はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『栃本』を参照していただくようお願いいたします。 2011.10.16. 日曜日 晴れ 気温 ふつう
2週間前に但馬妙見山山麓にあるという小佐谷弾丸列車軌道の探索をしたのだった。軌道跡も見つかって 大満足と言いたい所だったが疑問に思うところがあって今回もここ日畑にやってきました。 聞き取りをしたかったのだが、それだけではもったいないので表題にある点名『妙ヶ谷』という三角点ピークにも 登ってみようと思う。
いつも止めさせてもらっているスペースに車を置いて準備をしていると西側にある小さな坂道から女性が降りてきた。 2週間前の話をすると「うちのおじいちゃんがそのことに詳しいから」と家に案内してくれた。 そのおじいさんは94歳で、私が持っている養父の資料を作成した人を弾丸列車軌道に案内したご本人だということだった。 いろいろと話を聞かせてもらったが、この人をもってしても当時は幼児だったわけです。
弾丸列車に関する疑問は晴れなかったが生き証人とも言える古老とお話できたのは収穫でした。
車に戻ってリュックを担ぎ今度は妙ヶ谷を目指す。この山だけ登るのなら別の周回コースを考えていたのだが、
今回は観音寺へ抜ける峠からピストンとする。その峠へ向かうには駐車ポイントからさらに奥にある民家の
横手を抜けなければならない。初めて来たときはなんだか気後れして通れなかったことがある。
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ここを入っていく | 家の裏手を回り込む |
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今日はその家の前で掃除をしているご主人がいた。これ幸いに弾丸列車の話をしてみると、おどろくほど 詳しく、私の疑問にも答えてくれた。昔は猟師をしていたということで周辺の山にも詳しい方でした。 これから峠へ向かうと言うと入り口を案内してくれるという。家の裏手から右に回り込んでいく。 あれ?地形図にある点線ルートとは違うのだが・・・。
後でわかるのだが、地形図にある点線の道は峠道とは違っているのだった。ご主人の案内する道が
昔からある峠道で、しかも途中には金鉱山の坑道跡もあるという。
ただ、道沿いにあるのは土砂で埋まっているので、左上に見える愛宕堂の近くにあるのが良いと
教えてくれた。
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左上に愛宕堂あり | 中を覗いてみる |
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左上を注意しながら歩くとすぐに愛宕堂が見えた。しかし、聞いていなければ足元を見ながら登ると思うので 見つけにくいと思う。 愛宕堂へよじ登って中を覗いてみるがからっぽでご神体(お札?)はなかった。 横の板壁に『愛宕神社新築 寄付者御芳名』という横長の板が打ち付けられていた。 年月日を確認するが墨文字が薄くなっていて読みとれない。昭和拾二年?か。 寄付金の額が最高でも参円で寄付者36名(現在の日畑に住んでいる人はたぶん一桁?)、 寄付金合計は41円20銭とあった。
さらに興味深いのはこんな僻地の(失礼)小さな愛宕堂に京都の愛宕神社から代参者が来たと書かれている。
たった1枚の板きれだが
いろんなことが読みとれておもしろい。外に出て教えてもらってとおりに裏手からある薄い踏み跡をたどる。
と、ズリで出来た小さな平坦地があり、そこに土砂に埋もれかかった鉱口が山腹に開いていた。
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金が採れたんだよ〜 | 中に入ってみる |
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見た目は小さいが土砂の向こうは大きな坑道がある。高さは2m以上でけっこう奥行きがありそうだが おじさんの話ではすぐに行き止まりで縦坑になっているそうだ。よく考えるとこの位置で 横方向に掘ると向こうに谷に突き抜けてしまう。 縦坑の所まで行きたかったが足元が泥沼のようになっていて、登山靴がずぶずぶと沈み込むのであきらめる。 縦坑で繋がっているという この下にある坑道(現在入り口は土砂で埋まっているそうだ)では子供の頃こうもりを捕って遊んだということだった。
