はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『丹波和田』を参照していただくようお願いいたします。 2011. 9.18. 日曜日 曇り 気温 あづ〜い
いろんなことがきっかけとなり、加美にある青玉神社から朝来の青倉神社まで歩いてみたくなった。 まったくでたらめなコースを歩くわけではない。青玉神社の横にある林道奥、三国岳登山口には『右 あ於くら』と文字の彫られた 石の道標がある。つまり昔から青玉〜青倉を結ぶ参道が存在していたというわけだ(これもきっかけの一つ)。 そこを歩いてみようという訳だが、そのスタート地点はもちろんこの道標のある加美町の青玉神社からだ。 ところがその加美町には青玉神社が二つある。さらには青倉神社までもあるというのだ。 参道歩きの本番までにそれらを確認してみたい。晴れの休みは山に登りたいので天気の悪い日が調査日となるが、 こういうことの大好きな作畑ガールも同行するという。
まず、この道標にある寅さんのことをちょっとイメージしてみよう。
寅さんがここに道標を設置したということは彼も眼病を患っていたのかもしれない。
地図で永上郡(氷上郡の間違い)富田村は現在の山南町富田である。郡とあるから明治以降に設置されたのかも。
そこから加美へ抜けようと思ったら、
牛坂から樺阪、そして観音寺へ下るコースか、大見坂から箸荷(はせがい)に抜ける二つのコースがある。
この二つのコースを使いながら何度も青玉から青倉へ通っていたのだろうか。
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登山口にある道標 | 富田村の寅さん |
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今回の下見として、まずは樺坂鉱山へ向かう。というのもここにもう一つの青倉神社があるからだ。 数年前に訪れようとしたのだがアブの大群に襲われて撤退したことがある。 なぜここに青倉神社があるのか、だいたいの予想はしているが自分の目で見て確認したい。
杉原川の左岸を走って観音寺集落へ入るつもりだったが先週の大雨で通行止めになっていた。 R−427から観音寺集落に入ると手前に絵地図があった。それには今回訪れるポイントがすべて 描かれている。それを撮影していると他府県ナンバーの車が数台、樺阪鉱山方向へ走っていくではないか。 「きっとあれは鉱物採集のマニアやで」と作畑ガールに言う。
彼らの後を追うように『さくらロード』から鉄柵扉を開けて林道を行く。そこには荒廃したコテージが
数戸ある。バブルの頃のものだろうか。その先に駐車して樺阪鉱山を目指す。防災工事の最中らしく重機が
置かれているが日曜日なので作業はされていない。ちなみに鉱物採集チームに話しかけてみるが、
地面に視線が集中しているためか、生返事ばかりで愛想も糞も無い。
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堰堤の手前で道が消失 | 堰堤を越えて奥へ向かう鉱物採集チーム |
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正面に工事中の堰堤がある。青倉神社へは右に折れるのだが、工事の為に道が消失していた。 採集チームは左岸から堰堤を乗り越えてその奥にあるズリ山へ向かうようだ。我々も堰堤を越えて神社のある 向こう岸へ回り込むことにする。 |
謎の施設 | 青倉神社発見!! |
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堰堤から右に向かったその奥には不思議な施設がある。なにが入っているのかわからないコンテナ。 そのコンテナには謎のパイプが繋がっている。そしてトタン屋根の建家の中にはみかん山などでよく使われている モノレールがあった。その軌道は赤土の斜面に延びていたが、そこは土砂崩れを起こしているのでどこに 続いていたのかわからない。 ぬるぬるの赤土が流れ出ているので登山靴で来たらよかったと後悔する。作畑ガールはスニーカーが ドロドロになっている。 字名『石峰』と書かれている看板の先から沢を渡るとそこには石の階段があった。 奥を見上げるとどうやらそこが青倉神社らしい。
滑りやすい石段を注意深く登り詰めると、そこは石を組み上げた棚になっており、鉄骨で組み上げられた
社殿?があった。奥には四角く大岩がくりぬかれており『青倉大明神』なるお札が見える。
どうみても普通の神社とは言えないが、これは昭和の初めに造られたものらしい。
樺阪鉱山自体はずいぶん古く江戸時代から存在しているのだが、明治の初めに生野の人がこの鉱山を買い上げて
操業していたという。生野は誰もが知っているように銀鉱山の町で、古くから青倉神社への信仰がある。
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岩をくりぬいた青倉神社の社殿 | 扉は錆びて開きません |
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手掘りの鉱山はノミとタガネで鉱石を採取するのだが、そのときに石の破片で目を傷つけることが多々あっただろうと想像できる。 そこで目の神さまである青倉神社が生野の鉱山作業者たちにあがめられたわけです。 このバラック建ての青倉神社は神社と言うにはあまりに粗末な造りだが、前述の生野の鉱山主が朝来から 分霊したのはそういう理由があるからだ。
ここでちょっと話が逸れるが、朝来の青倉神社は大岩をご神体としている。その大岩を陽石(男性の生殖器)と
しているという話を聞いたことがある。その関連として、朝来にある行者岳の行者堂の大岩の割れ目を陰石
(女性の生殖器)、岩屋観音にある石仏群をそれによって生まれた子供としている。(生野のジローさん談を作畑
ガールから聞き取り)
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神社の裏手にある坑口 | 奥まで続いています |
