キリズメ行者山〜西光寺山〜加東神山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『谷川』を参照していただくようお願いいたします。

2016. 1.31.  日曜日  曇り時々晴れ  気温  寒い

この山行きはシリーズものになっています。端的に言うと黒田庄の荘厳寺から社町の朝光寺までを尾根伝いに 縦走しようというものです。何回で達成するという計画などはまったくなく、連続性もなく、思い立ったときに あっちから登ったり、こっちへ降りたりとルートも虫食い状態です。 とりあえず前回の比延峠〜キリズメ行者山 の冒頭部分に初回からのリンクを貼っていますので見てもらえればだいたいの様子がわかると思います。

で、今回は前回の続きとしてキリズメ行者山から西光寺山を目指します。キリズメは現在、西脇市住吉にある水車村から のルートが整備されていますが、前回磐座周辺をつぶさに観察すると正規の参道は どうも違うように思えた。キリズメの出入り口である石段の方向からして、どうやら机峠の入り口付近から旧参道があるようだ。

机峠入り口近くにある墓地ここが分岐だ

机峠の入り口近くに墓地があってそこに駐車。じつはこの墓地は水車村の住人Kさん一族の墓地で、 200年前、但馬よりこの地にやってきたご先祖から数えて7代目がKさんその人で、水車村からキリズメ行者山の ルートを整備した人でもある。同行のTQFさんと準備を済ませて8時半スタート。

机峠への峠道は一部送電線の巡視路も兼ねている。歩き始めてすぐの所に『奥多々良木線 78』鉄塔がある。 鉄塔を過ぎたらすぐに峠道と参道との分岐なので要注意。ちなみに机峠は聖徳太子の故事で有名です (前回のレポートをご覧あれ)。

途中から道は良くなるあっという間にキリズメに到着

分岐に間違いはないのだが参道は荒れている。が、しばらく辛抱すれば劇的に良くなってくる。 こちらの方を整備したほうが良かったのでは?と思えるほどだ。 前方に見覚えのある石組みが見えてあっけなくキリズメ行者に到着。9時ジャスト。 役行者と不動明王の石仏のあるキリズメだが前回たくさん写真を撮ったので今回は素通り。
机峠から続く稜線と合流(別途地図の『B』)

この行場がいつの頃からあったのかはわからない(またKさんにでも聞いてみるか)が 明治以前からのものなら間違いなく荘厳寺と朝光寺の仙峰修業の行場の一つだったことは 間違いないだろう。

磐座の脇にある小道(西光寺山の標識がある)で登って稜線と合流。9時15分。 稜線はユンボで造られた人工的な道が机峠から続いている。篠山市側の山腹にある ゴルフ場が造られた際のものだと思うのだが地図の『C』まで続いており、そこから 南へ下って行く。(昔、MTBでたどったことがある)

ウバメガシの小道となる祠の裏から山頂へ

ユンボ道との分岐(別途地図の『C』)を過ぎるとがぜん山道らしくなる。 しばらくで西脇からのコースと合流。そのまま一登りで山頂となる。9時55分。 山頂に着いたからと言ってのんびりはできない。これから西光寺屋敷跡へ行き、加東神山を経て もう一度この山頂に戻ってくる予定だ。

山頂から下って行くと左手に今田町からのコースと出会う。そのまま素通りして下りきった所が 写真の分岐地点だ。木の幹に黄色のテープが巻かれておりその先にあるコースの説明も書かれていた。 正面のルートに『洞ヶ山経由 加東神山』と書かれていることから最近のもののようだ。 我々は左の巻き道で寺屋敷跡へ行く。
広い敷地に礎石が残っている

最初に現れる広い敷地には礎石と思われる表面が平らな石が点在している。 『丹波合同1000人ハイキング記念』『平成1年5月14日』という木柱も長い年月にも かかわらずまだ残っていた。

その先にある空間は雑木にまみれているが、それらの木がなければそうとうに広い 敷地です。古い看板には『僧屋敷跡』とある。この周辺に四十八坊あったかどうかはわからないが 周囲の様子からすると広大な寺院だったと思える。

井戸跡横にある大岩。水が湧き出ている

その先で単独ハイカーと出会う。ちょこっと話をして一段低い井戸跡ポイントへ行く(看板はなくなっていた)。 いくつかの大岩があり、その一つは縦に割れ目があってそこから水が湧き出ていた。 その有り様を今風に言うならば『陰陽石』ってとこか。
加東神山へ向かう加東市最高峰

そのまま西へ向かうと加東市、西脇市、篠山市の三市境界に到着する。10時45分。 ここは加東市にとっては最高峰だそうで「まちづくりのシンボル」と銘打って 命名を募集したところ『加東神山』となった。

でかんしょ街道(国道372)で加東市から篠山市に抜ける峠を神山峠(こうやまとうげ)というのだが 『加東神山』はこれから採ったのかなと想像する。ところがこの峠のちょうど南側には標高 551.8m、三等三角点、点名『北山』があってここを『神山』と呼ぶ人もいる。 となると、神山峠を挟んで二つの神山が存在することになったわけだ。 加東市の市職員の人はそのこと知ってたんかなあ?

