はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『西河内』を参照していただくようお願いいたします。 2014. 6.14. 土曜日 曇り時々晴れ 気温 ふつう
TQFさんから天児屋山へ行こうとお誘いをうける。そういえば天児屋山も長らく登っていない山だ。 初めてここにチャレンジしたのはもう16年も昔のこと。鳥取側にある林道を利用して、 そのときは名前も知らなかったカナゴ乢付近から頂上へ向かって強烈な笹藪を漕いで行ったのだが あと150mほどのところでギブアップ。
しばらくは藪のトラウマで行く気力もなかったが、2005年に今度は
スノーハイク
でチャレンジしてみる。雪の状態とその日の天気次第で状況は変わるが、
この日は大正解だったので調子に乗って大通峠まで行きそのまま往復してしまった。
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峰越峠に止める | 出だしは遊歩道状態 |
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今回、TQFさんが言うにはどこの山もそうであるように、天児屋もご多分に漏れず笹の勢いが 衰えているのだそうだ。いずれ近い将来藪は無くなってしまうのだろうか? そうなればおもしろくない。今ぐらいのほうがちょうどおもしろいからと誘われる。 山頂からの様子次第で大通峠まで縦走というが・・・なんかしんどそう。
とりあえず峰越峠にある東屋に駐車する。9時50分スタート。江浪峠へ向かうには
一旦谷を下って江浪川の源流を遡るコースもあるが(まだ歩いたことが無いのでここも興味あり)
ごく普通に岡山・兵庫の県境コースを行くことにする。
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散歩には良いコースだ | のんびりと歩く |
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ずいぶんと昔からここは遊歩道として使われている。朽ちた木の階段跡とかほとんど読み取れない 案内板などがそれを示している。10分もたたないうちにもうブナに出会える。 手軽にブナに会いたいならこのコースはおすすめだ。
うまく生きてもあと20年ほど、早ければあと数年でおだぶつな私ですが、こいつの樹齢は いくつなんだろう。初めて会ったときははしごが掛けられていて上に登れるようになっていた。 枝に座れば巨人の肩に座っているような感触だったかも。
10時20分、兵庫・岡山・鳥取の三県境界分岐に到着。全国に数ある三県境界の もっとも簡単に到着できるポイントの一つ。直進すれば若杉原生林、右にとれば江浪峠。 |
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江浪峠への道。11年前 | 江浪峠への道。現在 |
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江浪峠までは数分の距離なのに、昔は笹藪でなかなかたどり着けなかった峠だ。 今は遊歩道化しているので昔のおもかげは無い。
正確に言うとクランク状の道でこの石仏の前に来る。まっすぐ行けば江浪川の源流で、宍粟が 整備したので歩けるようになっている。真後ろは鳥取側へ 下る峠道。その入り口は藪っているが入り込めば踏み跡が出現する。ちなみに 2008年 には鳥取吉川から旧峠道を利用してこの江浪峠へ来たこともある。
石仏には『昭和八年八月建之』『千種村西河内 施主田中○○○』とある。比較的新しい石仏なので
西河内の人に聞いたことがあるが、この田中某氏の家はもうないらしい。また、なぜこの峠に石仏を
寄進したのかというおもしろい逸話もおしえてもらった。
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三国平に到着 | 三国からはこんな感じ |
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峠からわずかな距離で宍粟50山の三国平に到着(なぜここが 50山なのかいまだに不明)。ここからのコースは無雪期では初めてとなる。方向を 見定めて進んでいくと背丈以下ではあるが笹の中のわずかな踏み跡を頼りに進むことになる。 |
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この辺は見通しがきく | カエルの楽園、山上湖 |
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やがて見通しのきく(笹は股間ぐらいまでの高さ)平原に出る。進行方向はるかに見えるピークが天児屋山だと思う。 TQFさんとはちょっと離れて歩いていたが、そちら方向へ行くと山上湖があった。 際にかえでの木があり、そこにはモリアオガエルの卵塊がぶら下がっていた。山の中ではさりげない光景かも しれないが、この藪山までどうやって親ガエルがやってきたのかそれが不思議。人間の我々よりチャレンジャーかも。 |
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もうちょいです | 山頂に到着 |
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山頂から北に延びる尾根が近づいてきたのでまもなく到着だということがわかる。二等三角点、標高1244.7mの 山頂には11時35分。三角点を中心にぐるーっと空間がある。時間もちょうど良いので食事とする。 記紀に詳しい人ならわかるが天児屋山の山名は天児屋命(あめのこやねのみこと)からとったのはあきらか。 この麓はたたら製鉄が盛んだった地域なので、ならば天児屋命が製鉄に関する神かといえばまったくそうではない (詳しく書くと長くなるので省略)。 彼らが拝する神はあくまでも金屋子神である。では、なぜ天児屋命の名前を付けたかは今もって不明。 今回の天児屋山前半の地図は こちら(約160k)
