知りたい | 光背の裏に彫られていた |
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『是より本堂 五丁』とあるのは市島側に下ったところにある岩戸寺のこと。『子 追善』とあるので 亡くなった子供か身内の女性の供養のための石仏なのかもしれない。年号などがなかったのだが、なんと 裏側に彫られていた。『上紺屋町』とあるのは現在もある福知山市の町名。慶応三年は明治になる前の 年なのでこの油屋嘉兵衛さんは明治までは生きていたと思う。
さて、肝心の市島へ下る道だが地形図にある峠から下っている点線のルートは完全に無い。昔はあったのか
最初から間違った記述なのか。どうも後者のような感じがする。で、もう一つの点線ルートである
『あ』まで行ってみた。見た感じ問題無く歩けそうだった。
(翌日、丹波のたぬきさん夫婦が歩いたそうだが良くなかったということだった)
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石仏の背中方向に岩戸寺への道がある | 岩戸寺へ下る道はこんな感じだった |
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どこに道があるのだろうと石仏まで戻ってみたらなんとこちらに道があった。 倒木で入口がわかりにくかったが入ってみると明確な道だった。すこし歩いてみると 広い植林の谷を下っていた。 さて、次は高谷山頂上だ。 |
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頂上にはいろんなものがある | 展望台でくつろぐ |
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MTBを押したり担いだりで『E』の分岐へ。この後ここから県境尾根を北に向かって下る予定だ。 覗いてみたらすこぶる良い尾根で乗れそう。はやる気持ちを抑えて頂上へ。11時50分着。 ここには大小二つの東屋とコンクリート製の展望台がある。その展望台でランチ。
ここからの展望は抜群なのだが、いかんせんかすみがひどい。福知山城は山の陰で見えないようだ。
かすみの中の丹波の山々は昔登ったなつかしの山ばかり。
コーヒーも飲んでオカリナも吹いて、さていよいよだ。
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出だし快調 | 『G』までは良い感じ |
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ここでもうネタばらしすると『E』から『G』までが乗れる尾根だった。 なぜ乗れるのかと言うとこのエリアは田野の山なので管理が行き届いているからだ。 で、『G』からは個人の持山なのではっきり言って激ヤブ箇所もある。 つまりそこからは私の好きなアドベンチャーコースとなる。 それが嫌な人は『い』から左へ下るのが良いかも(走れるかどうかは 未確認。見た感じ良さそうだった)。どうせ普通のMTB'erは舗装路で 山頂まで行くでしょうからこちらへ降りて舗装路に出るのが良いのかなあ。 まあ、かなりのショートコースになってしまうが・・・。
『G』から右折れ尾根は田野の管理が行き届いているので簡単に下れそうだが
下りきる最後の所が危険な激下り斜面なので絶対に行かないほうが良い。
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これはまだマシ | 奇跡的に良いところもある |
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さて、個人所有の藪尾根に入った。当然乗れないところがほとんどで写真以上の藪もあれば 奇跡的に良い箇所もある。MTBで山に行き慣れている人ならわかると思うが 実はこちらのほうが素性は良い。もともと尾根にきっちりとした道がある。残念なことにその上が 倒木だらけということに他ならない。ああ、残念。
『H』から道は深く掘れてそこに倒木が埋まってしまいとてもじゃないが歩けない。 写真の白い矢印を行く。ほんとは地図にある緑点線でエスケープしようと思ったが 終点まであとわずかなのでとりあえず執念で進む。 |
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下りきって耕作地が見えた | 害獣避けのゲートを抜けて農道に |
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13時40分。いつものように全身ゴミだらけで下山。ゲートは施錠されてないものの ロープとか針金で厳重に留められているので外すのがやっかい。遠くから見るといかにも 怪しい男そのものだ。 公民館には14時前。 『G』からの尾根が整備されればすごいルートになるのだが・・・。
今回の高谷山の地図は
こちら(約210k)
でごらんください。 |