播州清水寺

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『比延』を参照していただくようお願いいたします。

2010. 1. 5.  土曜日  曇り  気温寒い
お寺の名前を表題にしてしまったが、正確には山号の御嶽山と書いた方がよかったのだろうか。 年末に登った北山の途中から見えたこの山で新年の初詣登山を計画した。単独のつもりだったが たぬきさんが来てくれるというので楽しくなりそうだ。 上鴨川にある住吉神社で落ち合うことにして、神社の裏手にある町道沿いのスペースに駐車。8時55分スタート。

住吉神社を見学する。お正月はさぞかしにぎわったのだろうが、今は無人で静かな境内だ。 本殿は朱塗りの柱に檜皮葺で拝殿は茅葺きで小さいながらも長い歴史を感じさせる。 境内にある説明板には書かれていなかったが、祭神は『底筒男命、中筒男命、表筒男命』の住吉三神だと 思われる。

神戸市東灘にある本住吉神社の町で子供の頃を過ごしたので、住吉神社と聞くと懐かしさがある。 この周辺には住吉神社がまるで数珠繋ぎのように連続して存在しているのだが、 鎌倉時代に摂津住吉神社(前述の本住吉神社)の荘園だったために村々に分霊されたことで広まったという。 さらになにかの本には塩の運搬ルートと重なっている云々とあったのも思い出した。

住吉神社巡視路を登る
177から北を見るその先からは南も良く見える

神社の裏手(車の駐車地点近く)から火の用心マークに従って巡視路を行く。 最初の鉄塔『播磨線177』には9時10分。 思ったより暑いので二人とも上着を脱ぐ。植林で展望のない山域だと思っていたのだが なかなかの展望の山のようだ。

178鉄塔を過ぎて小ピークから下り始めて次に現れた火の用心マークの所で立ち止まる。 私の計画では『B』の峠を通過して、 そのまま稜線を辿って444から参道に合流しようと思っていたのだ。 しかし明確な道である巡視路は予定の方向から離れようとしているのだった。 あやうく下ってしまう所を思いとどまったのだが、肝心の峠方向を覗くとそこはヤブだった。

後日、山屋のIさんから以前もらった資料を見つけたが、Iさんも同じコースで登っているものの、この 巡視路を下っていて峠には行っていなかった。

どえらいシダやぶ『B』の峠

たぬきさんに伺いを立てると「ヤブなんかなんともないよ」と言う。 ならばと予定の方向へ突っ込む。最初はなんともないが、途中から向かう方向も足元もなんにも見えない シダの激ヤブとなる。コンパスだけを頼りに無理矢理進むとなんとか脱出できた。峠には10時ジャスト。

わりと深めの切り通しになっていて、 南北には道がなんとか残っているようだ。昔はよく使用されていたのだろう。 予定の方向を見ると猪が通行している痕跡がある。 ここで再度たぬきさんに伺いを立てる。ここから南に下ってしまうか、ヤブを覚悟でさらに稜線を行くか。 答えは「猪に行けてたぬきに行けないわけがない」と、義経のような返答だった。

予想通りに峠からちょっと登った頃に先ほどと同じような激シダやぶが現れた。 もうやけくそで登るしかない。たぬきさんは猪の踏み跡を辿って楽をしようとしている。 ようやくシダやぶも終了して体中のゴミを払いのける。

だいぶん登ってきたぞ明石海峡大橋だあ
実はヤブの次には岩場が待ちかまえているのだった。遠くから見たときにえらい岩場が見えるので 不安だった。一枚岩がそびえていたらやっかいだが、実際は岩が点在という感じ。それらをよじ登るのは大丈夫なのだが、 背の低い灌木が邪魔で それをすり抜けながら登るのがやっかいだ。 リュックは引っかかるし、スパッツは破れる。こういう時こそナタがあればとつくづく思う。
平木鉱山(ろうせきが採れる)の真上もゴルフ場なのです。白矢印の尾根もそそられる

この急斜面も悪戦苦闘してなんとかクリアー。そのご褒美というわけではないが、 ここからは平坦な尾根となるのとともに展望もすばらしい。 北方向は笠形山から千が峰。中町妙見山は単独峰に見えて、山頂に電波塔があるのは笹ヶ峰だ。 南を見ると正面にあるのは平木鉱山。我々の歩いている尾根と見えている鉱山との間には 一枚岩の尾根がある。そこを歩いたらヤブも無くって、展望もさらに良いのでは?
尾根は徐々に良くなる444は墓地だった

