はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『但馬新井』を参照していただくようお願いいたします。 2014. 6.29. 日曜日 曇りのち雨 気温 暑い
朝起きたときは雨だったが徐々に晴れ間が出てくる。IRCさんたちは扇ノ山へ向かっているとLINEが入ってくる。 今からだと遠出は無理なので生野へでも行ってみよう。
ひさしぶりにもっつい山(持継山)に登ってみようと思う。ダム湖に沈んだ上生野(こうじくの)にある
『こうじくのはし』が法道谷への入り口だ。そこにはハイキング道を示す立派な道標もあるが、ハイキング道だったのは
はるか昔の話。今じゃ、ハイキングどころかヒルキング道と化している。10時05分スタート。
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ここがスタート地点 | 巡視路の入り口がある |
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もうちょっと奥まで車で行くのは可能だがボディーを張り出した枝による擦り傷で傷めたくなければ歩くのが正解。 やがてほんとのシングルトラックとなる。左手には法道谷川が流れていて涼やかだ。 ふかふかの道で気持ち良いなんて思ったらいけません。足下にはヒルが生き血を求めて鎌首を 持ち上げています。 巡視路のマークがある。34鉄塔への巡視路がそこから始まる。 今回の目的地であるもっつい山に簡単に登ろうと思えばこれを使えば楽なのだが 数年前に巡視路の斜面が崩れ落ちて現在でもたぶんそのままだと(未確認だが)思われるのでパス。
この巡視路マークの川向こうに削平地があった。川を渡ってそこへ行ってみる。炭焼き窯でもなし、二段の平地となっていて
ちょっとした石段の箇所もあった。ひょっとしてここが法道寺跡か?以前、『こうじくのはし』付近が寺跡
だと聞いたことがあるので違うのかな・・・。ダム建設前の住人に聞くとかして
もうちょっと詳しい検証が必要のようだ。
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『おおなめら』を歩く | 観音堂跡か? |
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この付近から谷川はフラットな岩盤の川底『おおなめら』と呼ばれる地点だ。昔のハイキング情報では500mもあると 書かれているがそんなには無いと思う。そこをちょっと歩いてみる。 ほんとはMTBで上流から走ってみたいのだが・・・。 おおなめらから元の道に戻るとそこは広場で撤去し忘れた昭和の時代からゴミ箱がある。 昭和40年代にはこの『おおなめら』で子供たちが遊び、大人たちはここでくつろいでいたのだろう。
さらにここは観音堂跡だったのではと思われる。この奥にある『行者穴』で法道仙人は観音像を彫り、
やがてその像はここ観音堂に祀られた。その観音堂も長い年月で朽ちたため、より村に近い所に建てられた
法道庵(後の法道寺)に祀られたと歴史書にはある。
ゴミ箱のあるこの広場(観音堂跡??)の先に落ちた橋の跡がある。遊歩道整備の際に 造られたのだろうか?今は石段だけが残っている。渡りきった所を右に曲がると一の滝(布引の滝)がある。 今回はここも、さらに奥にある二の滝もパスしたので詳しくは 2009年のレポート を見てください。
最初の橋跡を渡りきり白い矢印方向、つまり直進すると、そこも平坦地で石の祠に安置された 地蔵菩薩の石仏がある。初めてこれを目にしたときは驚いたものだが、この谷が 法道仙人の聖地であることを知った今では納得だ。ここも観音堂跡の候補だなあ・・・。
二つ目の橋を渡って正面の黄色の矢印を行くと昭和40年代の遊歩道だ。
(ジローさん情報によると昭和46年らしい)
今は崩れた箇所も
多くあり難路となっているが、うまく辿れば岩屋観音、
行者岳
まで行けるおもしろいコースです。今回は
行者穴からもっつい山へ行くので白い矢印で二の滝の横手を登る。
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二の滝の落ち口を横断 | 行者穴はまもなく |
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二の滝の落ち口を横断する。ここも思い出の場所だ。無謀にもMTBを担いで 法道寺山へ行ったのだが、 ここで滑ってあわや二の滝から滑落するところだった。ここを通過するたびに足がすくむのは そのときのトラウマかも。
行者穴には11時05分。 ここの行者穴で法道仙人が修行をし、三体の観音像を一本の楠から彫りだしたという伝説がある。 現在、穴の入り口は大きく崩れて中をうかがうことはできない。上生野の人によると 奥行きはさほどなかったが祭祀をしていた跡はあったということだ。 |
