はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『比延』を参照していただくようお願いいたします。 2010. 2.20. 土曜日 晴れ 気温寒い
加東市にある国宝朝光寺のことでおもしろいことを知った。それは、法道仙人開基と言われるこのお寺は元々から ここにあったのではなく、現在地の北にある権現山にあったものを文治五年(1189年)にこの地に降ろした ということだ。北にある山というと三草山が思いつくが、それ以外に権現山があるならそこに登ってみたいものだ。 兵庫県の遺跡資料をみるとだいたいの場所もわかった。こんなことを思いつくのは私以外にいないのかと WEBで検索をしてみるが、 どのHPをみても朝光寺パンフレットのコピペばかりで権現山に登ったというものは皆無だった。
三草山には何度か登っているがどれもMTBでの登山なので天狗岩は いつも素通で走る抜けてしまい、未だにそこを見たことがない。今回はまずそれを見てみたい。 丹波のたぬきさんにそれを言うと「大柿さんのHPにそれがあって、狼岩ってのもあるらしいよ」と 教えてもらう。よっしゃ、これで決まり。狼岩から天狗岩、そして権現山の廃寺跡を探索しよう。
同行者はTQFさん。その車を朝光寺に止めて、私の車で鹿野登山口へ向かう。 9時55分スタート。当然だが、×印の登山道に向かってはダメ。○印方向へ向かうべし。 最初は地図にある『あ』(廃屋があって、奥には堰堤のあるため池がある)から登るつもりだったが、 地形図を見るとこの草地マークの方眼地が目にとまった。 行ってみると予想通りのうち捨てられた別荘地で1区画も売れてなくて どこもかしこも草ぼうぼうだ。 |
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住宅地内、道だけは残っている | 最奥にあるログハウス |
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廃別荘地の最奥には、これまた廃ログハウスがあった。自分でコツコツと建てたのだろうか、 手作り感の満載された屋内だった。水道も電気もないのでさぞかし不便だと思うのだが、 世捨て人には格好の隠れ家かも。このログハウスの横手にはおあつらえ向きの 道があったのでそこを登る。10時15分。 |
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藪もなくて楽勝ムード | 天狗岩が見えた |
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道がなければシダ藪が待ちかまえているだろうと覚悟したのだが、拍子抜けなほど快適な道だった。 だれが付けたかスプレー塗料のマーキングがあるが、やはりそういうことを する馬鹿だけあって、その空スプレーが道脇に捨てられていた。
赤土のザレ地に着く。北方面に展望があって、数曽寺山塊やら、目的地の天狗岩が よく見える。天狗岩へのルートは正面左に続いているが、オオカミ岩へ行くには この辺から右に向かわなくては行けないはず。そう思って灌木帯に入ると これまたちゃんと踏み跡がある。何にも考えずともこれをたどれば オオカミに出会えそうだ。 |
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大展望のオオカミ岩 | あれって火事? |
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オオカミ岩には10時40分着。どうしてここがオオカミ岩と名付けられたのか? 岩の形がオオカミに似ているのか、オオカミが住んでいたという伝説が残っているのか、 そんなことどうでもいいほど大展望なので、そちらを楽しみましょう。
真っ正面下にはサンロイヤルゴルフ場、さらに奥には雄岡山、雌岡山。霞がなければ明石海峡大橋は
間違いなく見えているはず。東を見れば羽束山、その左方向には大船山。
もちろん東条湖ランドの遊技施設は目の前だ。
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点名も天狗岩だ | 天狗岩でもバンザイ |
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天狗岩へのルートに戻ってさらに進んでいく。三草山のハイキング道に合流する手前左手に 三角点がある。四等三角点、標高304.4m、点名も天狗岩だ。その三角点の奥をちょっと 下るとこれまた大展望の天狗岩となる。
天狗に似ている岩かと言われれば返答に困るが、これまで天狗岩とか天狗山とか言われる所は
すべて雨乞いのポイントだった。そこで火を焚いたり、汚物をばらまいたりすると聞いたこともある。
ここもちょっと下に格好のテラス状の岩場があるので、そういう由来があるのか集落の古老に聞いてみたいものだ。
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三草山ハイキング道と合流 | 地形図にある天狗岩 |
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三角点から三草山の登山道に出る。それまでも歩くには支障のない道だったが、ここからは 高速道路のような感じだ。さて、オオカミも天狗も見たのでこれで終わりかというと そうではない。実は地形図に記載された天狗岩の位置は先ほどの天狗岩とは違っているのだ。 そこでTQFさんと藪をかき分けてその位置に立ってみる。 展望は良いが岩場でも岩峰でもなかった。ちなみに北神戸にある坊主岩という奇岩の位置も 地形図と実際は違っているのでこれも地理院の間違いかと想像する。