久しぶりに無線で呼びかけてみると那岐山に登っているIRC・DQK夫妻と繋がる。むこうは更紗ドウダンがきれいだそうだ。
食後、黒い雲からポツポツと小雨が・・・。これで今日の山行きはピストンかと思いきや、TQFさんは
大通峠まで行くつもりでその方向を眺めている。
「1199手前は大丈夫そうやな」とTQFさんは言うがその手前鞍部へ下るまでが手強そう。 12時スタート。入り込めそうな空間があったのでそちらへ進んでみるとまるで方向違い。 あわてて修正をする。予想通りここからの笹藪がやっかいだった。
笹藪の下りを体験した人ならわかるが、下りだから楽だと思ったら大間違い。まず、笹の上に足を乗せると おもしろいように?滑る。その結果仰向けに見事に転ける。さらに方向を間違うと修正するために 横移動をしなければならないがそれがやっかい。滑る笹の上を横移動だから下る以上に困難。
別途地図を見てもらえばわかるが山頂から鞍部までの県境界線は蛇行している。それを直線で辿ろう
するとやばい!できれば境界の真上、少なくともそこから離れすぎないように下るのがベター。
ここの場合、直線で行こうとすると右へ右へとコースを離れてしまう傾向にある。
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ここが鞍部だが峠ではなさそう | 『F』地点。ここが峠か? |
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ようよう鞍部に到着。歴史上ここはたたら製鉄に必要な砂鉄を運んだとされる 『カナゴ乢』という峠のはず(カナゴとは砂鉄のこと)。ところが ここが地形図上では最低鞍部なのだが左右に踏み跡がまったくない。 藪を漕いでちょっと先に進んだ『F』地点。ここだけなぜか笹藪でなく、左右に 踏み跡(獣の踏み跡だが・・・)があった。頭がボーッとしていたので 周辺を詳しく探索しなかったのが悔やまれる。TQFさんが呼ぶので境界を離れ、 北側の植林の中をしばらく進むことにする。 手前の最低鞍部か、この『F』地点がカナゴ乢なのかどなたか調査してください。
後日、若桜の山ボーイさんがここを探索してくれてます。最低鞍部、『F』地点ともに
石仏などはなかったそうですが、雰囲気としては『F』地点のほうが峠らしいと私の見解と
同じ感想でした。
境界から離れて藪を迂回していたがいつまでもそれはできないので頃合いを見て稜線に戻る。 ちょうど藪の切れ目ぐらいに出て、しばらくすると目の前が開ける。天児屋山頂から見たとおりだった。 後ろを振り返ると天児屋とくらますの二つのピークがきれいに並んでいた。
今回の天児屋山後半の地図は
こちら(約130k)
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1199からの下り??? | 激藪を抜けてやれやれ |
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藪が途切れたおかげで1199までは楽に登れた。このまま大通峠まで楽勝かと思いきや、 そうは問屋が卸さない。細長い1199ピークの端からの下りはまず誰もが間違うだろう (別途地図にある間違った方向へ下る)。 正規の境界尾根は倒木と藪で入り口がふさがっていてわかりにくい。
天児屋の下りよりひどいので写真を撮るような余裕は無し。ようやく藪が無くなってカメラを手にする
余裕が出てきた。
今日四つ目の峠『中江乢』には14時10分。ここにはきっちりとした道が県境を挟んである。 周辺を見たが石仏等は無かった。この道が兵庫側のどこまで続いているのか確かめたい気分になる。 ちなみに鳥取側はこの下に中江という集落があったのでこの峠の名前がある。 当然、中江はたたらに関係ある村で、砂鉄、炭、人間が往来するための中継基地のような役割があった。 |
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大通(おどれ)峠に着 | 石仏にご挨拶 |
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中江乢から一登りで1081ピークだ。正直もうこれ以上登りは勘弁してほしいという感じで到着。 ここも来たことのあるピークです。このピークから南に延びる尾根を辿ると空山まで行けるであろうと 2002年 に大通峠から空山までMTBで走破したことがあります。
そんなこんなで大通峠には14時30分。兵庫側にある石仏を久しぶりに見るが文字はほとんど読み取れない。
そのままカーブミラーの所から旧峠道を下っていく。現在ある舗装林道とはまったく違う所に旧峠道があるおかげで
きれいな路面のまま残っている。しかし、ハイカーもほとんど利用することがないのでこのまま朽ちていくの
だろうか?ああ、もったいない!
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こんな感じです | ボブスレーコースだ |
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どうせ誰も来ないならちょっと整備してMTBで遊んでみたい。気持ちよいダウンヒルコースに なりそうだが・・・。が、そんなチャレンジャーはもういないやろねえ・・・。 いつも兵庫・鳥取県境にある峠を歩くとき、思いをはせるのは遙か昔のこと。 戦国時代、2万の秀吉軍はここを越えて鳥取へ向かったのだろうか・・・と。 当時からたたらの道として確立していたとはいえ一度に2万は無理っぽいから 戸倉などと分散して行ったのでしょうね。 などと想像を巡らせていると峠道は作業道と合流。そして林道となり、さらに舗装路 となって駐車ポイントには15時半。峰越峠の車を回収してTQFさんと別れる。 全身ドロドロの私は『エーガイヤ』の温泉で汗を流す。風呂に入っている数人の男性は 今日登っていた山の話題で盛り上がっていた。聞き耳をたてていると藪山では無かった。 そらそうやろ(^_^;) さて次回はどこの藪山でしょうか? |