はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『大名草』、『矢名瀬』を参照していただくようお願いいたします。 2017.11.26. 日曜日 晴れ 気温 さむい
生野で精錬された銀はどのルートを通って大阪、京都へ送られたのだろうか?調べてみると (長くなるので詳細はまたの機会に・・・)どうやらこれから紹介するルートを通ったらしい。 それは青垣町大稗から山東町与布土へ抜ける山道で途中には峠が二つもある古道だ。 近代になって県道276として整備されようとしたが二つの峠が仇になって?現在に至るまで未成のままだ。
大稗の集落に入ると二股の分岐があり再興寺の三如来を紹介する看板がある。そこを左に折れると
大稗集会所。ここに駐車をすることを誰かにことわりしようかと思ったら
『お杉地蔵駐車場』と書かれていた。つまり杉がたわへ向かう人のための駐車場として
利用できるわけだ。準備をして9時10分スタート。
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大稗の集会所に駐車 | ここを左折!! |
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さて、杉がたわ(県道276)へ向かうには写真のポイントを左折しなければいけません。 右手に防火用水の標識あり。昔はなかった『お杉地蔵』の小さな看板も電柱の根元にある。 どこかのサイトで県道276を探索する人がいたが、このポイントを直進して山の中へ・・・。 普通に考えれば峠を越えて隣町へ行く県道なのに山へ向かうのは変だと気がつかないのかなあ? |
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左折ポイントをまがるとこんな道 | とにかくまっすぐに!! |
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左折ポイントを曲がると耕作地横の畦のような道。(本来の街道の入口はこことは違うようだが そこは完璧廃道状態のようだった)この先に害獣避けの扉があるのでそれをクリアーする。 あとは川沿いをまっすぐに!途中にちょっと崩れかけた箇所があり、そこから右に道があるのだが あくまでもまっすぐに! |
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峠までこんな感じが続く | 峠の直前。祠が見えて来た |
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あとは道なりに。途中には『お杉地蔵』の小さな看板がいくつか設置されている。 道幅は充分に広く、杉の枯れ枝で埋め尽くされて歩きにくいが 整備された昔なら充分に馬での荷運びが可能な街道だと思える。 杉がたわにはいくつかの伝説が残っている。峠の名前になったお杉という女性に関するものだが その1:但馬にいる恋人会うためにこの峠を行き来していてこの先にあるもう一つの峠(けえ坂)で 亡くなるというもの。 その2:但馬で奉公に出ていたお杉が病気の父親の知らせで急ぎ帰るためにこの街道を 帰る途中に雪に阻まれて亡くなるというもの。 その3:さらには最近の説ではお杉は実在の女性で 但馬であった「延享一揆」 で惣代が夫だったために実家のある大稗に逃げ帰り のちに大稗で亡くなったというもの。
駐車に利用させてもらった大稗集会所のポスターには親孝行のお杉さんの伝説を採用しているようだった。
色恋沙汰よりは親孝行のほうが聞こえがいいから、まあ、そらそうでしょ。
杉がたわには9時55分着。そこには問題のお杉地蔵がある。昔はなかった立派な祠におさめられている。 (補助金かなにかが出たのかな?) 右手に錫杖、左手に宝珠を持った地蔵菩薩立像。あたまに地蔵を意味する『カ』という種字。 その下には『天下太平』という文字。 向かって左に『施主 大稗邑中』右に『文政元寅(1818)七月吉日』とあった。
上記の三つの伝説に共通するのはこの地蔵は亡くなったお杉の霊を慰めるものだということだ。 しかし、慰霊のための地蔵に『天下太平』とか『七月吉日』などの文字を当てるだろうか?? さらには実在説だとすると「延享一揆」は1746年の出来事で、 72年もの年月を経てこの地蔵を建立する根拠はあるのか? ここは素直に普通の峠の石仏と認識するほうが良いと思う。 あるいは?!下記の事実に関する地蔵かも・・・。 じつは上記の伝説よりもすごい実話がある。 大稗の古老によると、この大稗集落では10月8日にある村祭りからお正月までに亡くなった人は通常の墓地には埋葬せずに、この峠に埋めてしまうという風習があったそうです。これは昭和初期ぐらいまで続けられたそうで、戦後(昭和30年ごろ?)道普請でこの峠の切通しを下げる作業をした際に人骨がごろごろと出たらしい。 この風習の起源はまったく不明らしくて村の古老もわからないそうだ。 これが忌むべき風習なら話したくない事柄です。 私の解釈はきっと『賽の神』として峠から悪しきものが村に入らないように守ってもらうためのものでは?と古老に話しました。(他地方で同じ風習が説明されているなら教えてほしい)
峠の切り通しは古老の言うように掘り下げられていた。ここに埋葬した理由はなんだったんだろうか?
