はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『比延』を参照していただくようお願いいたします。 2009.12.31. 木曜日 晴れ 気温寒い
大晦日から年始にかけて寒波が来ると聞いていたが、いくら寒くても一年の最後を締めくくるべく山には登りたい。
地形図を眺めていて城山稲荷が目にとまった。ここは多田繁次氏の著書にも出てくるのでいつか登ってみたいと
思っていた所だ。その山頂から稜線を辿って西にある三等三角点の北山とピークまで歩くことは出来るだろうか?
よっしゃ、先週はM氏のアクシデントで中途半端だったが今日は締めくくりにふさわしい山行きとしよう。
今田町市原に来ると『城山神社』と書かれた赤いタンクが目印となる。 戦国時代にはここは山城だったので、城山という冠が付いているのだろう。 明日が元旦なのでタンクのてっぺんには『初詣』と赤く染め抜かれた 横断幕も掲げられていた。どこに車を止めていいのかわからなかったのでタンクのそばに止める。 タンクのそばには『義民 市原清兵衛 生誕の地』の石碑がある。 清兵衛さんが何者かというと、江戸時代、市原村があいつぐ干ばつで農民が窮していた。 そこで酒造の出稼ぎの解禁を願い出たということだ。直訴をすると死罪も免れないことから 義民と言われるようになったのだろう。
灘の酒造に多くの丹波杜氏たちが古くから関わっているのは知ってはいたが、
その出稼ぎ自体に許可がいったとはまったく
知らなかった。あの赤いタンクは酒造に使われたものだろうか?
9時半スタート。白の矢印で民家の正面を通過すべし。
参道の入り口には三つの大鳥居があって、それ以降は寄進された赤い鳥居が続いている。 信仰とは苦しいことと覚えたり・・・。参道は頂上まですべて石の階段となっている。 しかし、現代の英知でもって、その苦しささえもキャンセル出来るような雰囲気がしている。 というのは、階段の横手にラック・アンド・ピニオンギアで駆動する農業用モノレールがあった。 ひょっとしたら資材だけのものかもしれないが、お年寄りが乗ると楽だろうなあ。
拝殿前には黄色の大鳥居がある。黄色の鳥居なんて初めて見た。 拝殿の左横には2階建ての社務所がある。誰かいたら黄色の訳を聞きたかったが誰もいない。 拝殿で賽銭箱に100円入れて、今年最後の山行きの安全を祈願する。ふと頭を上げると そこには大きなプロペラが奉納されてあった。『大阪市北区相生町』となっているが現在無くなっている 町名だった。
プロペラを見て思い出したが多田さんの著書にも書かれているように、ここは徴兵逃れが出来るお宮でもあったらしい。
実際に徴兵が逃れられた人がいたのだろうか?やっぱり進んで戦争に行きたいなんて
思う人はいないということだ。戦時中はここにお詣りすることを禁じたという話もある。
お詣りしてお札もいただいて(持って帰っていいように置いてある)、いよいよ縦走に備える。 まずは本殿の裏側に行ってみると、垂直の石垣で10mほどの高低差がある。下を覗くとそこには道が見えていた。 そこで、社務所の下側を回り込んで本殿の裏に来てみる。そこには石垣にある小さな穴を祀るように赤い鳥居があった。 偶然に出来た穴か、故意に作られた穴かはわからないが狐穴としてお祀りしているのだろうか。
狐穴から始まる道をちょっと下るとそこは鞍部なのだがたくさんの道があるのに驚く。 南斜面は植林帯で、その管理のための道らしい。等高線の5m〜10m間隔で山腹に平行にあるようだ。 こんな道を見るのも初めての体験。それを辿ると平行に進むだけと思い、ちょっとヤブっぽい稜線(緑の矢印)に 素直に突っ込む。
稜線には人が一人くぐり抜けられるほどの切り開きがある。そこを 潜り込むように登っていくと途中で何度も右手に作業道と合流する。 稜線が水平になったころ最上部と思われる作業道に出た。軽トラックでも走れるような道だ。 その終点からも稜線には雑木の小径が続く。
小さなピークがこれまでにないほどヤブっぽい。いぶかしく思いながら抜けると、いきなり広い道にでた。
関電の巡視路だ。逆方向ならちょっとわからないだろう。巡視路を左に取れば北山山塊の南にある林道に降りる。
とりあえず鉄塔のある右へ向かうとそこは展望ポイントだった。
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鉄塔からの展望 |
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『奥多々良木線 八十九』には10時40分。思ったとおり展望の鉄塔だった。西光寺山から始まって ぐるーっと東方向に開けて、和田寺山、最後は播州清水寺まで見える。この鉄塔から北方向へ『でかんしょ街道』に 下る巡視路もあった。風がいかにも冷たくて長居ができないので先へ進む。コンクリートののり面を よじ登るとちょっとイバラがあったが、それより先はまたまた快適な道だった。
結局、ずーっと雑木の尾根道だった。ちょっと張り出した枝が邪魔だが、MTBで下れないほどではない。 まったく想像もしていなかったが、ここは良いトレールになりそうだ。 北山の頂上は三角点の周囲をちょっと刈り込んだ程度の空間だった。11時17分、 標高551.9m。古いプレートが2枚あった。登ってくる人がいるんだ。どのコースなのかな?
三角点の上表面には穴が空けられて謎の物体が接着剤で埋め込まれていた(知りたい人は登ってください)。
寒いのでコーヒーとおやつだけで済ます。無線で宍粟の低山を歩いているOAPさんと
繋がる。お互いの場所から考えても電波がどこかに回り込んで届いているのだろう。
ここから西に歩いてみたが歩きならなんとか行けそうな感じ。三角点に戻って北に行ってみると
これが案外よかった。境界に踏み跡があって下に続いている。でかんしょ街道の峠まで行けそうな
感じだ。
峠からMTBを担ぎ上げて城山稲荷までMTBで走るのも可能かもしれない。 後のためにもここから峠に下って様子を見てみようかと思ったが駐車ポイントまでがいかにも遠い。 仕方なくピストンで帰ることにする。
ハンドル幅をイメージしながら下っていく。うん、良い感じだ。 送電線鉄塔を過ぎて巡視路となる。稲荷へのむずかしい分岐からは そのまま巡視路を下ることにする。最初はよかったが 徐々に道悪となる。この巡視路は乗車率が低いことがわかった。 やはり稲荷コースがおすすめだ。しかし 巡視路の火の用心プレートに時間の書き込みがあることからしてこの巡視路で登るハイカーがいるのだろう。 林道には12時半。
林道をテクテク歩き、村の中を通過して駐車ポイントには12時45分。 大晦日だからこれぐらいのコースがちょうど良かったのではないだろうか。 いろんな発見があっておもしろい山だった。 帰宅してから調べてみると織田(おりた)さん が2005年の5月に歩かれていたが、そのレポートではそこそこのヤブだったようだ。 今回の城山稲荷〜北山の地図は こちら(約70k) でごらんください。 |