はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『村雲』を参照していただくようお願いいたします。 2017.12.17. 日曜日 晴れ 気温 ふつう
明治の地図を見るとこの山頂直下に鳥居のマークがある。また兵庫県の遺跡史料には 『清滝寺跡』とあった。それで清滝山という山名があるのもわかった。現在の地形図にもその ポイントに向かって数本のルートが書かれている。 ネットで調べてみると鳥居マークには『清滝観音堂』が現在もあり、小立という集落から登れるようだ。
集落のはずれにある三叉路にスペースがあったのでそこに駐車。9時5分スタート。
歩き始めてすぐに長福寺がある。外見は大きな家という感じでお寺には見えない。
大勢の人たちがいたので聞くと、今日はこのお寺の掃除らしい。集落の名前は小立なのに寺の山号は大立山というのも
ゆかいだ。
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長福寺の前を通る | 登山道=参道なので快適 |
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お寺の前には看板がありそれには『岩井山古墳群』なるものの案内があった。 それにはこの先に八幡神社がありその周辺に古墳群があるという。立ち寄りたかったが 時間の関係でパス。
さらにあったのが『お知らせ』と書かれた小さな看板。それによると観音堂は毎月18日に
ご開帳があったとある。しかし、周辺地域の高齢化のために平成28年から隔月になっているという
案内だった。ここにも高齢化の影響が。しかし、それまでは毎月やってたというのがすごい。
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途中にある毘沙門の洞窟に立ち寄る | おお!なかなかのもんだ |
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八幡神社の分岐を過ぎ、害獣よけのの扉を通過、ため池を過ぎた頃に右手に分岐がある。 これが毘沙門山への入口。階段とか手すりは完全ハンドメイド。お年寄りのための手すりだろうが ちょっと危うい感じもする。どこまで登るのかわからなかったがすぐに到着。 修験の修行にはうってつけの洞窟がそこにあった。
当然だがそこには毘沙門天の石仏があった。基台には『村内安全』『明治十三年八月』とあった。 ただその像様がおもしろい。右手に剣、左手に宝塔を持っているのでかろうじて 毘沙門と思えるが、姿形は兜もかぶっていないし武神のそれではない。
観音堂の参道に戻り先を行く。小橋を渡ると三叉路になった。右方向はちょっと悪路っぽいし、 左方向には人の気配がするのでそちらへ歩いてみる。 |
間違って垂水方向へ歩いてしまったら | 観音堂方向は急登りになる |
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きれいな道で正面に人がいた。聞いてみるとこちらは垂水集落へ行く道で、道の整備をしているという。 観音堂へは先ほどの分岐を右に行くべしだった。つまり観音堂は垂水と木立の両方で管理しているということらしい。 早速戻って進んでいく。 |
岩盤にステップが設置されている | 山名由来の清滝?? |
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それまでの参道がきれいだったのでMTBで乗れそうかと思っていたのだが分岐からの 参道はけっこう荒れ気味だった。お年寄りにはたいへんな参道だと思う。 ステップの刻まれた岩を越えた頃から右下に落水の音がする。覗き込んでみると 小さな滝があった。足場が悪くてカメラのアングルがどうにもならない。 参道の途中から沢に入れそうだったのでそちらに行けば良い写真が撮れるかも。 |
まもなく観音堂。右下には・・・ | 平坦地がある。これも寺跡らしい |
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滝付近を越えると道はまた良くなってくる。まもなく観音堂という頃に右下には広い平坦地が見えた。 長福寺で聞いてた箇所だ。遺跡史料にもある清滝寺跡はここのことだと思う。 |
観音堂に到着 | お堂の中はこんなふう |
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寺跡を下に見ながらグルーーっとターンして登り切るとそこが観音堂のある大きな 広場だった。右手にある廃屋は篭もり堂だろうか? 篭もり堂と観音堂のあいだにあるのが石の手水鉢。『文化三寅(1806)五月日 小立村 観音講中』とあった。
毎月にご開帳があるためかお堂の内部も畳もきれいだった。
ただ、今年末の台風かなにかの影響でお堂の屋根に倒れた木がもたれかかっている。
それは細い木だったが横手の大木は違う方向に倒れていて幸いだった。
山頂への道は本堂右手奥にあるようだが左の斜面から登ってみようと思う。 そこからだと観音堂全体が写ると思うからだ。 倒木の脇から斜面をよじ登って行く。到達したピークになにかあるかと期待していたが 倒木まみれでなにもなかった。 |
清滝山の山頂 | 稜線にあった不思議な岩 |
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山頂の手前から県守へ下るルート『い』があるようだが未確認。三角点のある山頂には 10時25分。ここは真っ平らでなにかあったような雰囲気が濃い。 さて、ここからどうするか?とりあえず稜線を西に向かった歩いてみる。
稜線は何カ所か倒木帯もあるが歩くには問題はない。尾根の真ん中にミルフィーユの
ような岩が転がっていた。火成岩の一種?
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岩を組んだ祠あり | 首の無い役行者 |
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どこまで歩こうか?適当なところで下山しないと帰りが遠くなる。新田山へ 向かう分岐からちょっと南に506ピークがあるので立ち寄ってみた。 するとそこにはお宝が!
これだけの祠を組むには相当の労力が必要だと思う。いつぐらいのものか
しばらく周辺を観察したが不明。ならばここから下山してふもとで聞いてみよう。
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参道も残っている | これも古墳らしい |
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昔はちゃんとお詣りしていたようできっちりとした参道が残っていた。 ただし、長年利用されていないために崩れたり、木が生えていたり、石がごろごろ していたりで結構な難路になっている。
ほぼ下りきった箇所で道は直進と左手の二手に別れていた。直進を選ぶがそこには
石組みの箇所がある。後で調べるとどうやらそこも古墳らしい。
篠山の山はほぼ全域にわたって害獣よけの金網で覆われておりここも例外ではない。
でもちゃんと出口があってそこから県守の村に出る。
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出口にあった小さな祠 | 道路から振り返って見る |
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出口に民家があってちょうどおばさんがいたので話をしてみる。 頂上にあった石の祠と役行者像のことを言ってみたがまったく知らないという。 女性はよそから嫁入りしてくるのでこういうことは知らないことが多い。 残念だがスタート地点の小立へ歩いて行く。 今回の宿題としては清滝の観音堂へ向かう途中にあった滝の確認。さらに観音堂から山頂へ向かう正規ルートの確認。 『い』のルートがあるかどうかの確認。垂水の集落からの参道の確認。 はたしてそれらを確認できる次回があるかどうか??
今回の清滝山の地図は
こちら(約200k)
でごらんください。 |