はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『北条』を参照していただくようお願いいたします。 2016. 1.17. 日曜日 曇り 気温 寒い
氷上のたぬきさん夫婦が干支の山である猿藪に登ったとfacebookにアップしていた。それを見て、 今年は申年だったと今更のごとく気がつく。自分の古いレポートを調べるとこの庚申山に ちょうど12年前に登っていた。そのときはけっこう藪っていたが、12年後の 今はどうだろう?さらに藪っているのか、あるいはルンルンルートになっているのか? 今回は単独ではなく、作畑ガールとたぬきさん夫婦とで賑やかに行ってみたい。 |
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今回はここに駐車 | 前回はここに止めさせてもらった |
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前回は庚申堂参道入り口にある民家の駐車場をお借りしたが、今回はちょっと離れた所に ある墓地の駐車場を借りる。8時55分スタート。 集落の中の細い道を歩いて参道入り口に到着。そこには『石部・庚申の杜』『殿原のイチョウ』の 二つの看板があった。 |
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12年前どおりの参道 | あっというまにお堂に着 |
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庚申堂には9時10分。ここの正式名は『青面山清水寺庚申堂』という。 本来なら清水寺に対して付けられる山号のはずが、 青面山なっているのはいかにも庚申堂に対する山号のように思えて、 寺よりもお堂のほうに重きが置かれているようだ。この庚申堂は10世紀半ばに紀貫之に よって建てられたと案内板にある(ほんまか?)。 そのお堂の中には十一面観音と青面金剛が祀られているというのでいつの日か観てみたい。 | ||
お堂の右手奥にはわき水がある。その上には不動明王の石仏もある。 このわき水から清水寺という名前になったのかも。さらには県指定文化財になっている 銀杏の木がある。お葉付きイチョウなのだがここを訪れるのはいつも冬場なので肝心の 葉っぱを見たことがない。
件のイチョウは写真のようにとてもでかいのだが案内板に樹齢が書かれていない。
で、樹齢を推理してみるのだが、ここは一度
火災で焼失していて、寛文年間(17世紀後半)に再建されている。
その再建時のものだとすると樹齢は300年ほどとなり見た目と合致する?
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いきものふれあい広場へ向かう | その広場から山頂へ |
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庚申山の頂上へ向かうためにこの遊歩道の最上部にある『いきものふれあい広場』へ行く。 遊歩道は左右上下に枝分かれしているが、上へ上へと行けばその広場に行くことができる。 そこは展望も無くベンチが置かれているだけ。そこからプチ藪をかき分けていけば わずかな距離で山頂に着く。 | ||
山頂には9時半。なにか特徴的なものがないかと三人が周辺をうろうろ。 結局何も無く、くつろげるスペースもない山頂だということがわかる。 | ||
ところが三角点ピークへ向かって少し歩いた所はあきらかに何かあったような空間だった。 ふと足元を見ると杯とか瓶子の欠片とかが転がっていた。 どうみてもなにかしらの祭祀場所跡のようだ。 |
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昔の藪尾根がうそのよう・・・ | 236は癒やしのピーク |
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昔、倒木とか藪で難渋した尾根が あ〜ら不思議、めちゃ歩き良くなっている。藪だと思っていたのでたぬきさん夫婦しか 誘えなかったのだが、これだったらもうちょっと大勢で歩いてもよかったかも。 236ピークはこれまでどおりにアベマキなどがあるくつろげる空間だった。 実はここの地面は不思議な色をしている。 思い出したのは生野ダムにある小豆坂だ。そこと同じような小豆色した土なのです。 |
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三角点ピーク『大内』 | 12年前の『大内』 |
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三等三角点『大内(おおち)』には10時42分。ここも昔とはずいぶんと様変わり。 ここからまっすぐに西へ向かえば猪坂峠だがここより北方向に進路変更。 |
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大内からの北尾根も快適だった | 多少シダがあっても問題無し |
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天雲山(てんぐんざん)には11時。ここはすばらしい展望地です。 西を見ると電波塔のある加西の深山。北には笠形山、鎌倉山も近い。 初日の出を見るにも絶好地だと思うのだが、訪れたような形跡(初日の出につきものの焚き火跡)がない。 そのわけは後でわかるのだが・・・。
お昼までに下山するという計画だったのでここでお茶することに。たぬきさんが持参して
くれていたぜんざいを温めてもらいいただく。11時40分下山開始。
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激下りの管理道。転けると危険 | 金網扉を抜ける |
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展望山頂のちょっと下に電波塔がある。庚申山からそこまではルンルンルートだったのに電波塔から はいきなり悪路となる。電波塔があることから管理道だとは思うのだが傾斜が急な上に いわゆる斜面そのものなので気を抜くと滑る。12年前はここにステップが刻まれていたのだが・・・。
山頂での話題に戻るが、初日の出を拝むにはもってこいの山頂だが、この道を真っ暗な内に上って安全に下る
のは高齢者の人にはきつい。初日の出に登る人があったとしても村総出でわいわいというわけには
いかないと思う。
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先ほど登った天雲山にはこんな言い伝えがある。保元の乱(1156年に皇位継承を巡って後白河天皇方と崇徳上皇方 に別れての戦。藤原氏、平氏、源氏もそれぞれが別れて戦うことになる)の敗戦で、敗れた崇徳上皇に組みした 源為成がこの地へ落ちのびて来て隠れ住んだものの、自らは捕まるが我が子為教を この天雲山に隠したというもの。 この神社には負けた崇徳上皇と源為成を祀っているのだが、境内にある案内板にはなぜか為成が 為茂と名前が変わっている(ちなみに源為茂なる人物は存在しない)。案内板には 『為茂郷の五輪塔』なるものもあるのだが境内では見つけることができなかった。 近くの民家で聞いてみると神社よりちょっと奥(谷の奥?)にあるらしい。 帰路にもいろいろとおもしろいものがあったがそれは割愛。駐車ポイントには12時45分着。
今回の庚申山〜天雲山の地図は
こちら(約350k)
でごらんください。 |