はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『但馬竹田』、『矢名瀬』を参照していただくようお願いいたします。 2011. 4. 2. 土曜日 曇り 気温 ふつう
ちょうど1年前の今頃、たぬきさん夫婦と粟鹿峰 に登りました。ルートは与布土坂から分水嶺の稜線をたどって登頂するというものでした。 そのときのサブルートとして考えていたのが今回のルートです。 衣笠山はそれ以前から山城跡だとわかっていたので、どこからかルートはあるだろうと思っていました。 幸いに頂上には三角点があるので、とりあえず点の記に記載された登頂ルートを参考に登ろうと考える。 ところが前日にWEBで検索すると、なんと、子供でも登れる登山道が整備されているらしい。 ならばその登山口さえ発見できればいいわけだ。
山裾にある舗装路をゆっくり走る。散歩中のおじさんに聞くと、すぐそこに登山口があるという。
見ると立派な標識が立っていた。道ばたに駐車して(もちろん許可もらいました)9時03分スタート。
同行はTQFさんとOAPさん。
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道ばたに駐車して出発 | いきなりミスコースで山の祠へ |
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登山口の標識からすぐのところに鉄柵の扉がある。それを抜けると正面と左手と、二手に道が分かれていた。 「あれ〜?どっちやろ?」左手の方が明確なように思えてそちらを登る。まるで絵に描いたようなジグザグな道で 登り切った所には朽ちかけた祠があった。どうやら山の神かなにかのようだ。そこからは道がないので いきなりのミスコース。その奥に尾根があるのでそこからも行けそうだが、正規ルートを歩きたいのでもう一度 仕切直し。 |
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正規ルートは谷の道 | 『B』地点。ここから一直線で頂上へ |
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正規ルートの出だしは谷の道。点の記のルートとは違うが、これが地元で整備したルートのようだ。 要所要所に道標があるので脇道にそれることは無い。さきほどの祠の尾根と合流してと思ったら、 ぐるーっと西に回り込んで、山頂から西に下っている尾根に合流。9時30分。
展望地があった。さほど標高があるわけではないが、なかなかの展望だ。今日は霞がひどくて 遠くの山は確認できない。これは天気が良い日に是非とも登りたい。
頂上手前は急な登りで、わずかに二段の曲輪跡がうっすらと残っていた。 その衣笠山には9時50分着。標高430.5m、三等三角点。さほど広いとは言えないが平坦地で、地元の人たちに よって木々は刈り払われていた。さきほどの展望地から竹田城がよく見えたことから竹田城の出城のような ものだったのかな?
頂上から東方向を見れば遠坂峠から京街道である9号線の矢名瀬町にかけてが一望だ。
やはり街道監視の要所と言えるかもしれない。さて、ここが最終ゴールでは無いので先を急ぐ。
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一つ目の堀切 | 二つ目の堀切 |
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下り始めてすぐに堀切があった。 登りのルートは急だったので堀切は無かったのだが、こちらは緩やかな稜線なのでセオリー通りに存在していた。 続いて二つ目の堀切。 今日はこれを見られただけでも収穫大だ。 |
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枯れた笹の尾根 | 東方向に開けてきた |
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城跡からはひょっとしてヤブではないかと危惧していたのだが、せいぜい枯れた笹が 足元にからみつくぐらいで、歩くにはまったく支障無し。 |
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ゲゲっ!!これは? | 右下にはダム工事(堀切付近から見えた) |
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数百年前の遺構を見学した興奮もさめやらぬのに、目の前に突然山には似つかわしくない ものが現れた。それはソーラーパネルとエレメントの無いアンテナ?が据え付けられていた。 ケーブルの延びている方向は右下にあるダム工事の現場だが、そこは谷底なので電波の状況は悪い。 で、ここにあるのだが、ひょっとして宿舎かどこかのTVの?
