はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『北条』を参照していただくようお願いいたします。 2012. 3.11. 日曜日 曇り 気温 寒い
このコースは10年前にMTBで走ったことのあるコースです(取り付きはちょっと違いますが・・・)。 そのときはけっこう乗れたという記憶が残っていますが、今回は歩きでほぼ同じコースを辿ってみます。 歩きで前回時間がなくて見逃した所などをじっくりと見てみたいのです。 単独の予定でしたがTQFさんとゆりこちゃんが同行してくれると言うので 下山後の長い舗装路歩きが回避出来そうだ。 |
ゴールの井口恵美須神社 | スタートの高峰神社 |
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ゴールは福崎町井口にある恵美須神社。私の車をそこにデポする。行ってみると境内では 大勢の人が作業中だった。来年の大祭に利用する薪を用意するために斜面の木を伐採しているのだった。 地元の人がいるのは都合がいい。車を駐車する許可もあっさりともらえた。 そうこうしているうちにTQFさん親子もやってきたのでスタート地点である高峰神社へ向かう。 高峰神社の境内に車を駐車して9時20分スタート。この神社は不思議なことに?境内から東の山腹を巡るように 四国88カ所の札所巡りのコースがある。さらにその奥には薬師堂があって、当然ながら薬師如来が祀られているという。 これは神仏習合の名残なのだろうか?WEBで調べてみると高峰神社の社名は高峰山曼陀羅寺からとったという。
天文11年(1542年、室町末期、徳川家康が生まれた)に高峰山(これから登る深山の古名だと思うのだが、
畑では深山は奥山と呼ばれていた)から
この地に遷座されたという。それまでは深山の頂上にあったわけだ。さらに、その曼陀羅寺はかの法道仙人の開基なのです。
では、その法道仙人由来のゆらぎ岩があるのでそちらへ向かいましょう。
本殿の裏手から『水面のこみち』を行く。左手には水路があるのだが、どうやって造ったのだろうかと思わせるような 石組みの水路がある。写真を撮るが実際に見るようには撮れないのが残念だ。しばらくで分岐となる。 ゆるぎ岩へ向かうのに二つのコースがある。『260m(8分)』『390m(12分)』の二つ。 そりゃもう8分コースでしょ!!
8分コースは谷を登るのだった。途中に左へ曲がる分岐もあったのだが、そのまま直進、そして行き止まり。
無駄な汗をかいて、しかもミスコース。とりあえずさきほどの分岐へ入ると目の前にそびえるのがゆるぎ岩だった。
法道仙人に由来するこの岩は善人が押せば動き、悪人が押してもびくともしないとある。当然ながら私が押すと ゆらゆらと動いた。はたしてTQFさんは? |
昔の峠道に出た | 峠に着 |
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ゆるぎ岩から峠道に出る。荷車なら通れるほどのしっかりとした古道だ。 ここもMTBでよく来た所です。やがて峠(名前はわからず)に着。10時。 現在は林道も交差しているが麓には害獣避けのゲートがあるので車の通行は頻繁ではない。 そして、そこにはいつのものかわからないが道標石仏がある。 東西南北にそれぞれの集落名が彫られているが、北は『日光寺道』とある。 |
いきなり立ち枯れ地帯 | 深山頂上 |
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つまり今回のコースの前半部分、深山への登りとそこから日光寺山へ向かう稜線は 日光寺への参道です。したがって昔は良い道だったのだが、登り初めていきなりの立ち枯れ地帯となる。 山火事?それとも風倒木?イバラの中の細い踏み跡を探しながら行く。 緩やかな登りの稜線(参道)は昔よりもはるかに倒木が多くなっていた。 山頂から峠まではMTBですべて乗れたのに・・・。 深山の舗装管理道には10時30分。この道ばたに二等三角点がある。標高は408.2mとなっているが 山頂はそれよりも数m高い。山頂からは笠形山がよく見える。天気はまだ良いが徐々に悪くなってくるようだ。
畑町にあった高峰神社と曼陀羅寺はこの山頂付近にあったのではないだろうか。
鐘付き堂跡やら宝篋印塔があるというのだがどこだかわからないまま先を急ぐ。
舗装路を大きく曲がる地点から稜線の続きがある。
いきなり切り通し(小さな溝程度ではあるが)が出現。
ここからは高峰山城跡の遺構があるのだ。
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箭竹地帯を過ぎると主郭 | 土橋を歩いて |
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箭竹地帯が現れると主郭のあるピークは目の前だ。左に枝道があるのは南尾根への分岐かと 思われる。 主郭手前には数段の曲輪跡があって間違いない城跡なのが確認できる。 ピークの西側はさらに急斜面でこちらにも数段の曲輪がある。 ピークから南に下る尾根も城跡らしい。つまりこの高峰山城跡はずいぶんと規模の大きな 城跡なのだ。 ここから日光寺山手前にある鞍部までもMTBで楽しめたのだが、現在は見る影もなく 倒木が満載。
その鞍部が近づいてきた。10年前はちょうど林道の工事中でまた鞍部は存在していたが、
今はひょっとして高いのり面で降りられないかもしれない。そこで林道が目の前に近づいてきた
地点で林道に降りる。