『C』地点で北から道が来ていた。これって古い参道の名残だろうか?清水寺には 『五谷五道』と呼ばれる参道があったと言われるのでその一つかもしれない。この参道の出現から尾根は さらに歩きやすくなる。やがて大きな石垣が目の前に現れる。444のピークだ。上に上がってみると そこは墓地だった。墓石の文字からして清水寺の代々のお坊さんのもののようだ。 その向こうには参道が見えていた。
墓地の先は参道の交差点だった

壊れかけの東屋と四つの道が交差する広場だった。11時20分。 南は『是より山門まで三丁』という丁石があるのでこちらが清水寺方面。 その左にある林道は昔は参道だったのだろうが今は寺の関係者が墓地へ車で行くための 道になっているようでゲートがある。地形図には無いが上鴨川へ下る参道がある。 下山はこれを利用する。
でかい標識だ〜なが〜い階段

どでかい標識が現れて、その真っ正面には長い階段がある。この標識についても語りたいが 長くなるので割愛。さらにこの階段もおもしろいのだ。 途中にはなぜか狛犬があるし、山門跡の礎石も残っている。 つまり現在は車で上ってくる道が表参道となっていて、そこには昭和55年に新築された仁王門も あるのだが、昔はこの参道が表玄関だったと思われるのだ。
お賽銭は財布ごと大塔跡

大講堂、地蔵堂、根本中堂とお詣りして、大塔跡までやってきた。この裏手の高見がこの山の最高点だ。 昭和5年にこの付近で金銅製の推古仏が見つかったという。 行ってみるとうっそうとした植林帯で猪の子供らしき動物が走り逃げていった。 ここに三角点があって、展望台でもあればすばらしい展望が楽しめそうだ。しかし、 ここで食事は出来そうにないので 反対側にある駐車場の片隅で食事をする。ここは予備的にある駐車場なので今日は一台もいない。
滾浄水梵鐘大好き

清水寺という寺号は『滾浄水』という井戸から来ているのです。それを見ずしてどうしましょ。 というわけでそこへ行ってみる。清水寺の開祖である法道仙人が祈って湧出した霊泉とある。 見るときれいな水でそのままでも飲めそうな感じ。この水に顔を写したら3年寿命が延びると言う。 二人で10回ほどのぞき込む。

鐘楼で鐘も突いてみる。三千世界に響き渡る良い音だった。大正9年に造られたという 梵鐘がどこで製作されたか見たかったが、鐘を突きたい人が後ろにつかえていたので その場を立ち去る。実はこれらのお堂は大正2年の火災やら、 昭和40年の台風やらでこてんぱんにやられているのだ。1300年前の歴史がありながら、 江戸時代の建物すら残っていないのはまったく残念な話である。

参道にはいくつも丁石がある里に降りました

12時50分下山開始。登ったのと同じルートで東屋の四差路までやってくる。 ここからは上鴨川への古い参道を下る。『徒歩巡礼の道』と墨書きされた木の標識と、その下には 『NPO西国古道ウォーキングサポート』というプラ看板がある。

いかにも古道という感じでちょっと石段風の所もあるが、あるがままの自然の山道だ。 すべてそろっているわけではないが丁石もあって参道であることをアピールしている。 登りではあれだけ苦労したのに、下りではあっというまに里に降り立った。13時30分。

立派な道標だたぬきさんの親戚

村の中を歩いていると立派な道標があった。西国33所のお寺の名前と方向が彫られている。 裏面を見ると、文化五年(1808)とあるが、それ以外に裏面にはびっしりと文章が書かれている。 即席で読みとろうとしたが、半分も理解できなかった。かろうじてわかったのは地元の人ではなく 甲州の肥谷井角右衛門という人が建てたということ。

ふるさと加東の歴史再発見 というブログに詳しい説明がある。それによると、

今から200年ほど前、甲州(今の山梨県)の絹問屋の肥谷井角右衛門(ひやい・かくえもん)さんが 商売のために西国を巡った帰りに、社の清水寺の辺りで道に迷い、寒さと疲労のために倒れてしまいました。 幸い、そこを通りがかった大名行列に助けられ一命をとりとめることができました。角右衛門さんは、この経験から 、旅人のために播州の街道に10本の道標を建てました。そのうちの一本がこの道標なのです。 (ブログよりの転用)

昭和になってその子孫が角右衛門さんの寄進した道標を探しに来たというから、これまたおもしろい!! 山間の静かな道沿いにはいろんなおもしろいものがある。それらを、あーでもない、こーでもないと たぬきさんとダベリながらいつのまにか住吉神社に到着。14時05分。 今日もおもしろい山行きが出来ました。

今回の播州清水寺の地図は こちら(約115k) でごらんください。


それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


ホームにもどる