しばらく歩くと稜線上を斜めに横切りソマ道に出会う。10時25分。きれいな道でどこから来て、 どこへ向かっているのかとても気になる。私だけかもしれないが山中でこういう道に出会うと そちらへフラフラと行ってしまいそうになるのだ。
こんな道が残っているぐらいなら、地形図に記載のある『F』の道は間違いなくありそうだ。 その前にお腹が空いたので602ピークでおやつ休憩をする。確かに休憩後は元気が回復するのだが、 二人は一気にハイペースとなり、最後尾を遅れながら着いていくこととなる。地形図の道との合流点は もうすぐかなあと言うまもなくそれはあった。深い切り通しのまさしく峠そのものだ。 TQFさんと周囲を探すは石仏などは無し。
後で考えるに、与布土から青垣の大稗に抜けるには与布土川を遡って『けえ坂』からお杉地蔵のある『粟鹿峠(杉がたわ)』で大稗に
抜けられる(これら二つの峠の名称にはいくつかの異名があって、私の記述が間違いの可能性大)。そして、粟鹿神社のある粟鹿から大稗に抜けようとすると、
一旦この峠から与布土川に下りて、けえ坂に向かうのが一番合理的だ。
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明確な道が続く | そして登りが続く |
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峠から左右に明確な道が下っているのはもちろんだが、なぜだか稜線上にもジグザグに道があって それで標高が稼げるのだった。仕事道にしては幅も広いし、なぜこんな道が造られたのか私の貧弱な想像力では わからない。このジグザグ道で一気に120mほど標高を稼ぐのだった。 |
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でかい岩塔 | 正面は817ピーク |
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途中の平坦な箇所で小憩。ここから さらに120mほど登らねばならない。二人のハイペースは続く。 登り初めは暑いぐらいだったのに、この付近からガスと風が出始めて、斜面には残雪もある。 目の前の急斜面をよじ登れば地形図にある817mのピークだが足がずるずると滑る。
その817mのピークには11時40分。目の前にはさらにピークがあり、その向こうにあるはずの粟鹿峰の山頂は見えない。 その目前のピークは去年下山の時に通った(写真の黒矢印)ピークで、林道と出会うのり面には階段があって 下りることが出来た。今回のり面部分が登れそうなら白矢印で登るつもりだ。 |
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工事中の林道を横切る | ようやく山頂が見えた |
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土曜日だったが林道は工事の真っ最中で重機がうるさく動いていた。熊避けの鈴をリュックに付けていたが そんなのはまったくいらないほどの騒音だ。その林道を横切って予定通りに斜面をよじ登る。 よじ登るとようやくガスの向こうに山頂が見えるのだった。風もいっそう強くなっているので山頂での昼食は無理と判断して 風の無い所に座り込んで昼食とする。12時05分。 |
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ガスが流れて寒い | この上が一等三角点 |
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30分ほどで再出発。残雪を乗り越えて斜面をよじ登ると山頂直下の林道だ。 山頂はでべそのように小高く盛り上がった土まんじゅうになっていて、周囲は電波塔などの施設で 取り囲まれている。そこには一等三角点があり小さな平坦地で気候が良ければお昼寝でも したくなるような芝の山頂だ。標高962.3m。12時45分。
ガスで展望もないのでそそくさと下山開始。下山ルートは三つほど考えていたが
一番無難な西宮市立山東少年自然の家からのコースで下山することに決定。
舗装林道を下り始めると女性二人のハイカーと出会う。彼女たちの方が先着で、だれも居ないはずの
山頂から我々が下りてきたのでどこから登ったのかと聞くのだった。
南側にもかかわらずこちらの方が残雪が多いように思える。やがて下山路入り口となる。13時20分。 私は知っていたから良かったが、きっちりとした道標などは無かったように思えた。ただ『展望台』と いう標識が目印になる。(ただし展望台はまったく展望無し) |
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『池がたわ』の池 | 昔の峠道なのでいい道だ |
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その入り口付近は雑木が広がる湿地帯である。『池がたわ』と呼ばれているが、 ここは中央分水嶺ということを考えると非常に特異な?場所と言えるかもしれない。 つまり分水嶺上にある池ということになるからだ。
ここからも明確な登山道が下っていく。今は登山道として利用されているが、昔は
当勝神社から稲土へ抜ける峠道だったとたぬきさんに教えてもらったことがある。
ここをMTBで下ったらおもしろそうだ。
13時37分、再度林道に降り立つ。この林道は登りの時に横切ったあの工事の真っ最中の林道だ。 したがってここを登っていけば我々と同じルートで山頂に立つことが出来る。 そのとき一台のMTBが林道を下りてきた。 話をすると行き止まりで山頂には行かなかったという。ああ、残念。 (後に、メールをもらったが、彼は竜野から往復186kを自走したということだ) |
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ボブスレーコース! | 登山口に到着 |
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林道で分断された登山道の続きを下りる。新設の堰堤などもあったりするが先ほどの林道が 存在するから山が崩れやすくなっているは、素人が見ても明らかだ。 登るときに見たダムの工事もはたしてほんとに必要なものなのかどうか疑問が大きい。
そうこうしていると登山口に到着。14時10分。ここにはログハウスのトイレと数台止められる駐車場もあり、
粟鹿の雄滝、雌滝への進入路でもある。少年自然の家よ横を通り抜けて当勝神社の鳥居前に止めてある
TQFさんの車には14時25分。
今回の衣笠山〜粟鹿峰の地図は
こちら(約255k)
でごらんください。 |