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加美の青倉に灯籠にしては火袋も無いし変な石塔があると思ったら、それは陽石だった!! この青倉神社にも朝来と同様に陽石があったのだ。この場合、鉱山の坑口が女性生殖器にあたり、 鉱石が子供になる。つまりたくさんの鉱石が採れるようにと陽石が存在するのだ。 ただ単に目の神さまの青倉神社を模しただけではなく、多くの鉱石が採れるようにとの願いが この陽石の存在で感じられる。
現在は鉄骨で造られているが、本来は木造だったのを30年ほど前に地元の人たちが鉄骨で立て直したらしい。
さらには小さいながらも籠もり堂もあったという。今は村の人からも忘れられた存在となっているようだ。
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垢離場? | りりしい顔 |
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滑りやすい石の階段を下っていくと、登りでわからなかった石組みが目に飛び込んだ。 さっそく近寄ってみると、その石組みの中に一体の石仏があるではないか! 見ると、それは不動明王だった。だとすると、ここは垢離取り場だったのかも。 どこかに銘は無いかと探してみると、光背の裏側(これは珍しい)に『昭和九年十一月 生野町 施主 樺阪鑛山鑛主 安井至』とあった。 この樺阪鉱山は明治9年から昭和13年まで安井金助と至(元生野町町長?)親子によって操業されていたのだ。
ほんとはここから樺阪の石仏を観察しようと思っていたのだったが、足元が悪いのと、ヒルがいるのと、
さらに登るルートも良さそうになかったので自動車に戻ることにする。謎のコンテナを通り過ぎようとしたとき、
左上を見ると『自然のクーラー』という看板が目に入った。モノレール軌道を越えて見に行ってみる。
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ほんとにクーラーだ! | 謎のコンテナは保冷庫だった |
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するとそれは坑口で、そこからは結構強い風が吹き出ていて、周囲の草が揺れている。 それは冷風で顔を近づけるとみるみるめがねが曇ってくる。その坑口から太いパイプが延びていて、それは コンテナの繋がっていた。そうか、コンテナは自然のクーラーを利用した保冷庫だったのだ。 何が保冷されているのか、扉は錆びて開くことはできなかった。 車に帰ってくると男性二人が登ってきた。彼らも鉱物採集にやってきて、先ほどのグループとはまったく無縁だという。 鉱物採集はえらい人気な趣味?あるいは今日は鉱物採集の記念日??
同様にここ播州に多くある法道仙人開基のお寺周辺にも多くの鉱山がある(逆に言うと、鉱山の周辺を探すと 法道仙人開基のお寺がある可能性が大ということだ)。 ここ観音寺も期せずして?法道仙人開基なのだ。何かお話が聞けるかと立ち寄ってみたが なんとお寺は無住だった。
観音寺集落の元区長さんが言うには明石のお寺からお坊さんが来ているという。ここでまたしても
ピン!ときた。この観音寺集落は大海山の麓にある。播磨風土記には『大海となづくるゆえは昔、
明石の郡大海の里の人きたりてこの山の下に居りき、故に大海山という・・・・・』とある。
わざわざ明石のお寺から来るのはそういう関連から?ちょっと強引なこじつけか・・・。
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青玉神社 | 拝殿にあった社史を撮影 |
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かみ道の駅で昼食をして、その道向かいにある青玉神社へ向かう。実は青玉神社へお参りするのは初めて。 いつも素通りしてしまう。両部鳥居の向こうには整然と立ち並ぶ杉木立の境内が広がっている。 本来は三国岳の山頂手前にある播磨のおどり場 にあったという。境内にある杉の樹齢が7〜800年ということから、山からこの地に降ろされた年代が想像できる。 ずっと気になっていたのは神社の名前だ。本来なら祭神である天目一箇神(アメノヒトツノカミ)から天目一神社とするのが 妥当(実際、この周辺には天目一神社がいくつもある)だと思うのだが、なぜか青玉となっている。 拝殿にある青玉神社社史にはオオタマ→アオタマと書かれていた。オオタマとは大魂と書くのだろうか。しかし、 この周辺には銅鉱山が多くあるので、ここは素直に銅=青と解釈したいなあ。
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山寄上の青玉神社 | こじんまりとした境内 |
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そこは道路よりちょっと奥まっているが鳥居が見えているので通り過ぎることはない。参道はあぜ道のようで 獣避けの鉄柵扉前に駐車する。滑りやすい石段を登り詰めると小さな拝殿がある。 そこには文政十年(1827)の絵馬が掛かっている。 |
三国岳頂上が見える | めちゃ長いカンカケ |
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先ほどの青玉とは比べ物にならないほど小さい神社だが、ここからは三国岳の頂上を望むことができる。 つまり青玉の元となる三国の遙拝所となるのがこの青玉神社というわけだ。 その本殿の外屋根部分におもしろいものを発見。それはカンカケの枝だった。 通常は同じ長さのY字の枝を引っかけているのだが、ここのは高いところにひっかけるために 一本だけ長く残している。 カンカケ自体珍しくなっているが、こんな変形を見るのは初めてだった。 青玉、青倉に関するいにしえ人たちの周到なジグソーパズルはとてもおもしろく、調べれば調べるほど 謎が広がっていくが、素人の我々は適当な所で遊ばせてもらえばそれで良し。 パズルの完成は青玉−青倉参道を完歩できた時だろう(いつになるかわからないが・・・)。
今回の青玉神社〜青倉神社(準備編)の地図は
ありません。 |