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林道に降りる | 日光寺山山頂手前で昼食 |
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なんのための林道かよくわからないがこいつのために稜線はぶった切られている。 そのたち切れた鞍部部分には階段があったので降りることができたようだ。 日光寺山方向にも丸太階段があったのでそれで登る。 そこには日光寺への参道が残っていた。そのまま行くと日光寺の墓地の最上部付近に飛び出ることになる。 墓地からはこの道を見つけることはむずかしい(目印も標識もないので)。
TQFさんは参道をキャンセルしてそのまま山頂へ行こうという。
ヤブっぽい斜面をよじ登り電波塔施設の金網横から舗装路に出る。そのまま山頂へ。
三角点手前はベンチのある広場になっているのでそこで昼食を摂る。11時半。
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日光寺本堂からの巻き道との合流点 | 『H』で左折 |
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12時05分再スタート。四等三角点の埋まる頂上を過ぎると歩きよい尾根道となる。 ほどよい幅のシングルトラックはMTBに最適。最初の鞍部には赤布がぶらさがっていて、 よく見るとシングルトラックがあり、その方向は日光寺に向かっている。 知る人は少ないが日光寺の本堂裏からここまで道があるのだ。
鞍部から登り返したピークには関電の火の用心マークがある。これまたはるかの昔、MTBで
ここを直進してしまい福崎の下加瀬に降りたことがある。ここは左に曲がるべし。
150mほどで右に変な地形が見えるのでそこに降りる。
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両側は露天掘りの跡 | ここも露天掘りの跡 |
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明らかになにかを掘り出した跡だ。10年前にもここを通過して不思議な地形だと思っていたのだ。 朝、恵美須神社で作業をしていたおじさんの話では、昔ここで石灰を掘り出して里で焼いた後畑などに撒いて 土壌改良をしたという。(生石灰で酸性土壌を中和する) |
10年前はジャングル | 現在はこんな感じ |
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ほとんど記憶はなくなっているが10年前も今と同じような感じだったのだろうか? 家に帰って10年前の写真を見るとほとんどジャングル状態だった。今日来てみて、 木がなくなっているためによりいっそう平坦を実感できるのだった。 日光寺にある日光寺由来の看板を見るとこいうことが書かれている。 日光寺の開祖である法道仙人は同時に同じ山塊に曼陀羅寺、月光寺の三寺を建立したと・・・。 曼陀羅寺は深山にあったと確認済み。残る月光寺はひょっとしてこの付近では?
もちろんこの付近から瓦とか礎石、石塔などが発見されたならば間違いない話で、
単に平坦な地形を見て想像しただけですが・・・。
市川町の伝承では下瀬加瓜生田の山中にあって250年前に焼失したということだ。
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岩の切り通しを抜ける | 作業していたおじさんたち |
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大岩に挟まれた切り通しに出る。岩をよじ登るルートもあるかもしれないが、北側に金網に沿った ユンボ道があるのでそちらへ出てみる。10年前にもあったユンボ道だが、 地形図を見ると市川町の『あ』から登ってきている。 岩石に詳しい橋元先生にメールしてみると『あ』の左にある橋は『石灰山橋』と呼ばれているそうで、 その近くに転がっている石灰岩から水晶を生徒たちと採集したらしいです。 このユンボ道も昔は石灰岩を降ろすための道のようです。
その道では重機が動いていて、おじさんたちがなにやら作業中のようでした。
話を聞いてみるとイノシシなどの害獣避けに金網を補修しているのです。
このユンボ道は稜線から離れてしまうため、斜面をよじ登って稜線に復帰。
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ビニールひもで荒れた稜線 | 『L』神社への道 |
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ここから『L』までは松茸山だがゴミやらテープやらで非常に荒れている感じ否めない。 ゆりこちゃんのペースが速くて着いていくのがしんどいが、そのぶんゴールも早くなりそうだ。 10年前は井口山にも登り返して恵美須神社へ降りたのだが、今回は北側山腹にある 巻き道へ『L』から入ってみる。
巻き道はすごく良い感じで、ここをMTBで下れば乗れ乗れ間違いなし。 遙か先、神社の方向から「そろそろ終わろうか〜」というような声がする。 どうやら朝方からやっていた作業が終わるようだ。 間に合うかなと思ったが、 我々が神社に着いた時にはもうだれもいなかった。13時50分。 後半のペースが速かったのでこんな時間にゴールできた。 10年ぶりに歩いたルートだったが新しい発見もあり楽しかった。
今回の深山〜井口恵美須神社の地図は
こちら(約210k)
でごらんください。 |