これは伝説でもなく、いいかげんな実在説でもなく、実際にあったことなのでそちらの伝承を
調べることの方が意味があるように思う。
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悪路の谷道になる | 林道に出て右折 |
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ここからの下りは一気に谷に降りることになる。細くて弱々しいとはいえ流れがあるので 大雨などの影響で道はほぼ壊滅状態だった。林道には10時15分合流。ここにも川があってそれを渡って 林道を右折する。 |
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けえ坂の入口『B』に到着 | そこにある道標 |
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林道を少し歩くだけで次の峠の入口となる。そこには石の道標があり『左 たしま道』とある。 ここが昔の街道だったという明確な証拠。ちょっとわかりにくいが谷の右側の斜面を登っていくことになる。 (添付の地図ではGPSの誤差の関係で谷の真ん中を歩いたようになっている) |
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細いがしっかりした道 | 目の前が峠だ |
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大稗と生野の黒川とはつながりがあったそうで、普通に考えると青垣峠(古名は鳥峠という)を 経由するように思ってしまうが、それはあくまでも現在の道路状況でのはなし。 昔は杉がたわからこの街道を経由して地図の『い』のルートで黒川へ行っていたという。 戦後以降も使って道普請もしていたらしいが黒川ダムも出来、国道429も良くなり、 利用も無くなり今は完全廃道となっている。 |
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けえ坂到着 | けえ坂から杉がたわを見る |
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けえ坂には10時45分着。ここは丹波と但馬の境界で日本の背骨、中央分水嶺でもある。 したがって?けえ坂は境坂と書くのかも。大稗の古老はかい坂と言っていたような(あいまいな記憶)。 ならば界坂と書くのかも。いずれにしても昔からここは国境として認知されていたわけだ。
前述のお杉実在論のお方はここにお杉の娘を慰霊する地蔵があるとか。私は数回ここに来ているが
残念ながら石仏は今回も発見できていません。ぜひみたいのでどこにあるのか教えて欲しい。
と、おもいつつ与布土へ下ってみることに。
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すごく良い道 | 新設林道と合流 |
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峠の下には新設の林道が出来ているのだが、じつはこの峠からもすでに見えている。 その峠道を下る。ここも杉の小枝にまみれているが、これぞ峠道といえる道だ (実際歩いてもらわないとわからないと思う)。 すぐに林道と合流するがその手前が一番荒れていた(林道工事の影響だと思う)。 この新設林道は黒川ダム周回道路の途中から始まり、粟鹿峰の山頂直下を通過して遠坂トンネルの山東町側に至る。 つまりできあがっているのだが一般車の通行は出来ない状況のようだ。 (そもそも何のための林道だかわからないけど) |
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これでも舗装路です | 気をつけないと滑ります |
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この合流点『D』から県道276が復活。しかし、この先で与布土ダムの工事が数年にわたり続けられたこともあり ほぼ廃道となっている。一部崩落箇所もあるし、その先の舗装路の上には小枝が積もっている。水の流れている箇所もあり 気をつけないとツルンと滑りそう。 |
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登山口にあった休憩舎とトイレ | 旧登山道だった林道奥山線を歩く |
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突然三叉路に出る。そこで目に入るものを見て記憶がよみがえってきた。そうそう、ここは粟鹿峰の 与布土登山口だったのだ。休憩舎とトイレの残骸に記憶がある。ここに登山者の車とかマイクロバスが 止まっていたのがうそのようだ。 これをさらに下ると与布土ダムだが、見ると路面自体が崩れているので ダムまでの道路が開放されてもここまで車で来ることは叶わない。
ダム建設の是非はともかくとして、おしなべてダムは観光資源の一つになり得る。その
上流である現在地は昔は粟鹿山の登山口だった。これを復活させればハイカーもやってくる可能性はある。
そして登山道の途中には滝がある。これらを有効利用しない手は無いと思うのだが。
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滝の横手、林道脇にある妙見菩薩 | 奥山双龍の滝 |
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ひさびさにその滝を見に行ってみる。林道は予想どおりに荒れていた。 一部川側に崩れている箇所もある。林道脇にあった妙見菩薩の石仏は無事だろうか? 林道脇にあった石仏はなんとか無事だった。年号も寄進者も記載が無いのでわからない。 道が通行不能になった今となってはお詣りする人もなくてかわいそう。 滝を正面から見たくて川に降りてみる。現在は『奥山双龍の滝』と言われていますが、 江戸の昔は『妹背の滝』と言われていた。紅葉の名残の中、独り占めの滝見物となった。 この時点で11時40分。この先どうしようかと思案。いったん黒川ダムへ出て、再度けえ坂に 戻ることも考えたが寒いし、雨も降りそうだったのでピストンで帰ることにする。 大稗の集会所には14時すぎだった。
今回の杉がたわ〜けえ坂の地図は
こちら(約470k)
でごらんください。 |