はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『宮田』、『村雲』を参照していただくようお願いいたします。 2017. 4.23. 日曜日 晴れ 気温 ふつう
このレポートは2009年に歩いた 三嶽〜小金ヶ嶽 とまったく同じコースです。時期も同じ、つまり8年ぶりの再訪ということになります。 前回は団体で歩きましたが、今回の同行はTQFさんです。
まずは鼓峠から三嶽まで登るのですが、山頂から西に向かって西ヶ嶽へ向かうか、反対に
東の小金ヶ嶽へむかうか・・・。TQFさんに相談すると小金より東へ行ったことが無いというので
8年前と同じく岩門コースで下山することになった。
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害獣避けの金網を通過 | 尾根はまあまあ快適 |
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前回と同じ鼓峠からちょっと下った所にあるスペースに駐車。道路沿いにはシャクナゲがきれいに 咲いているがこれから登るルートではどうだろう?9時10分スタート。 鼓峠の入口には前回なかった害獣避けの金網が張り巡らされていた。丹波周辺の山はほぼ完璧に 金網に囲まれている。その ゲートを通過するとコースが猪に掘り起こされてグジャグジャ。やっぱり金網は必要なんやねえ。 |
こんなところもある | シャクナゲとヒカゲツツジ |
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植林が終わると雑木となり傾斜も一気に急になる。 やがてシャクナゲとヒカゲツツジのジャングルとなってくる。 が、時期が早かったのかヒカゲは咲いているがシャクナゲがまだだった。
これまでで一番良かったときは、ヒカゲツツジ、シャクナゲ、タムシバ、コバノミツバが 同時に咲いていたとき。そんなラッキーな年もあったが今年はちょっと訪れるのが 早すぎた感がある。しかしこの小さな花園には 二人のおっさんだけ。とにかく誰もいないのが静かでとても良い。
傾斜も急なのでシャクナゲとヒカゲの幹、枝をつかみながらよじ登る感じが続く。
突如稜線に飛び出て目の前に登山道が現れる。昔は草をかき分けて登山道に出たのだが まったく下草がなくなっていて、もうすぐかなあ・・・と登っていたら、ありゃまあ、登山道ですがな・・・と たった数年で驚く変化だ。 我々が飛び出たすぐ近くにはこんなケルンがあった。それぞれの方向を示しているように見える。 |
行者堂を通過 | 山頂着 |
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役行者像が祀られているお堂前を通過。左下は火打ち岩からのコースで登ってくるハイカーがチラチラ見える。 一等三角点のある山頂には10時35分。ここも展望が良い。ゆっくりしたかったが続々と ハイカーたちがやってくるので早々に退散。 |
山桜がきれいだった | いやな階段 |
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登山道の周辺は下草が皆無。植生も昔とは違っているようだった。 ここから大タワまでの下りが私にとっては難所。 いやな階段下りが延々と続く。 |
フォレストアドベンチャー | 道標をたよりに施設に入る |
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登山道は正面。左に入るとダメ | おもしろそう |
大タワには11時15分。TQFさんがしきりに「お腹が空いた」というので駐車場で おやつを食べる。駐車場は満車だったがすべての車がハイカーではない。 そのほとんどが駐車場の正面にある『フォレストアドベンチャー』のお客のようだ。
子供といっしょに遊ぶのならおもしろそうだが、おっさん二人できゃーきゃー言うのは
不気味な感じが否めないのでパス。登山者用の道が設定されているので
その標識に従ってフォレストの施設を通過する。
暗い植林帯を抜けると明るく開けた岩稜となる。鎖のあるアップダウンが いくつかある。ここも多くのハイカー(なぜか熟年ばっかり)が行き来していて、おばちゃんたちが 鎖斜面を降りきるのを待たされることになる。 |
こんなところがいくつもある | 振り返って三嶽を見る |
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小金の山頂はきっとハイカーがいっぱいだと思うので 岩稜コースのどこかで食事をしようと言っていたのに気がついたら小金の山頂に到着していた。 12時15分。
予想通り幾人かのハイカーが食事の真っ最中。片隅に座って食事をするも 大きな声で話をしているハイカーのつまらない話が嫌でも聞こえてくる。 やっぱり人の多い山は苦手やなあ。 |
小金ヶ嶽を振り返って見る | ここもヒカゲツツジが多い |
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食事を済ませて出発。山頂にいたおじさんが「あんたら、どこに行くんや」と聞くので「途中から川阪に下山します〜」と 答えたが岩門コースは知らないだろう。
小金から東のルートは道幅も狭くて左右から枝も張りだしている。
当然ハイカーの往来も少ないと思っていたらけっこう向こうからやってくる。
どこからの出発だろうか?筏見四十八滝からかな?
我々は筏見四十八滝まで行かずに別途地図にある『E』から下る。昔と違って なにかマーキングでも出来ているかと思ったが何もなかった。今でこそGPSで なんとか下れるが地図とコンパスだけでは難しいコースです。 下って行くと正面に岩の塊が行く手を阻みます。が、右に回り込むとそこには 人がくぐれるだけの穴がポッカリと空いています。これが『岩門』と呼ばれるポイント。
自然にできたものにしてはあまりにも出来すぎ!どう考えても人の手によるものだろう。
横手には屹立した岩峰もあって、修験道が盛んな頃はきっと行場の一つだったはず。この先には
川阪砦跡がありますが、ひょっとしたら砦以前は庵かなにかだったかも。
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川阪砦跡に受信施設が出来ていた | 斜面も激下り |
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『G』のピークが川阪砦跡。13時35分。ここも劇的変化していた。テレビの共同受信施設が 出来ていた。設置のプレートはなかったがポールの製造年号は2010年となっていた。 以前からちょっとひっかかっていたのがこの砦跡。たしかに曲輪跡もあるのだが、砦跡にしては いかにも街道から遠すぎて、有事の際も行動が取りにくい。先ほどの岩門とその上にある修験の尾根 (多紀連山の東は胎蔵界廻りと言う行場)から 想像してこのピークは砦の出来る以前、小さな寺あるいは庵、修験の基地だったのでは?
隆盛を極めた丹波修験道は1482年に大和修験道との争いに敗れて焼き討ちされてしまう。
争いの理由は簡単、今風にいうとヤクザの縄張り争いと同じ。その後にこのピークを砦として
利用したのではと勝手に想像。
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鞍部に着。登り返すと『みはらしの丘』 | 『みはらしの丘』もとは秋葉神社 |
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みはらしの丘から里を見る | 県道から見る |
砦跡から下りきると植林の中の鞍部となる。左右にある道は兵庫県が整備した『篠山市川阪・しみずの森』 。とうぜん誰も知らない遊歩道で、単に関連業者に金を落とすためだけに作った施設。以降の整備は されてないのでほぼ藪。さすが!兵庫県! みはらしの丘から見える山は中央分水嶺の西山だ(右奥)。最後の水分補給後 みはらしの丘から下山。散歩コースにはぴったりだから利用したら良いのにねえ。 降りてから別荘地帯を抜けるのだが別荘の人とちょっとお話して駐車ポイントには 14時20分。
今回の鼓峠〜三嶽〜小金ヶ嶽〜岩門の地図は
こちら(約350k)
でごらんください。 |