東里ヶ岳

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『出石』を参照していただくようお願いいたします。

2009.11.15.  日曜日  晴れ  気温寒い
単独で静かな雑木の山を登りたくなった。いろいろと候補はあったが、 まだ一度も登ったことのない東里ヶ岳に行ってみようと思う。 まったく事前の知識はなかったが、地形図を見てすぐに思いつくのは 郷路岳への林道の途中から取り付くものだろう。 これが一番簡単だが、なんと言っても距離が短すぎておもしろくない。

とりあえず但東町へ車を走らせる。なんとなく小谷の集落へ来たので、 そのまま集落の奥へ行ってみる。地形図を見ると集落の最奥から点線のルートがある。 途中で途切れているが桑畑のマークもある。ということは これ以外にも道があるかもしれないし、よく見ると等高線はゆるやかで、そのまま稜線を越えると 東里の集落へ降りることもできる。つまり小谷と東里を結ぶ峠道があるやも・・・。

林道の途中にあった祠前に駐車鉱山の坑口跡もある

最奥の民家で洗車をしているお兄さんに話しかけてみる。 お年寄りなら峠道とか山のことなども知っているかもしれないが、 若いお兄さんなので、自分の集落の裏手にある東里ヶ岳という名前すら知らなかった。 集落やら東里ヶ岳の歴史、言い伝えは彼に伝承されることはなかったのかぁ。

林道に入ってすぐの所に小さな祠と車が1台ほど止められる所があった。 フロントガラスに登山のための駐車という断り書きの紙を貼って ここをスタート地点とする。山頂からどこかの尾根を下って縦走しても良し、 そのままピストンでここに帰っても良し。その場の成り行きでコースを決められるのが 単独の良いところだ。

9時35分スタート。落ち葉の積もった舗装の林道だ。祠からすぐの所に 真っ黒な口を開けた洞窟があった。覗いてみるとあきらかに人の手によって掘られたものだった。 なんの鉱石が採れたのだろう? 右に流れている谷川の水はちょっと濁ってはいるが小さな滝が連続する。それらを 眺めながら歩いていると谷の分岐となる。峠を目指すので左を選択。ここまで祠から7分。

良い道だ谷全体が耕作地だ

分岐からいきなり古道となる。思わず笑みがこぼれるような良い道だ。 これが一本道なら峠まで一直線のはずなのだが、 右方向にいくつも枝道があるのでそちらへ入り込まないように注意する。 どうやらこの谷全体が桑畑だったようで、それらは畑への作業道のようだ、 その畑地も 現在は植林されているが、当時はすごい規模の畑であったことが容易にわかる。 峠道と畑道とが判別が出来ないので、稜線の左端をねらって登ることにする。
稜線手前はこんな感じここが峠だ

稜線の手前まで途切れることなく段々畑の跡が続いている。すごい規模に ただただ驚く。その薄暗い植林帯を抜けると目の前に稜線が現れる。 雑木の斜面に道が無いのでここが峠ではなさそうだ。稜線には10時18分着。 思った通りの所だったので、このまま頂上へ向かって歩けば途中にほんとの 峠があるはずだ。と、それはすぐにあった。周囲に石仏などはなかったが小さな切り通し状に なっている。

ここからは植林と雑木の混在した急な登りが続く。稜線上は風が強くて寒いのだが、 ここで着込むとまた汗になるので半袖のまま我慢する。木々のあいだから見えるのは 法沢山とか高竜寺山だが写真を写すには苦しい。稜線上に大岩が現れ始める。いつのまにか 植林帯も終わり周囲は雑木の広がっていた。 ここを登り切れば緩やかになるのでちょっと小憩で喉を潤す。

ちょっと休憩おお、反射板だ

急斜面を登り切るとそこにはマイクロウエーブ反射板があった。周囲は金網で囲われているのだが、 銘板などは無く何のための反射板かわからなかった。振り返ると ようやくある程度の展望を得る。三川山山塊の手前にあるのは豊岡の飛行場だろうか。 出石の黒岩も端っこのほうに見えている。
西から北方向に開けていた