ここから入って | こちらへ抜ける |
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浄土岩の横手には大岩の隙間を伝うような滝(約30m)があるので 右手斜面を巻けばいい。が、ここでもヒルの攻撃を受ける。 それをクリアするとこんどは大岩で屋根をされたプチ胎内くぐりがある。 カメラの三脚を持ってはなかなかよじ登れない。 |
再度ナメラとなる | 地図の『G』で思案 |
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そこもようようクリアーすると『大昭和製紙』の標識があるフラットな場所。 ここは多田繁治氏の著書にも記述がある。まさか数十年後にこんな所までMTBで 来た変人がいるとは想像すらしなかっただろう。今日は普通に歩いてるので楽ちん。(^_^;)
こんな奥地にもいくつかの炭焼き窯跡がある。周辺には陶器のかけらなどもあって
上生野の人たちが生活の場にしていたのがわかる。やがてナメのほぼ終点になる『G』に
到着。ちょうど12時。そして雨が降り始める・・・。
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しばらくはそのまま谷を進む | 本降りになり始めて尾根を行く |
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もう引き返すより頂上に向かった方が下山も簡単だし、雨も止むかもしれないと思い進む。 この『G』から尾根(中央分水嶺)に乗るのも簡単だが、しばらくはそのまま谷を行く。 やがてどんどんと雨はひどくなってきて尾根へエスケープ。
リュックにカバーを付けて傘を差す。この分水嶺コースはほぼダイレクトに山頂へ
行くことができるのだが、山頂直下が激登りなのが困りもの。そこで途中から一つ南の尾根へ
乗り換えることに。雨は本降りで、しかも靴の中の左足が痛かゆい。どうやらヒルが
侵入して吸血中のようだが今の状況だといかんともしがたい・・・。
山頂には12時40分。山頂に着いたとたんに小雨になって今にも止みそうな感じだ。 早々に靴を脱ぎたかったが蠅がうるさくて落ち着いておられない。そこで下山コース途中にある 鉄塔でお昼にすることに。 |
巡視路なので快適 | ここでヒル退治と食事 |
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ここからは巡視路となるのと、奇跡的に土砂降りの雨も止んだので嘘のように快適になる。 36鉄塔には13時15分。ここで昼食とする。谷間にはまだガスが漂って、遠くの山もかすんで見えない。 しかし風は涼しく、時間さえあればここでゆっくりとしたかった。 |
35鉄塔も展望がよい | 植林のあいだを行く |
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35鉄塔に着く頃には日も照り始めて暑くなってきた。この付近から降りるルートもあるのだが 今日はこの尾根の先端にあるあずき坂まで行ってみようと思う。 まっすぐに南に延びる尾根を歩くとやがて34鉄塔への分岐となる。それを無視して 最後の登りにかかる。
目標は標高690m+の無名ピーク。昔の上生野の写真を見ると城山という文字がある。
そこでこのピークがそうかなと思い今回ルートに入れてみた。
14時25分、そこに到着してみるとなんと新設の三角点が埋め込まれていた。
金属標の四等三角点、No.114454、 帰宅後、点名などを調べてみたがまだ閲覧出来る状態ではなかったようだった。 肝心の城山かどうかだが、なんの痕跡もなかったのでいわゆる城郭跡ではないようだ。 そのまま下山する。
頂上直下は激下り斜面で足下に注意。どんどん下っていくと左側はつい最近手を入れた ような植林帯が谷に広がっている。 |
小豆坂に到着。なにを見上げているかと言うと | もみじの古木です |
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小豆坂には15時ジャスト。前回来たときは氷ノ山にある『あずき転がし』にたとえて 急坂に由来する峠の名前かと思っていた。ところがこの峠付近の土の色があずきに似ているために 付けられた名前だということがわかった。ジローさんのお父さんが言うにはこの土だと 杉がよく育つためにこの土地の所有者は自慢の種だったとか。
そのまま斜面を駆け下りて元は小豆坂にあったという地蔵の祠横から道路に降りる。 城山は発見できなかったが、家で調べてみるとどうやら地図の○印があやしいようだ。
今回のもっつい山〜小豆坂の地図は
こちら(約110k)
でごらんください。 |