熊野神社跡〜井尻山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『矢名瀬』を参照していただくようお願いいたします。

2017. 5. 7.  日曜日  晴れ  気温  ふつう

最近、古書店で購入した『兵庫のふるさと散歩(5.丹波編)』(兵庫県が企画で昭和53年発行)の159p、 熊野神社(今出権現)の項にこうある。

往古は、今の社より十八町ばかり奥。井尻谷より上る。山八分にあり。 古跡に二間四面の岩の洞あり。この岩に燈明の光あり。 尋ねて登り今の所に斎き奉る。古跡の麓に滝あり。また三丁ばかり口に御手洗という池あり。 古に井尻奥より猟師王子七兵衛という者負い奉り出給う時、今出と宣う故、今出権現と称し奉るなり・・・と。

この熊野神社とは青垣町遠坂字今出にある。ここには『今出せせらぎ園』という お蕎麦屋があって、ちょくちょく行っていたこともあり 神社の存在ももちろん知っているのだが、上記のような故事があるとは知らなかった。 (実は神社にある由来板にも書かれていた)

熊野神社横の駐車場からスタート『今出せせらぎ園』というお蕎麦屋

この時点ではその神社跡がどこにあるのかはわからなかったのだが、ネットで調べてみると 最近そこまでのルートが地元の人たちによって整備されたらしい。こういうのは大好きなので さっそく出かけてみる。現在の熊野神社横にある駐車場から 9時45分スタート。スタートしてすぐにあるのが『今出せせらぎ園』というお蕎麦屋。 周辺には『ふれあい広場』という散策できる遊歩道もある。
前回来たときはこのへんは工事中だった『遠坂アサヒの森づくり』の看板がある

このへんは 2004年に訪れているのだが 、当時は砂防ダムの工事中で井尻谷なども知るよしも無く通り過ぎている。 今回は地形図をにらみながら注意して歩いていたが『遠坂アサヒの森づくり』の 看板があって難なくわかった。看板によると2009年に某ビールメーカーとの協力のもとの 事業だったようだ。
神篭り滝対岸に道は続く

谷に入って しばらくすると右手に滝があった。これが本にあった滝だと思う。神社の由来板には『神篭り滝』という 名前もあった。正面で見ると小さな滝だが奥を覗くと4段ほどの段瀑となっているようだ。 神社跡の洞はこの滝の上流にあるはずだが、道はいったん対岸へと移動する。
ここが難所かな

良い道が続くと思ったらいきなり倒木が立ち塞がる。抜けようともがくが、ふと 見ると靴にはマダニが数匹、山ヒルが数匹。しかも倒木をクリアーすると そこは崩れた斜面にかろうじてある踏み跡。ロープもなんだかたよりなくぶら下がっている。
この右下は『神篭り滝』。足もと注意こういう目印が何カ所かある

ぐるーっと斜面を回り込んでどうやら元の井尻谷に戻ったようで、滝の落ち口がそこにあった。 整備された?道の 所々にパウチされた紙の目印がある。どうも各班ごとに道を整備していったようだ。 5班、4班、3班、2班、1班、そして1班おわり・・・と、ここで洞があるはずだが 周囲には無い。もう少し上の方かと思い周囲に気をつけながら登っていくと・・・。
最後の標識から左上に登るとある中には真新しい石の祠

真っ黒な口をあけた洞がありました!旧熊野神社の岩窟には11時。神社の由来によると亀山天皇(1259〜1274)の時代に 紀州熊野神社より分霊を勧請したという。その後長禄三年(1459)九月十八日に現在の地に 遷座した・・・と、あまりに詳細な日にちなので妙に真実味がある。 しかし、ここまでお参りに来るのは大変やったやろうなあ。

中には真新しい石の祠と天井には数匹のこうもり。岩窟の表には古い祠の残骸もあった。 村の人たちが2009年に整備したあと何人の人が訪れたのだろうか? せっかく整備してもその後の活用のアイデアとかが無いと荒れ果てて結局こうなる。

ここからなんとか130mほどの高度を登り切って尾根に出たいのだが、いかんせんめちゃめちゃ 等高線が混んでいる。つまり激斜面なので登るのがたいへんだった。 普通のハイカーにはぜったいにおすすめできない登りです。

653の手前でランチ『E』から伐採尾根

653の手前が展望がよかったのでここでランチ。ここでちょっと思ったことがある。 整備した人たちの資料ではこれから向かう662.4mの三角点ピークを井尻山としているのだが、 このピークは古くからカラコ山として知っているピークで井尻山というのは初耳だった。

たとえば山屋さんたちがピークに山名を付けるときは、そのピークの直下にある谷の名前を 使用したりする。つまりこの場合653のピークを井尻山とするのが普通だし、 カラコ山は井尻谷から離れすぎている。 お寺の山号もその真上にあるピークの名前とリンクしているのが普通だ。

ネットのある伐採地から東方向を見る。ただしカスミがひどくて遠望がダメ

ランチを済ませて653ピークを過ぎるとネットのある伐採地に出た。 当然ながら展望は良いのだが、なにしろカスミが ひどくて遠くがまったく見えない。あきらめて進むとそこはもう中央分水嶺だ。
中央分水嶺に出てすぐに見える西側

しばらくは日本の背骨である中央分水嶺を歩くことになる。今自分は日本の背骨を歩いているんだと 思うだけでもわくわくする。ここからは西側が見える。希望としては竹田城趾を見たいのだが、 金梨山の裏側なのでまったく見えない。

そして三等三角点のピークには12時40分。 ここの点名は『柴』と山東町側の地名が使われている。山名はなんかの本に書いていたと 思うのだが『カラコ山』だったので、前述の井尻山という山名に違和感がある。 そもそもこのピーク周辺の字がカラコなのでカラコ山になったのだろう。 ちなみに熊野神社跡の岩窟周辺の字は深山となっている。

651ピーク手前から粟鹿峰を見る

651ピークを越えれば下山に使う鞍部となる。ここからは粟鹿峰がよく見える。もちろん粟鹿峰も 中央分水嶺のピークです。
下山鞍部『G』に着きました。白い方向へ下ります

鞍部『G』には13時10分着。古地図などで確認してもここが峠とは書かれていないのだが どうみても峠のように見える。試しに黄色矢印方向を見るとちゃんと道があって山東町側へ下っている。 これでここに石仏とか祠とかがあれば間違いなく峠と言えそうなんですけど・・・。
谷をまっすぐに下りますここには橋がありました

2004年のときは快適な道だったと記憶しているのだが、十数年経ってみると だいぶん荒れている。利用する人がいなくなれば荒れていくのは当然だが・・・。 しかも何度か水害もあったし・・・。 荒れていると歩きにくいのは当然だがヒルがいるので無理してでも足早に下って行く。 そして唐突に林道に飛び出る。
井尻谷の入口を通過熊野神社

駐車場には14時20分。無事に下山できたことで神社にお礼を言う。 この神社はもともとは但馬の国つくりの祖である大多牟坂王(おおたむさかおう)を 祀った古社であったが前述のように勧請された熊野権現(イザナミノミコト)が主神となったために 現在は境内の摂社のようになっている。 ちなみに遠坂とう地名はこの多牟坂(たむさか)からきているようだ。

元熊野の岩窟、神篭り滝、山東へ抜ける峠のこととかを詳しく聞きたくて社務所に立ち寄ってみたが お留守のようだった。

今回の熊野神社跡〜井尻山の地図は こちら(約300k) でごらんください。


それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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