タキタニの頭から佐中の三峠

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『大屋市場』、『但馬竹田』を参照していただくようお願いいたします。

2012. 4.15.  日曜日  晴れ  気温  あったか

先週に引き続き佐中へ向かう。というのも、佐中で出会ったおじさんからおもしろい話を聞いたからだ。 それは先週に歩いた佐中から内山へ抜ける『内山坂』以外にあと二つの峠があるという。 その入り口にあたる場所も教えてもらった。一つは尾ノ上へ抜ける峠、もう一つは石ヶ坪へ抜ける峠だ。 特に石ヶ坪への峠は降り立つと、お走り祭りで有名な斎神社が真っ正面にあるという。 しかもどちらも石仏もあったという。

それらの峠だけを歩くだけでは距離も短すぎていかにも頼りない。そこで何年も前から考えていたのが スリガ峯から内山坂まで縦走するコースだ。しかし、これはこれで距離が長すぎる。 その中間を取ったのが今回のコース。一人では心許ないのでTQFさんに 助っ人をお願いする。

佐中の村を歩く尾ノ上坂(仮称)の入り口

先週と同じ『さなかしもはし』のスペースに駐車して8時45分スタート。 千年家の横を通過。千年家はあの大ムカデ退治で有名な俵藤太秀郷の子孫で 進藤家の旧家です。いつ頃建てられたのかははっきりしないそうだが鎌倉、室町という説もある。 今日は千年家の見学会があるそうだがそれまでに下山できるかどうか。 下山できても見学する元気があるかどうか・・・。

佐中川に沿ってある林道を歩く。まずは地図にある『C』が尾ノ上に抜ける峠の入り口だ。 その谷の入り口は広く墓地の後ろには砂防堰堤がある。峠道はまだ存在しているのだろうか? 峠には何があるのだろうか?想像しただけでわくわくする。その峠は下山コースとして通過の予定だ。

地図の『D』地点。右が峠への道宝篋印塔

続けて『D』の峠入り口となる。ここには朝来町指定文化財の宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある。 残念なことに相輪部分が落ちていて立てかけてあった。 そもそもは、帰路に立ち寄る予定の『D’』の石ヶ坪への峠にあったものが いつの頃か現在の地に降ろされたという。

それを考えると、この石塔は前述の進藤家始祖から七代目である進藤小源太敦景の墓石と言われているが 実際はどうかわからない。 応永三十一(1424)年の紀年銘あると案内板に書かれているが、 他にも『一結衆 十五人 敬白』と彫られていると深高寺で いただいた資料で確認。

宝篋印塔のすぐ先は日林(日本土地山林(株))の貯木場、さらに進むとチェーンの車止めのある『E』。 佐中川を挟んだ向こう岸には延々と石垣が続く。昔の人たちが築き上げた耕作地の跡だ。 なおも前進をするのだが途中で宝篋印塔にストックを置き忘れたことに気が付き走って戻る。 これで時間と大幅なスタミナ消耗・・・・。

支線林道を行く終点付近は道が崩落

今回のコースのハイライト?とでも言うか、林道本線から北西に延びる支線へ入る。実はこの谷を ダイレクトに詰めて『J』のピークから尾根を縦走しようという計画なのだ。 その支線林道を入り口から入らずにショートカットで進入。
林道終点から谷を遡行

林道終点手前で道が崩落していたので心配したが無事に通過。さて、 この林道の終点からどうするか?予定通り谷を詰めて行くか、それとも左の尾根へよじ登るか。 TQFさんはそのまま行こうと言う。私もそれが希望だったのでおとなしく従う。
炭焼き窯跡がたくさんある

道無き谷だと思っていたが右に左にとうっすらと踏み跡がある。それに沿うように 炭焼き窯の跡がいくつもあった。昭和30年代でもここらでは炭焼きが盛んだったという。 その名残だろうか。
滝が出現

そのままゆるやかな谷を行くのかと思えばいきなり滝が現れた (それもそのはずで、後日教えていただいたこの谷の名前は『タキタニ』でした)。 いいかげんな目測だが10mX2段と言ったところか。この地点でもけっこうな標高にあるので 水量は乏しい。それよりなにより、ここからどう行くのか。TQFさんが左岸から巻けるという。
左岸を高巻きするその上にも同じような滝が

鹿道なのか、うっすらとした踏み跡があるのでそれを利用する。やれやれ無事に滝を クリアーしたかと思えば、高巻きしたその先にも同じような滝が。 TQFさんは下まで降りていくが、私はそのまま踏み跡をたどって二度目の高巻き。
2つの滝の上にも炭焼き窯跡が谷もいよいよ終点間近

足を滑らせば斜面を滑落だ。ようようの体で二つ目の滝もクリアー。まさかと思ったが、こんな所にも 炭焼き窯跡があった。地面には茶碗の欠片も落ちている。谷も終点が見えてきた。最後の谷が二つに分かれている 箇所にも窯跡があった。ここから斜面をよじ登れば山頂だがTQFさんはそのまま谷の終点まで行くという。 私はあえぎながら目の前の斜面をよじ登る。ピークに近づくにつれてアセビが増えてきて進路をふさぐ。 11時半のサイレンが聞こえ11時35分に山頂着。TQFさんはすでに到着済みだった。
点名『奥ヒナタ』の頂上スリガ峯(大杉山)は真向かいだ