手掘りの坑道というのが概して人が這っていくのがようやくなほど小さいのに、ここは すごくでかい。岩盤が固いのか崩れた所もない。とにかく昔の人はすごい。 坑道から表に出て、さあどうしましょ。谷に降りて峠道を行くのが普通だが、愛宕堂から 支尾根に取り付いてみよう。この途中にも坑道の埋まったのがあったりする。 やがて正規の峠道と合流してあっさりと峠に到着。
10時47分峠着。この峠に来るのは二度目です。 日畑で聞いても峠の名前は不明。さらに、ここにある石の基台も謎のまま。 石仏があったのか、道標があったのか聞いてみたがわからなかった。行ったことはないが ここから観音寺の谷に下った所には道標の石仏があるという。
前回来たときはここから妙見への参道を辿ったのですが、今回は逆の方向へ向かう。
村でいろいろと寄り道したのでだいぶ遅くなりましたが
この時間なら山頂まではお昼に着くでしょう。
おじさんの話では昔は笹がすごかったらしいが、他の山と同様にここも笹枯れで問題なく歩けそうだ。
予想どおり足に絡んでくる笹もなく快適に歩ける。しかも雑木の尾根の木漏れ日が心地よい。 568ピークの南斜面が不思議な地形を形成しており(実際見てもらわないとわからないが なにか掘り返したような?あるいは段差があることから耕作地?)帰りはここを歩いてみよう。 |
鹿を捕まえる罠の跡 | 『D』の鞍部 |
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大きく下って 『D』の鞍部には11時20分。植林されているのでどこかから登ってくるソマ道かなにかが ありそうだ。登り返してまたもや下ると大きなヌタ場『E』がある。 ここまではしっかりとした地図読みをしないとトレースはむずかしい。 |
大きなヌタ場を右に見る | 頂上の手前竹林となる |
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536ピークの西にあるピークは巻いてクリアー。帰りはそこも通過してみる。 そろそろ三角点ピークと思える頃、なぜか尾根に真竹が。竹林があるということは この周辺も人の出入りが多かった?
標高529.5m、三等三角点、点名『妙ヶ谷』の山頂には11時56分着。 さきほどの536ピークといい、この周辺にはここより高いピークがあるので もし近くの山から見てもどこが妙ヶ谷のピークかわからないと思う。 とりあえずお昼を食べて、近くの蘇武岳にいるたぬきさん夫婦と無線をする。 オカリナも吹いてさて下山。12時40分。
帰りはピストンだから楽勝と思いきや地形が複雑なので慎重にルートを見極める。 行きと違い違う所が見えたりするのがおもしろい。 遙か遠いと思える大岡山もすぐ近くに見える。 |
568ピーク下を行く | 峠に戻りました |
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568ピーク下は最初植林で段々の平坦地がある。ハンターの歩いた跡をたどると やがて雑木の林となる。ここもうねるような地形になっていた。 枯れた笹のあいだを抜けるように下ると峠に着。13時40分。 |
峠から点線のルートへ向かう | 碍子があった |
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ほんとの峠道で下れば一番確かだが、あの点線ルートが気になる。初めてこの峠に登った来たのは あの点線ルートを途中からたどったのだが、そのときは良い尾根道だった。 あの点線通りに下れると予想して下り始める。
ところが途中からまったく道とは言えないようになってきた。特に谷に大きく回り込むルートは
現在は存在しない。しかし、古い碍子などが転がっていることから電力かなにかの電線のルートだったのだろう
(おじさんに聞くとTVのケーブルだという)。カメラを仕舞い、手袋をして木を掴みながら谷に滑り降りる。
14時08分里に降り立つ。おじさんに挨拶をして日畑を離れた。時間をかければ地見から日畑までの 縦走も可能だと思う。
今回の妙ヶ谷の地図は
こちら(約90k)
でごらんください。 |