はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『神子畑』を参照していただくようお願いいたします。 2009. 8.15. 土曜日 曇り 気温蒸し暑い
OAPさんとTQFさんが四国の三嶺に登るという。無線で迎え撃つためにはある程度の
標高の山に登らないといけません(案外高御位山からでも聞こえたりするかも・・・)。
そこで登りやすい段が峰山塊に向けて車を走らせる。生野高原ゴルフ場からの林道が駄目だったら
万事休すなので、いくつかルートのある宍粟から登ることにする。
ところが先日の水害で29号線の一宮付近もその爪痕が残っている。 新聞ではその奥の福知渓谷ではさらにひどくて道路や橋が寸断されて集落が孤立状態だという。 確かに渓谷との分岐付近はえらい状態になっていた。ここは通行できないので 千町の集落へ向かってみる。 ここは高地の集落でもあるし川の水量もたいしたことがないと思っていたのだが、 実際は草木の集落から千町まで数カ所の崩落箇所がありたいへんな状況だった。 ただ、千町の集落が孤立しないように早期の応急処置がされておりなんとか通行が出来る。 (通常なら通行止めになるような路面状況だった)
大ミズナラの分岐から林道『千町段が峰線』で千町峠に向かおうとしたが、ここも
えらい土砂で普通車はもちろんだがチープな四駆だと歯が立たない。200mほどでUターンして
千町の集落へ向かう。途中にあるこぶしの村への橋も落ちていた。昔からある林道『千町線』は当然だめだろうと思い
そのまま直進して宍粟森林王国へ向かう。
ここは土砂なども横にどけられて不思議と道路が整備されていた。問題なく森林王国の敷地まで 行くことが出来たが山の家への道は土砂で埋まったままだった。横手の空き地に駐車をして 出発。川沿いの遊歩道に降りて最奥から雑木の斜面に取り付く。
造られてから数年も経っていない遊歩道だが、早くも崩れている箇所があったりする。 階段が登りにくいが周囲の雑木は気持ち良い。するとすぐ目の前で「ブヒッ!!」という 猪の鳴き声がして数m先にそいつはいた。身体はさほど大きくないが成獣の手前だろうか、 斜面を転がるように駆け下りて行く。気の強い猪なら向かって来たかも知れず、ホッと 胸をなで下ろす。とっさのことでカメラのチャンスは逃す。
稜線の途中で笠杉山を見る。数年前の写真と比べてみると林道の伸び具合が よくわかる。数十年前の計画(当初と現在では目的も違ってたりして・・・) をなにがなんでも完成させようとしているようだ。
歩きよい稜線の道から斜面を下って林道に降りる。この林道はすぐに終点だが、いずれは 先ほどの写真にある林道を合流することになる。その終点には段が峰、くじら岩への登山口が あるのだが、それとは別に駐車ポイントへの下山道(以前はなかった)もあった。 下山はここを歩いてみよう。
くじら岩のある岩塊流への道も踏み跡がしっかりしたためか以前よりずっとわかりよくなっている。 さらに立派な看板やら道標が新設されているのでくじら岩を見逃すことはなさそうだ。 そのくじら岩とも久しぶりの対面をして、そこからは自由にどこでも登っていける。
暗い植林帯の斜面に岩塊流の大きなものが存在しているのだが、 それがとぎれるぐらいから周囲は雑木の林の中となる。 岩塊流最上部の大岩の下からは水が湧き出している。 もう稜線は間近だ。
飛び出た所は山上庭園と呼ばれる所だ。岩塊流の元である岩と松などが いかにも庭園風に配置されているのでそう呼ばれている。黒いアゲハや名前のわからない 蝶々がひらひらと飛んでいる。 そこを抜けると一気に展望の開ける奥段が峰の頂上となる。 |
西から北方向の展望 |
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当然、こんな日に登ってくるハイカーは私ぐらいだろう。誰もいないと思っていたら 横手でガサガサと音がする。見ると鹿だった。向こうも気が付いて驚いて飛んで逃げる。 山腹で見た猪とは比べ物にならないような素早さだ。 ん?猪と鹿と蝶々?花札の役が出来ました!!
曇っているおかげで涼しい。無線をつけると大野山にいる矢問さんと小浜市の飯盛山(600m弱)にいる たぬきさん夫婦の交信が聞こえる。それに参加させてもらうと、まもなく四国隊とも繋がった。 これで今日の目的は達成だ。今日は移動局も多くて山岳移動局はもちろんだが愛知の岡崎もよく聞こえたりしていた。 食事も早々に済ませてオカリナでもと思ったとき、単独男性が日本庭園方向からやってきた。 どこから来たのか聞きたかったがそのまま通り過ぎてどうやら杉山で食事らしい。 私も展望写真を撮り終えて下山開始。 まったく同じコースで降りるので登りで撮り損ねた岩の写真を撮ったりする。
林道からは新しい下山コースを試してみる。どうやら植林の際の仕事道を再利用している ように思える。このときはいなかったがどうもヒルがいるような雰囲気がする。 足早に降り立ったところは、ちょうど大タワに登る昔からある登山口の近くだった。
ここも土砂で川底付近を中心に埋もれているが、その中に見覚えのある白い杭が・・・。 昔からある尼崎山の会の道標だった。 森林王国の入り口にもあったはずの道標も同じように川の中に埋もれてしまっていた。
昔から見慣れているだけにちょっと残念な気持ちになる。 しばらくは宍粟をはじめとする山々の登山道とアプローチ林道は 予断を許さない状況にあるかもしれない。
今回の奥段が峰の地図は
こちら(約60k)
でごらんください。 |