はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『三日月』を参照していただくようお願いいたします。 2012. 2.26. 日曜日 曇り 気温 寒い
そもそもは、2005年の12月に登った 赤十字山 からこの多賀登山までMTBで尾根縦走をしようというのが始まりでした。 が、その時は倒木などに阻まれて途中の尾根で大下りという集落まで下って終わったのです。 苦節6年、今回は単純に多賀登山だけを登ります。(^_^;) 周辺になにかおもしろい所は無いかと調べてみると、なんと鉱山跡があるという。さらに山頂付近は城跡だったという。 では、その鉱山跡から山頂へ登ってどこか適当な所に下山することにしよう。 単独予定だったので簡単なルートを考えていた。が、三室に登る予定だったTQFさんが悪天のために急遽こちらに 参加するという。新宮の道の駅で待ち合わせして二人で行けるルートを考えることに。
ほんとは6年前のように多賀登山から赤十字まで縦走したかったが、二人ともしばらく山をしていなかったので
多賀登山から大下りまでということで大下りに車をデポ。鉱山跡のある谷の入り口へ後戻りして8時50分スタート。
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橋があってラッキー! | 鉱滓だあ |
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「谷の入り口は川があるで」とTQFさんが地形図を見て言う。まあ、なんとかなるでしょと思って、その近辺のスペースに車を止めるのだが、 ラッキーなことに橋が架かっていた。てことは鉱山があったという可能性が高いわけだ。それでもほんとに存在するのか半信半疑だったが 橋を渡ってすぐにその心配は無くなる。 足元に鉱滓がゴロゴロと転がっているからだ。鉄のそれとはあきらかに違うもので、近くに転がっている 石の表面にはブルーの二次鉱物が付着していることから銅のそれと思われる。 谷の名前はわからないが森林開発公団の標識には『金子西平』という字を示すような文字がある。これまたいかにも鉱山を 匂わせる名前だ。谷は細く、左岸の斜面はズリで出来たと言って良いような斜面だ。 なにか作業場があったような石組みの平坦地も出てきた。この辺にズリがあるということは坑口は斜面の上かもしれず、 それらを見ることは無く谷を詰めてしまうかもという不安もよぎる。
やがて蛇結イバラが現れ始めどうしようかと思い始めた頃、前を行くTQFさんが大声を上げる。
蛇結にひっかからないようにTQFさんの声の方へ・・。そこには真っ暗な穴の坑道があった。
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弦谷鉱山 | どんどん奥へ・・・ |
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さっそくリュックからライトを取り出して中に入ってみる。入り口から近い付近ではそうでもないが、 進むに連れて湿度と温度が高くなりカメラのレンズが用をなさなくなる。途中で左に枝道があったが、とりあえず 正面を進む。普通、坑道内は水が溜まっていて長靴でも無理なことがあるが、ここは登山靴でも大丈夫な水深だ。 つまり、岩盤が丈夫で土砂の落盤が無いので適度な排水が保たれているに他ならない。 坑道の高さも人の背丈ほどで幅も広い。ということは近代の坑道なのだろう。 ただ、江戸時代前期からここの鉱山は知られていたようで、そのために弦谷村は幕府領だったという。 (ということは、もっと古い坑道があるかも・・・)
やがてめがねのレンズも見えなくなりほとんど手探りで終点までやってきた。
だいたい300mほどだったろうか。
これほど短く、縦坑もなかったということは、さきほどの分岐が主抗なのか、あるいは さほど鉱石も無く試験掘り程度のものだったのか・・・。分岐を行けば答えも出たかもしれないが 山登りがメインなので出口へ向かう。坑道を出ると清々しい空気で生き返る。 (坑道は無酸素であることも考えられるし、あらゆる危険が潜んでいるので入り口付近で撮影のみがおすすめ)
坑道から出てさらに谷を詰めなければならないのだが蛇結が通せんぼをしている。 谷の右岸側が植林なのでそちらを歩こうとTQFさん。急な斜面をへつりながら高度を上げていく。 やがて蛇結ゾーンを抜けて目の前には稜線も見えてきた。 |
稜線は歩きよい | 多賀登山山頂 |
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稜線には10時ジャスト。単独の場合はここから山頂に向かい、下山はピストンでここから麓にある 荒神社へ下る予定でした。稜線は切り開きも明確でこれなら楽勝で歩けたと思う。稜線に着いてから わずか15分で多賀登山の山頂に着。三等三角点、標高441.7m。
山頂(あるいは山頂付近?)が城跡だと聞いてきたのだが、それらしい曲輪跡、堀切などは
なかった。山城にくわしい笹倉さんのHPによると弦谷城と呼ばれ赤松に関係する得平三郎頼景に
よるものらしい。