山頂には四等三角点の金属標が埋め込まれていた。標高873.6m、点名は『奥ヒナタ』という。これはこの付近の字を点名に したものだと思う。ちなみに佐中川を挟んで向こう岸には四等三角点の『ヒシロ』がある。 『ヒナタ』は文字通り日向のことで、『ヒシロ』は日陰のこと。山に良くある字だ。 ただ、谷の名前が『タキタニ』なので、山屋風にいうと『タキタニの頭』ということになる。

TQFさんからブタマンもいただきお腹いっぱいだ。無線も福井県のIRCさん、すぐ近くの朝来山からWCYさんと繋がる。 後半はここから稜線を辿って佐中へ帰るのだ。反対に西に向かうとスリガ峯(大杉山)となる。そのスリガ峯と 隣接するアオマ山がすぐ近くに見える。う〜ん、やっぱりあそこからだと私の体力だと無理かなあ・・・。

こんな稜線です

12時20分下山開始。最初はピークから急な下りだがやがてゆるゆるで広い稜線となる。 694ピークは巻いてクリアー。この右下には登ってきた谷がある。登り返して三等三角点『町』、標高697.6mには 13時05分。地形図を見るとここから北に向かって点線道が降りている。 覗いてみると確かに切り開きがあり、鹿避けネットの支柱があるので歩くことはできそうだ。
点名『町』の頂上

このピークから当初の目的地である石ヶ坪へ抜ける峠までは下りっぱなしの尾根となるので 体力的にも楽が出来る。ただ、のどが渇いて仕方ない。
建屋の谷が見える先週の馬場山も

徐々に標高が下がっているのが実感できる。建屋の谷も目の前だし、先週登った馬場山の ピークすら高い位置に見えるようになってきた。 周囲の気温も高くてさらにのどが渇いてくる。
なぜか道が出てきたなんの道なんだろう

ふと気が付くと稜線上にしっかりとした踏み跡が出てきた。踏み跡と言うより道そのものだ。 TQFさんと「なんの道なんやろ?」と話す。朝来市の図根三角点を13時40分通過。 道はさらに明確になってくる・・・。

その日帰宅後、生野の守蔵さんからメールをもらう。その内容は守蔵さんが佐中の深高寺 (但馬西国の24番)へお参りした際に感じたことなのだが、 これらの峠が能座の円通寺(但馬西国の25番)へ続く巡礼路だったのでは・・・と。

そこでピンときた。この尾根の上にある道はそちらへダイレクトへ向かう道だったのではと。 地形図で確認してみると、ちょうど道が現れ始めたのは『あ』の地点付近だった。 そこにある尾根を下っていくとちょうど餅耕地から長野方面に下れるのだ・・・。 例によって単なる私の妄想なのか。時間があれば餅耕地で聞き取りをしてみたい。

石ヶ坪坂(仮称)に到着頬がぷっくりとかわいい

その尾根道は当初も目的地である石ヶ坪坂(仮称)まで我々を導いてくれた。 峠は典型的な切り通しの峠だった。13時50分。 と!そこには情報通りに石仏が!

錫杖を持った地蔵菩薩だった。文字が彫られているのでさっそく検証をする。むかって右側は 変体文字を使っているのでわかりにくいが『石がつぼ』と地名。 すると左側も地名のはずだがそれは名前のようにも読める。 良くあるのが土地を開拓した人の名前がそのまま字になる例がある。それかも・・。

後で知ったのだが、スタート時に見た宝篋印塔は当初ここにあってその基台は今でも残っているという。 当然だがその時はそういうことも知らなかったので確認できず・・。

尾ノ上坂(仮称)に到着。矢印に基台が見えるほほえみの地蔵

一つピークを越えると今度は尾ノ上坂(仮称)だ。14時07分。 さきほどの峠とは違い広い松林の中のゆるい鞍部だった。 目の前に石の基台は見えるが石仏はなかった・・・が、近寄るとそれは 後ろに倒れているのだった。 TQFさんが丁寧に立てて手を合わせる。

ここの石仏の光背部分にも目的地である尾の上の文字が見える。このまま尾の上に降りて 松下さんのおうちを探してみたい衝動にかられる。 そうもいかず、最後の登り返しにあえぐ。三等三角点『長野』は立ち止まらずにあっさりと通過して いよいよ最後の峠だ。

内山坂に到着干支がおかしい?

最後の三つ目の峠、内山坂には14時35分。ここには林道も来ているが内山へ下る峠道も確認。 先週、単独で見た石仏を再度確認。あれ?干支がちょっとおかしい。明治二年は『巳』のはず。 さて最後の下りだ。手持ちの水はここですべて飲み干す。
放置された間伐材で道は喪失やれやれ里に下りました

先週は地形図にある点線道を登りましたが、これは道とも踏み跡とも言えないような ルートだった。今回はちゃんと峠から見える道を下る。 ところがそれは数10mで無くなる。目の前には気が遠くなるような量の放置された間伐材だ。 これなら先週のルート(わかりにくいが)のほうがはるかにマシだ。

しかたなくそれらを乗り越えてまっすぐに谷を下ることにする。元々山育ちで 親の山仕事も手伝ったこともあるのTQFさんは スイスイと下るが、私は喉もカラカラでフラフラ状態で下る。 駐車ポイントには15時05分。千年家の見学会ももう終わっているだろうし、そこを訪れる元気も無い。

実際に三つの峠を歩いてみると新たな疑問も興味も出てきた。建屋側から一筆書きで 三つの峠を佐中も通過して歩くことは出来ないだろうか?よし、 山ヒルのいない時期をねらってまた訪れてみよう。

今回のタキタニの頭から佐中の三峠の地図は こちら(約230k) でごらんください。


それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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