はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『但馬竹田』を参照していただくようお願いいたします。 2015. 4.16. 木曜日 晴れ 気温 あったか
13年前に初めてこの山に登りましたが、そのときに偶然発見したのが千眼寺という寺跡。 下山後、地元の人にこの寺に関するおもしろい逸話を教えていただく。 それはこの寺が竹田城の水源であったということ。ここから城まで水路が作られていたという。 その水路が断たれたために落城したという話でした。
いつか再訪したいと考えていましたら、生野のジローさんの知り合いである竹田のMさんからこの寺跡を案内してほしいという
申し出があった。こちらとしては渡りに船なのでみんなの都合に合わせてこの日になる。幸いに天気も良くて
良い山行きになりそうだ。
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大路ダムの駐車場からスタート | 良い道が続く |
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大路ダムの駐車場に集合してそこからダイレクトに寺跡を目指す。時間はちょうど 10時。13年前の入り口は 忘れてしまっているが、それに相当する入り口はすぐに見つかった。 ここさえわかればあとは目をつむっていても大丈夫。 |
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途中にはこんな石組みも | 平坦地に出た。目的地はさらに奥 |
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尾根は自然林でコバノミツバツツジが咲き誇っている。歩き良くて藪になっていないのは 地元の人が案外利用しているのかもしれない(秋には入ってはいけない山だと思う)。
左下に見えた石垣はいつのものかはわからないが斜面が崩れないための土止めの
役目だろう。ちょっとした急登りをクリアーすると平坦地となる。あきらかになにか
あったような地形だった。そして本命はさらに奥。
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稜線の一段下にこんな平坦地が | かなり広い |
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右下にでかい平坦地が見えた。ここが本命の平坦地だと思う。ここに香華院千眼寺があったという伝説があり、 建立したのは竹田城の初代城主太田垣光景と言われている。 いくつかの小さな疑問があって、その一つ目。 千眼寺は山号でなく香華院という院号がついている。ということはどこかに本寺があって、 ここはその末寺だということが考えられる。
もともと山岳寺院として小さな庵ぐらいはあったのかもしれないが、竹田城の水源地として
その重要性から城主太田垣が自らの菩提寺の末寺としてここを整備、保全したのかもしれない。
そのため山号ではなく菩提寺の院号が冠せられたのではないだろうか。
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すぐ近くにあった流れ | 山腹を巻いている道跡らしきもの |
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疑問二つ目。 言い伝えでは銅管で竹田城まで導き、現在の駐車場に貯水池があったらしい。 もしほんとうに銅管なら地中に埋めることによってその存在は隠されることになるが 数百mにもおよぶ銅管の製作と維持管理など 実現性が難しいと思う。 寺跡の標高が約390m、駐車場の標高が約250mと標高差は十分にある。このあと我々が下山に使用した尾根に 焼き物で出来たU字管様のものを繋いでいけば容易に水路は出来るが敵に見つかる可能性は高い。 そして最大の疑問。ほんとに水路はあったのだろうか? 実は丹波春日町にある黒井城にもまったく同じような落城伝説が残っている。 曰く、村人のうらぎりによって水源を絶たれて落城したと・・・。
違う地域の山城でありながら同じような落城伝説があったとすると、どうも後世の人による創作の
臭いがしてしまう。しかし、考えれば山城に潤沢な飲料水があること自体希なことなので、山城=水不足という
図式は普通なのかも。ちなみに竹田城には現在わかるだけでも二つの井戸跡があるがそれだけでは
とても籠城には耐えられないだろう。
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稜線に出ると快適な道がある | 展望ポイント『C』から竹田城を見る |
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千眼寺跡から時計回りに進むと水源らしき場所と踏み跡があった。そのまま進んでいくと稜線に出る(別途地図『B』地点)。 ここより明確な道(まつたけ山用の道?)をたどって山頂へ。 途中には竹田城を見下ろせるポイント『C』もある。11時40分
ボロボロに破壊された三等三角点のある山頂(標高603.2m)には11時40分着。国土地理院の調査員が ここの歴史を知ってか知らずか点名は『千眼寺』である。 ここで昼食を摂って後半は竹田城へ向けて下山あるのみ。
下山はまっすぐ東に向かって下っていく。途中にある410mのピークは 右側を巻いていこう(ちょっと歩きにくい箇所あり)。シダの枯れた斜面に出ると そこは竹田城がよく見えるポイント『E』がある。 |
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だいぶん下りました | 道路に出ました |
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途中でうっかりして迷いかけたポイントあり。その後、要右折れポイントもあるので 見逃さないように。暑さでちょっとばて気味になりながら道路には13時20分。 |
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道路からも竹田城は見えます | あきらかに観光客とは違う我々 |
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道路に降りて終わりではありません。ここからダムまで歩いて帰らねばなりません (途中に車を置いておくべしでした・・・)。 |
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旧街道にある道標 | 大路ダムの向こうに大路山 |
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ちょうど高速道路の下に古い道標がある。めずらしいのは四角柱の四面すべてに 文字が彫られているのだ。時間がなくて読み解けなかったのでそれは次回の宿題としておきます。 そして駐車場には14時25分。 |
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寺山地蔵堂 | ひょっとして千眼寺にあった? |
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駐車場所のちょっと奥には寺山地蔵堂がある。その前にある舗装路を詰めると下で見た道標のとおり 建屋へ行くことが出来る(峠の名前はたぶん大路峠だと思う)。 地蔵堂の中には四体の石仏がある。むかって左の二体はどうも最近に作り直したような新しい石仏だった。 右の二体はそうとうに傷んでいるが『文化六巳(1809)』の年号が読み取れた。 寺山地蔵という名前からしてひょっとして千眼寺にあったものだったりして・・・。
今回の千眼寺跡〜大路山の地図は
こちら(約90k)
でごらんください。 |