権現山へ向かうには三草山の手前にある376ピークの直前から右に曲がらなければならない。 するとあつらえたかのようにそのポイントに分岐の道があった。 普通に歩いていると気がつかないが、今回のように意識していると誰でも見つけることができると思う。 |
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清水寺が見える | 祠の基台? |
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少しだけ展望の箇所もあって、そこからは清水寺の屋根が見えた。いろんな山から播州清水の山を見ることがあったが、 お寺そのものは南方向からでないと見えないので、今回が初めて見えたと言っていいだろう。 そろそろなんかないかなあと思ったら次の小さなピーク(標高350m)では石を組んだ基台のようなものが 2つもあった。何が乗っていたのだろうか。 (数年後にわかったがここが権現山のようだ) わくわくしながらさらに進んでいくと・・・。
なんと、尾根のど真ん中にまん丸の池があった。明らかに人工的な池で、イノシシのヌタ場のような 水たまりとは違う。それにくわえて水が透き通っている。ということは雨水とかではなくて 地面から染み出てきた水ということか?周囲には段差のある平坦地があって なにかがあったのは間違いない。 |
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333の真っ平らなピーク | 礎石かな? |
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333のピークにも寄ってみる(シダが深いので裏側から回り込んで登った)。 ピークは真っ平らでここも曰くありげな感じだ。 (数年後にわかったがここは愛宕山) ここにあったと言われる寺院だが、手狭になったために文治五年(1189)に下に降ろされたという説と、 寿永三年(1184)にあった三草山での源平の戦禍によって里に下りたという二つがあるようです。 (西光寺山も東光寺もこの時に焼かれている) |
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さーて、下山だ | 方向を間違った? |
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朝光寺には吉祥院と総持院の二つがあるが、吉祥院の方へ降りるはずだったのが 気がつくと方向を間違っており総持院へ向かって降りている。 登り返そうかと思ったがめんどくさいのでシダやぶを回避しつつ 適当に下っていくと、まさに総持院にドンぴしゃ。犬が吠えるので左へ迂回して 総持院の駐車場に降りる。13時ジャスト。
TQFさんと別れてから吉祥院に訪ねて、応対してくださった奥さんと話をする。すると思った通り
吉祥院の裏手から道があるという。吉祥院さんもいずれ登ってみたいとかねがね思っていたということだった。
池があったことなどを話して持っていた地図を進呈する。
翌日、吉祥院に再訪してみると、驚くことにさっそく午前中に登ってきたという。すると池の近くで 瓦の破片も見たとおっしゃる。ああ、自分の目で見たかったなあ。 吉祥院としては市に文化財としての申請もしたいし、ここからの登山道としても 利用できるようにしていきたいと言う。 権現山の瓦はぜひこの目で見てみたい。当然平安末期のものとは思えないが、聞くところに寄ると 明治頃までは権現山で修験の行者が護摩炊きをしていたらしい。それらの残骸ではないだろうか。 そういえば、黒田庄の荘厳寺から白山、妙見山、 西光寺山を経て、この朝光寺までの回峰行があったという。その名残が明治まで 残っていたのだろうか。ちなみに荘厳寺、西光寺、朝光寺ともに法道仙人が開基の寺というのも 縁がありそうだ。
2月27日追記 |
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下段は長さ10mほどのナメ | 上段は落差3mほど |
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昨日の雨のために水量は多い。大きく見て2段の滝で下段はナメで上段は落差3mほど。 つくばねの滝に比べると比較にならないほど小さいが素直な姿で、 こんな所にこんな良い滝があるとは驚きだ。 周囲に石仏などないか丹念に調べてみたがなかった。 そこからシダ藪を避けながら斜面を登ると先週の下山道に出会う。
ここから権現山の池に向かうのは簡単だ。池の左手にある一段下がった平坦地を歩いてみる。 それより下段にも平坦地がある。先週は樹木でわからなかったが思ったより広い敷地のようだ (西光寺山のそれよりは規模は小さい)。注意して地面を見ているとあちこちに瓦があった。 現在のものと比べると異物が混入しているし、表面も雑な感じがする。やはり明治ぐらいのものの 可能性が高い。 800年以上前の寺院跡なのでなにか残っているほうが不思議なのだが、一見してそれだと わかる地形が残っているだけでも価値は大きい。先週の下山道を下っていくと、途中で見失った道を 発見する。それを下るとシダの中に一本のしっかりとした道がある。やはりこれが正規の 道だろう。吉祥院の奥さんはこれを言っていたのかと思う。 (登りでこれを使うにはとりつきがわかりにくいと思う)
今回の権現山(三草山)の地図は
こちら(約75k)
でごらんください。 |