加東市ががんばって命名したものの、西光寺山はもちろん隣にある洞ヶ山よりも低く、展望も皆無となれば ごく普通のハイカーにとっては魅力ある山とは言えないかも。長居しててもおもしろくないので 洞ヶ山経由で西光寺山へ帰る。

洞ヶ山にある石碑

めちゃ展望の良かった洞ヶ山は今はプチ藪の山頂となってしまっている。そこには石碑があって 正面には『南無妙法蓮華経 洞ヶ山西光寺諸死精霊』とある。横手には『大正二年旧十二月廿二日改祭  昭和二年五月二十五日建之 畑〇〇』とある。この文言と年号の意味は・・・。

大正三年、この山に長年にわたって籠もっていた畑某がいた。ある日、謎の修験者が現れ「旧12月23日に諸死の精霊 (西光寺は源平の合戦より数えて4度の戦禍で多くの死者があった)を供養したい」と申し出て 姿を消す。畑某は亡くなったがその縁者の畑〇〇氏が昭和二年にこの石碑を建立したという。 上記石碑の文言と二つの年月日はこの由来による。(以上、藤本忠男氏のHPによる)

この石碑は洞ヶ山となっているが元々は天台宗で金鶏山という山号であった。やがて 真言宗となったために宝螺ケ山(洞ヶ山)西光寺となりその山号がこのピークにあてられたようだ。

西光寺山に戻る西脇コースを下る

この洞ヶ山の進行方向に対して右下が寺屋敷跡だがさきほど出会った単独さんのラジオが うるさく聞こえてくる。山で聞こえるのは鳥の声とやまあそのオカリナぐらいがちょうどいい?

西光寺山の頂上には11時15分。東屋でランチとする。いつもなら山頂からの展望を写真に撮るのだが かすみがひどくてパス。ここからは肉眼で御嶽山(西国33所の播州清水寺)の建造物も見えるし、 松尾山(高仙寺)、 和田寺山(東光寺)、三草山(朝光寺)、妙見山(荘厳寺)、白山(権現堂)なども 確認出来る。つまりは修験山岳道場のど真ん中に位置する山だと言える。

下山コースは10年ぶりの西脇コースだ。記憶がまったく飛んでしまっているのでまったく新鮮。 良い道やなあと言いながら下る。途中の分岐(別途地図の『J』)から正規コースを離れて 西尾根に乗る。この尾根は10年以上前から気になっていた尾根だ。

正規コースから初めて歩く尾根へ

最初はMTBでもOK中盤から難路っぽくなっていく

10数年前にこの尾根を見たときになんだか楽に歩けそうな雰囲気がした。今日それを実践するわけだ。 しばらくはMTBでも行けそうな感じ。ハイカーによるマーキングは無し。 こりゃいいやと進んでいくものの徐々に藪っぽくなってきた。まあ歩きだからいいっか。
点名『秋葉北谷』そこから見える展望

地形図を見てもらうと簡単そうに見える尾根だが藪ってくると同時にわかりにくい箇所もあったりする。 とりあえずは三角点ピークまで行こうということで四等三角点のある点名『秋葉北谷』まで歩く。 そこには12時55分。点名からひょっとして祠か何かがあるのでは?と期待したが 何も無かった。
シダにまみれる田んぼのあぜにこんなものが

『秋葉北谷』に来る途中で確認していた支尾根で下って行く。ここも途中まではよかったが最後は シダの胞子に包まれながらの下山となった。下界に降りて金網のゲートを開けてやれやれ。 13時25分。 あとは小学校前に駐車しているTQFさんの車まで歩くだけと思ったら田んぼの畦に石碑が! 『西光寺山御宝塔登り口』とあった。

民家のおばあさんに聞いたところ50年ほど前に造られたとのこと。けっこう最近のことなんやな。 場所はどこやろと調べたら西脇コースの途中にある『こぐり岩』の近く。『南無妙法蓮華経』と 彫られた題目塔のことのようだった。

さて、いよいよ三草山のゴールは近い!

今回のキリズメ行者山〜西光寺山〜加東神山の地図は こちら(約380k) でごらんください。


それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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