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謎の施設 | 舗装峠に着きました |
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山頂からはスプリング8が真っ正面だったが木々が邪魔をして写真はダメだった。さて、峠へ向かおう。 西に向かってある踏み跡を下り最初の鞍部にとんでもない施設があった。 荒神社の西にある谷を詰めた所がこの鞍部なのだが、すごい建物が建ちつつある。 残土処理施設だと思うのだが・・・。 峠の手前の小さなピークが曲輪のようなものが残っており山城の遺構のように見える。 そういうのに詳しい人が見ればはっきりするかも。 峠には10時45分。
はたして峠から赤十字山方向に道があるのだろうか?と、峠の西、一段高い所に上水の施設があり、そこから
赤土のダブルトラックが西に向かっていた。電柱も道に沿って続いているのでその先にはなにかが
あるのだろう。赤土林道に入ってわかったのだが、火の用心マークがあることからこの尾根道は
どうやら巡視路らしい。前回、倒木にめげずに進んでいれば峠まで楽に来れたわけだ。
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放棄された耕作地の横がルート | 山でぶたまん |
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林道の終点には軽自動車が2台。どうもハンターのもののように見える。左に入り口があってその奥は どうやら耕作地のようだ。しかし、現在は使われていないようで荒れている。電柱はさらに西に続いており、 車の後ろに細いトラックがあるのでそちらに入る。
獣避けのトタンとネットの横を通過する。北側の展望が少しあるが北風が寒くて止まることができない。
風よけポイントがあったのでそこで食事とする。私は岩津ネギうどんとTQFさんが蒸してくれたぶたまんで
お腹いっぱい。11時35分再スタート。
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電力の供給先はこいつだった | 猟犬ちゃん |
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鉄塔33に到着。前回ここで引き返したのだった。謎の100Vパワーケーブルもここが終点のようだ。 それは『航空照明用点滅器B型』に引き込まれていた。ある高さ以上の鉄塔には点滅装置がピカピカしているが、 なるほどこういう仕組みになっていたのか。 436ピークを迂回して大下りへ向かう南尾根に乗る。ほんとは時間にも余裕があるので赤十字山にも 十分に行けるペースなのだが大下りに車をデポしているので仕方ない。 赤十字への分岐にオレンジのジャケットを羽織ったハンター二人と遭遇。軽く挨拶するが無視される。 主人の無礼をわびるかのように二匹の猟犬が我々に着いて来る。
いったいどこまで着いてくるのか?ほっとけばいいがやはり気になる。TQFさんはわざと
誘導しているようにも見えるが・・・(^_^;)
ほんとかどうか知らないが首輪に付けている無線機で距離が離れすぎると犬に信号が出るとTQFさん。
そのためか374手前でUターンしていった。
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雑木の尾根を下る。ここの左下が『J』 | 374手前。ちゃんと道がある |
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前回この尾根はMTBで楽しく乗れた尾根だ。地形図にはなんのしるしもないが、ちゃんとした 道がある。なんでこれほどの明確な道があるのか?ふもとの大下りは細い谷の斜面に張り付くようにある 集落だ。耕作地は川沿いに細長くあるのみ。山中の『J』は段差のある平坦地がコロシアムのように馬蹄形に存在している。 きっとなにかの耕作をしていたのかも。それらの場所へ行く道だったのではないか。
374手前に左右に道が別れているが左を行くべし。さらに乗れ乗れとなるが 左に落ちると谷までまっさかさまだ。ああ、MTBが欲しい。 |
大下りの墓地。緑の矢印を下ると集落。今回は白い矢印へ | 古い墓石もある |
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やがて墓地に着く。けっこう新しい墓石もある。写真にある緑の矢印を行くと集落にダイレクトに降りられる。 今回は尾根の先端まで行ってみようということに。 江戸時代の古い墓石やら石仏などもあって大下り(おおさがりと読む)が歴史ある集落だということがわかる。 そのまま激下りの斜面を下って道路に着。12時35分。 「赤十字まで行けたなあ」とTQFさん。MTBならやはりあの峠から西に向かうのがいいだろう。 赤十字まで行くのもいいし、大下りの尾根を楽しむのもよし。乗れるかどうかわからないが鉄塔31から 巡視路を下るコースもありかもしれない。
今回の多賀登山の地図は
こちら(約290k)
でごらんください。 |