ここから山頂まではさしたる傾斜もなく楽チンのはず。 ふと杉の木の根本を見るとなんか気になる岩が転がっていた。 近づいてみるとそれは五輪塔ではありませんか!バラバラに転がっていたのをくみ上げてみる 。完成型ではないが2基あったようだ。反射板が建つぐらいだからある程度の平坦地ではあるが、 昔ここになにがあったのだろうか?東里の集落で聞くとなにかわかるかなあ?
五輪塔発見大岩の横をすり抜けると頂上間近

この辺りからテープによるマーキングが現れるので、先ほどの反射板からほぼ北に降りている支尾根が ルートなのかもしれない。大岩の横を巻き込むようにすり抜けるともう頂上部だ。
床尾山塊とその周辺を見る

東里ヶ岳は山頂部が平坦で細長くなっている。その先端に立った。 樹間からは床尾山塊が見えるものの、逆光でモノクロだ。平坦な頂上部の最奥に三角点があった。 三等三角点、標高663.7m。11時15分。さほど広くはないが落ち葉の絨毯を敷き詰めた静かな頂上だ。
でかい看板だあオカリナが響くね

少し早いが昼食をする。無線機をつけると須留が峰の矢問さんと繋がる。 単独だと無線が繋がるとうれしいものだ。食後はオカリナも吹いていつもどおりの儀式も終わった。 樹間から周辺の山々を見るが、もうちょっと展望があればすばらしい山と言える。 さて、下山しよう。11時50分。
林道へ降りる標識南の尾根を選択

山頂には私が登ってきた尾根以外に3つの尾根がある。一つはほぼ真北に延びて 572mの標高点を通過する尾根。覗いてみるとちゃんと道があった。 もう一つは東の林道へ降りる尾根。これにはちゃんと標識があってここを 登る人が多いことを示している。最後にあるのは南に下っている尾根。 どこまで行けるかわからないがこれを下ってみよう。とおせんぼをするよにある頂上のアセビ横をすり抜けて 南の尾根を下る。最初は植林もあったがやがて色とりどりの雑木尾根となる。 福知山の三岳、登尾の電波塔、伏見山などがならんで見える。
良い感じだ東里ヶ岳頂上を振り返る

590mの標高点までは極楽のような雑木の尾根下りが楽しめる。 最後までこの調子ならここを選んだのは大正解と言えるのだが・・・。 590からの急下りが終わってちょっと緩くなって後ろを振り返ると東里の頂上が美しかった。 その先の激斜面がどうにもたいへんだった。 登りで利用するならただ登ればよいが、下りだと周囲が同じような斜面なのでちょっと難しい。 途中で方向を修正してなんとか稜線に復帰。
小さな切り通し(矢印)があるあきらかに山城跡だ

388mから南に振れば最後のピークがある。ところがこのピークの手前には 小さな切り通しが2箇所あった。つまりこの上は山城跡の可能性が高いということだ。 ピークは真っ平らな平坦地でTVの受信施設があった。この施設のために平坦にしたのではなく、 山城跡の平坦地を利用したということだ。後で調べてみると沢田城趾という名前もあった。
神社が見えた運動公園

ここから標高点124mを目指して下っていったつもりだったが この辺も方向を見定めにくくて苦労する。周囲のどこを見ても同じよな感じで 地形を読みにくい。下りの難しい尾根だ。気が付くと目的の尾根は右にある。 もう戻るのもめんどくさいのでそのまま下って行くと神社が見えた。 小さなお宮で一ノ宮神社と扁額があった。13時30分。 横は運動公園、その向こうに見える尾根を 下るはずで、あそこにも城跡があると聞いていた。 てくてくと道路を歩いて13時50分駐車ポイント着。

下山の尾根はだれも歩いていないだろうと思っていたが、WEBで確認したら このスポーツ公園から登ってこの尾根を歩く人もけっこういた。 『兵庫の山々 山頂の岩石』の橋元先生も ここから登って郷路岳の林道に下山しておられた。先生によると東里ヶ岳は 新第三紀中新世 北但層群豊岡累層 安山岩 だそうだ。(^_^;)

今回の東里ヶ岳の地図は こちら(約160k) でごらんください。


それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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