はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『八鹿』、『但馬竹田』を参照していただくようお願いいたします。 2015. 5. 5. 火曜日 晴れ 気温 あったか
この山も13年前に登ってから訪れる機会が無かった。そのときは若かったからか、馬鹿だったからか マウンテンバイクで登っている。レポートは こちらです。コースは久留引から だったが、今回はメジャーコースである岡集落の観音寺から登ることに。単独ではなくTQFさんが 同行してくれた。
竹田の町を過ぎて枚田から左折。北近畿豊岡自動車道に平行するようにある舗装路を行く。
途中、下山予定地近くにあるスペースにTQF号を駐車。はたして予定通りにこの近くに
降りられるかどうかはまったく不明。とりあえず登山口の観音寺へ。
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たくさんの車があって驚く | おじさんと会話。この奥が観音寺 |
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観音寺にある駐車場を利用するつもりだったのに岡集落に入ると『大倉部山登山駐車場はこちら』という 張り紙があってそちらに誘導される。そこは赤土の未整備の空き地だったが20台以上の車が止まっていた。 ひょっとして今日は登山会のようなイベントがあるのか??9時15分スタート。 観音寺へ行く途中で出会ったおじさんとちょっと会話。「山ヒルがおるで〜」とおっしゃる。 |
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観音寺に入って左へ | 小さなお堂があった |
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観音寺には庫裡もあったが住職が常住しているような雰囲気ではなかった。ここの山号は 『大倉山』とあり、昔は大倉部の山中にあったという。そうそう大倉部の正式名呼び名が 『おくらべ』というのも今日初めて知った。
本堂左手奥から登山道がある。ちょっと登ると小さなお堂。ボロボロのお堂で入り口の
扉が開かない。無理に開こうとするとお堂全体が崩れ落ちそうだ。その入り口から
見える仏像は小さくて阿弥陀なのか薬師なのか判別不能。それよりも珍しいのは
その横にある朽ちかけた木像。それは仏像ではなくて神像だった。
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道はすごく良い | 団体に追いついた |
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お堂からネットをくぐって支尾根へ。どんどん登っていくと分岐に到着。ここで団体の最後尾に追いつく。 聞くと地元の人たちが5月5日に毎年登っているそうな。見ると前の方にはご婦人とか小さな子供たちもいた。 総勢30人ぐらいだろうか。 そういう団体なので休憩をしながら登るので我々が先行させてもらう。 |
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地図の『B』地点 | そこから北方向を見る |
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団体を追い抜いて調子に乗ってズンズンと歩き分岐を見過ごしてしまう。道は山腹に並行で稜線からは どんどんと離れていく。どう考えてもおかしいので引き返そうかとも思ったが、さっきの団体と 鉢合わせになるのは格好が悪いので斜面をよじ登り稜線に復帰。 このあたりから東方向に展望が開けつつある。 このまま直線的に山頂まで行くのかと思いきや途中から大きく左に曲がる。 そこは大展望の巻き道。西床尾、鉄鈷山、光明山。空気が澄んでいれば来日岳、法沢山とか高竜寺とかも見えるはず。
言い伝えによると山頂直下の平らな場所に7つの寺があってそこは岳堂平(がくどうなる)あるいは寺が平と呼ばれていたと・・。
そのうちの一つが登山口にあった観音寺だったそうだ。ネットによるとここがそうだと言う人もいる。
ただ、山中で数多くの寺跡などを見てきた感じからして
削平地とは言いがたい地形であったし(とうぜん石組みなどもない)7つもの寺があったとは言うには狭い。
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岳堂平?? | 駆け下る山の仙人 |
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我々がルートをまちがって稜線に復帰したとき下から猛スピードで上がってきた御仁がいた。 手ぶらで青いつなぎを着たおじさんだが、我々が岳堂平を過ぎた頃またもや山頂からショートカットで 駆け下っていく。あれがはたぶん大倉部の仙人だと思う。 |
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頂上に到着 | 謎の穴 |
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山頂には10時30分着。観音寺からだと1時間ほどか。 露岩があって、特に奇異なのが山頂にポッカリと空いた大きな穴。周囲を大岩で囲み込んだように見えて、 たぶん人工的なものだと思うのだが、登ってきた人の想像をかき立てるなんとも不思議な穴だ。 いつからのものかは不明だが、周辺の土砂で多少埋まっているのでもうちょっと深かったのかもしれない。
大倉部の山名をこれらの岩(くら・グラ)に起因すると言う人もいたが、正解は木地師を指す『小椋・小倉』から
来ていると確信している。最近知ったのが竹田には古くに『竹田塗り』という漆工芸があったという。
竹田城の城主であった赤松氏が奨励し周辺から多くの木地師を呼び寄せたという。
当然その活動場所があったわけで大倉部はその名のとおり木地師の活動場所であったと思う。
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氷ノ山を見る | そして竹田城 |
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今回の目的はなんと言ってもここから竹田城を見ること。ここから直線距離で3.34km。 双眼鏡で眺めてみるとけっこうな観光客が見えた。雲海のないこの時期、さらに暑いこの時期に 登るのはよほどの山城マニアかよほどのミーハーかのどちらかに違いない。 たぶんミーハーがほとんどだと思うがここに飽きたら朝来(竹田)はどうなるんかな。
早めの食事をしたり、写真を撮ったりしているうちに件の団体も山頂に到着。やがて来ることはわかっていたので
我々は山頂より一段低い所でまったり。リーダーとおぼしき男性がいろいろとレクチャーしているようだったので
近くにいって聞きたかったが、私の性格上「そら、ちゃうやろ」なんていちゃもん言いそうだったので止め。
おとなしく下山します。
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昔は乗れたのに〜 | 『E』の極楽鞍部 |
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南方向からこの山を見ると山頂から東方向にゆるやかな傾斜で標高を下げている。 つまりMTB的に言うと極楽尾根なのだ。13年前はその恩恵にあずかったわけだが、 あれから13年・・・。極楽稜線は見る影も泣くヤブってしまい、右に左にヤブをすり抜けながら前進。
そして到着した鞍部『E』は昔通りに広くて、木漏れ日のあふれる場所だった。思うに、ここに
寺があったとしてもなんの違和感もない。そんな場所です。
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この道で下山 | こんな良い感じの所もある |
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13年前に見つけていた『F』地点にある道で下山。この入り口を見逃す人はいないと思えるほど 明確な道だ。入り口はよかったが下るにつれてヤブっていたり、道が無くなったりしている。 道は徐々に東へ東へと向かっているようでこれはヤバい。
谷を渡る『G』の地点でどうしようかと悩む。道は引き続き東方向へ向かっているように思える。
そもそもこの道って何のための道なのか?仕事道かなとも思ったが、ひょっとして枚田の
集落からあった7つの寺への参道だったのか??
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下りきると平坦な森になる | 高速道が見えた |
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『G』からは適当にうだうだと話をしながら下って行く。気がつくと 周辺は真っ平らな森となっていた。もう高速を走る車の騒音が聞こえている。 その音に導かれて行くとちょうど金網のゲートだった。それを抜けて今度は 高速道の向こう側に行かなければならない。予想していたルートでの下山ではないので 車に戻るまでが結構遠い。 高速道を横切るのは違法行為だし、そもそも命の危険が大きい。 なんともラッキーなことに向こうに抜ける地下道があった。 なんの問題も無く向こうに出て。暑い舗装路を歩いて13時半に車に到着。 そのまま登山会の駐車場に戻ってみたら団体はまだ下山していませんでした。
今回の大倉部山の地図は
こちら(約130k)
でごらんください。 |