はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『生野』、『但馬新井』を参照していただくようお願いいたします。 2014. 7. 6. 日曜日 曇りのち雨 気温 暑い
先週、ヒルに噛まれたところがまだ痛かゆいのに、またもやヒルジャングルの生野を 歩くはめになった。作畑ガールのリクエストで青草峠から生野へ下ってみたいというのだ。 ならば帰りは別の峠、黒尾峠を帰路にする周回コースを歩いてみよう。 今回は家族サービスをなげうってジローさんも参加してくれました。
スタート前から雨を呼ぶ風が吹いているし、山ヒルは確実にいるので
足下は三人とも長靴とする。アブ避けとしてハッカ油のスプレー、ヒル避けとして
市販の虫除けと塩水のスプレーを用意。ほんとは焼酎のスプレーも試してみたいが
下戸なので今回は用意してなし。
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長靴軍団だ | 駐車ポイントからちょっと下って左折 |
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駐車ポイントが史跡『御口屋』(生野代官所)の横にあるスペース。9時スタート。 西に向かえば白口峠を経て白口集落だが青草峠へは作畑側へちょっと下っていく。作畑の 民話の語り部である足立誠太郎さんちの手前を左へ折れる。 |
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作畑ガールのお知り合い | 古い石垣に沿ってある峠道 |
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曲がったところで地元の人に遭遇。作畑ガールと顔見知りなのでちょっと立ち話。 「青草峠から菅町へ行くんです〜」というと驚かれていた。 害獣避けのゲートを開けていよいよ暗い谷へ。緻密に組まれた石積みを見て ジローさんは感嘆の声を上げる。
谷にはいくつかの分岐がある。
2009年
にも歩いているので記憶が残っている・・・と、思い込んでいたのが間違いの元。
ちゃんと復習しておけばよかった・・・。
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2009年のときの地図 | ごめん!ミスコースです |
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2009年のときの地図に今回のコースを上書きしてみた。赤線が2009年のコースで『A』が 青草峠。今回、最後の分岐で勘違いして緑の線を辿ってしまい、急な登りで二人に 迷惑を掛けてしまった。どこを登ってもたどり着くのが青草峠だと思い込んでいたので 急登りでも気にしなかったのだが・・・。
『B』ピーク手前に
巻き道があるのでそれを歩いて右の鞍部へたどり着く。記憶と違うので
ちょっとためらってしまったがそこが青草峠と勘違い。そのまま『B』から生野側へ下ってしまった。
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『B』からの下り | 地図に無い林道に降り立つ |
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いよいよ生野側へ下るのだが、地形図にある点線ルートはどうも無いように思える。 かといって、この尾根をまっすぐ下ると最後が激斜面だ・・・。 まあ、なるようになるだろうとまっすぐに下り、最後の激斜面もなんとかクリアして 地図にない林道に降り立つ。10時50分。
予定の三叉路までずいぶんと時間が掛かってしまったものだ。実際の峠道はやはりあの 点線だったのだろうか?作畑ガールのおじいさんが言うには生野側は急なので ジグザグ七曲がりの道だったそうだ。 |
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作業小屋(廃屋)もあった | 橋を渡らずに横道へ |
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長々と林道を歩く。ズリの斜面があったり、坑口があったり、山仕事の作業員が寝泊まりしていた 小屋があったりと飽きずに歩ける。舗装路に出て橋を渡って右に折れると菅町キャンプ場だ。 が、橋の手前を右に脇道に入る。
菅町には愛宕山があったという。その場所はまったくわからないのだが、別途地図に
書き込んだ地点が怪しい。そこでこの脇道を選択。途中に参道の入り口があれば
ビンゴだが、残念ながらそれはなかった。祀られなくなり、忘れ去られた神仏の
居場所を探し出しすのも私の山行きでの課題の一つになりました。
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テントサイトから川を渡る | ここで昼食 |
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この脇道の終点は菅町キャンプ場のテントサイトになっている。現在そこは 草ボウボウでサイトの面影は無い。飛び石で川を渡るとそこがメインの キャンプ場だ。生野の住人であるジローさんは当然ながら子供の頃ここで キャンプしたという。
11時45分なので昼食にはいいタイミングだ。車が一台やってきてUターンして帰って行く。
きっと怪しい三人に見えたことだろう。ここまで天気は持ちこたえていたが
さらに怪しくなってきて雨は必至と覚悟する。
12時05分再スタート。
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廃車のある分岐を右へ | 頑丈な橋が架けられている |
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後半の目的地は黒尾峠だ。この峠を知っている人はほぼ皆無に近い。作畑ガールが 国会図書館のオンラインサービスで見つけたもので、元禄時代の絵地図に確かに書かれている。 黒尾という地名は聞き慣れないが、登りに使った青草峠とこの黒尾峠の中間にある806.6mの三角点の 点名が『黒尾』であることから周辺の字かもしれない。 菅町川を遡り廃車のある分岐『G』を右折する。小雨は間断なく降っているが雨が本降りになる前に 峠に出たいのでつい早足になるが、作畑ガールの足を考えてスピードは上げられない。
いつぐらいの時代に造られた林道なのか?ジローさんが言うにはやはりダムが出来た時の補助金に
よるものだとか。こんな奥にと思うところが舗装されていたりするし、川に掛けられた橋も
重量のある車が通行できるような頑丈さだ。それでも年月を経ているので道の真ん中に木が生えていたりして
通過を阻まれるところもある。
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林道の終点 | 峠が見えてきた |
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林道終点には13時10分。ここまでの途中には斜面の崩れているところが一カ所だけで全体的には 簡単に登ってこれる。道沿いの岩盤には試掘跡と思えるような穴もあったりして 菅町奥まで鉱脈が延びていたのかもしれない。
林道終点の広場からは左右に踏み跡がある。水分補給して黒尾峠の左を選択。
仕事道のような踏み跡がまっすぐと鞍部にむかっている。ミツマタの木が
前進を遮るように生えているが雨で濡れてさえいなければさほど苦労はしない。
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黒尾峠に着 | 元禄時代の地図 |
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黒尾峠には13時35分着。新田から林道が上がっていて地図上ではこの峠付近が終点となっている。 周辺を探ってみたが石仏などはなかった。元禄時代の絵図には福田新田村から登るようになっていて 『作畑村ヨリ但馬國上生野江壹里壹町六間』と記述がある。
さて、ここからどうするか。当初の計画では805.6mの点名『黒尾』から作畑にある
越知谷第二小学校へ下る予定でした。そのコース途中におもしろいものがあるのではと
予想していたからです。が、雨とヒルで疲れていたメンバーもいたのでどうしようかと鳩首会談。
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旧峠道を新田に向かって下る | 谷にも道がある |
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桑畑跡か | 林道に出た |
ジローさんが神河町側に下っている道を発見。どうみても旧峠道のように思えたのでそれを利用しよう。 谷に降りるとちょっと不明瞭な箇所もあるが、石垣なども現れて人の出入りが多かったのがわかる。 最後はミツマタのやぶを突き抜ければ林道に出る。 |
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林道を出る | カーブミラーで集合写真 |
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林道のゲートを抜けるのは14時25分。道路に出るとまたまた雨が強くなってきた。 やはりこれで下山したのは正解だったかも。 舗装路をテクテク歩いて駐車ポイントには15時05分だった。
今回の青草峠〜黒尾峠の地図は
こちら(約200k)
でごらんください。 |