氷ノ山(とうろう岩コース)

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『氷ノ山』を参照していただくようお願いいたします。

2009. 8.23.  日曜日  小雨後晴れ  気温ふつう
氷ノ山の登山道で『とうろう岩コース』なるものを知っている人はそうそういないと思う。 今回はそのレアなコースを探し出してみたい。単独ではもしもの時に困るのでGPSを持ってて さらにヤブ好きなTQFさんに同行をお願いする。和田山で合流して私の車で氷ノ越えの登山口である 親水公園へ。9時半スタート。
駐車場は満杯状態今にも雨になりそうで涼しい

実はこの氷ノ越えコースは初めて登るのです。氷ノ山自体歩いて登るのはまれ(氷ノ山といえば やっぱりMTBが楽しいし)だし、氷ノ越えコースは乗れないので敬遠していたのでした。 登り初めて布滝(木々が茂ってほとんど見えない)、そしてこんどは不動滝(同じく見えない)を 通過して、ジグザグでしかも悪路の急登りが続く。
18が目的のとうろう岩だ。M氏の地図とは位置が違う?

WEBで調べてみるととうろう岩に実際に登ったレポートは3件ほどあった。 そのうちの1件は私といつも山遊びをしてくれるM氏のレポートで、唯一ルート地図もアップ されているのでこれを頭にたたき込んで臨む。しかし、登山口にあった地図の位置と比べてみると 微妙に違っている。このときはさほど気にとめずに参考程度にデジカメで写す。
地蔵堂に着く中には立派な木像が

ジグザグ道が終わると左側植林の平坦な道となる。青いトタンの建物が目の前に現れる。 地蔵堂ということでもちろん中に入ってみた。目が慣れるまでは真っ暗だが中央に そうとうでかい地蔵菩薩の木像がある。これがなかなかの珍品だった。右手の持物は普通錫杖なのだが 弓の矢を持っている。さらに脇侍がすごい。左手は閻魔天(怖い顔です)、右手は堅牢地神という 普段お目に掛かることのない三尊像だった。時間がないので手短に写真だけ撮ったが次回はもっと詳細に文字などがないか調べてみたい。
木地屋跡からコースを外れる

平坦道は続く。地蔵堂の先に『木地屋跡』があった。10時20分。ここには 古代須賀ノ山ルーツを探る会(山名からして鳥取の会かな?)が平成6年(1994)に建立した石柱がある。 それには『左に行けば灯籠岩を経て氷ノ山頂上』と明確に書かれている。このルートは頂上にダイレクトではなく、 山頂手前の登山道、ちょうど階段の登山道がカーブから直線になる所のコーナー部分に同じ石柱が設置されていてそこに出るらしい。

とうろう岩に訪れた旨の 和歌の詠んである石板もあって、それには1997年と彫られている。1994年に整備されたと思われる このルートは1997年なら問題はなかっただろう。 私と同じ町内のKさんは逆のルートで1998年に登っており、切り開きも残っていて無事に歩き通している。 M氏は2001年に登っており、その時は笹の間にわずかの隙間があるといった ぐあいで踏み跡もなくなってしまっているようだった。さらに8年経ったいまはどうなんだろうか?

木地屋跡から沢を横断するそして尾根によじ登る

石標にしたがって左に折れる。斜面を下るとそこには一つ目の沢がある。 小さな沢で炭焼き窯跡もあった。先ほどの地蔵堂とその向かいにある段々の植林帯。 そしてこの沢の炭焼きといい、こんな深い山中だが木地屋敷はほんとうにあったのだろう。 案外さきほどの地蔵も木地師たちが造ったのかもしれません。

二つ目の沢も問題なく渡れる。ただ、ここまでの踏み跡は皆無でテープなどのマーキングも皆無だった。 M氏のレポートには木地屋跡からそれらが残っており、それを伝って歩いたとある。 8年の年月がそれらを無くしてしまったのか、あるいはルートを間違っているのか・・・。 いやいや、そんなわけはない。M氏の地図どおりに歩いているのだし。そのM氏の地図にある尾根にいよいよ取り付く。

プチヤブもある細く、急登りが続く展望岩から氷ノ越えが見える

ここにも踏み跡はなくかろうじて獣が通過した隙間を利用することになる。 「ひょっとして尾根が違うのか?」TQFさんも私も少し疑いの思いが生まれる。 M氏のレポートには細い尾根で徐々に展望が開けるとあるが、ここは広いし木々に囲まれて 展望は無い。しかもM氏がとうろう岩と地図に書いている箇所はとっくに通過してしまっている。 この時点でM氏がでたらめの地図を書いていた可能性が90%と出た。

登山口にあった地図のとうろう岩ポイントが正解だとすると我々が登っている尾根の右となりの 尾根がそのはずだ。いっそ沢まで戻ってみようかと提案するものの、そこから登り返す元気も時間も無いので このまま登ろうということになる。右を見つつそれらしいものが見えないか登っていくとちょっと展望の開けた 岩場に出た。そこからは氷ノ越えとそこにある避難小屋が水平に見える。ずいぶんと標高も高くなったようだ。 ふと視線を前にずらしてみると・・・・。

とうろう岩だ〜!!!

「あっ!とうろう岩や」二人して声を上げる。やはりM氏の地図が間違いであった。 ただ、それがわかったところでどうこうなるものでもない。 とうろう岩に行けなかったことを嘆いていると、 TQFさんは「このアングルでとうろう岩を見たことが貴重やん」と言う。 前向きな判断である。
笹の密度はこんな感じ半袖で腕は傷だらけ

ここから下山することは現実的でなはないので、無理してでも山頂を目指す。 しかし、ここからいきなり笹藪がひどくなる。となりのとうろう岩の尾根ならまだ人の通行があったので 隙間も残っている可能性があるが、こちらはまさしく人跡未踏でわずかに獣の通行跡らしきものが あるだけだ。余裕があれば長袖に着替えるところだが、それもめんどくさく、ただただ 笹をかき分けて登る。
いつまで続くのよ〜 (>_<)頂上が見えた!!

やがてとうろう岩との尾根と合流する。先ほどよりはちょっとマシになったのと マーキングに使われたと思える白いタフロープの残骸が地面にある。これが 15年前に整備されたルート跡なのかもしれない。一瞬前が開けて頂上の 小屋が見えた。気持ちが一気に楽になる。10mほど右寄りを進んでいるTQFさん (姿はまったく見えない)も見えたという。

しかし、小屋まではまさに笹の海と言っていい。距離は短いもののいったいどれほどの時間が掛かるだろう。 するとTQFさんがハイカーの声が聞こえたと言って右寄りに進んでいく。 「登山道に出たで〜!!」とTQFさん。方向がわからないので笹をゆすってもらい、それを 目印に進む。そして登山道に飛び出た。

登山道に出たがここは直線とカーブの曲がり角だった

出た所はKさんのレポートにあった登山道がカーブから直線に変わるコーナーの所だ。 ならばここまで踏み跡があってしかるべきだがそれはまったく無かったと断言出来る。 さらにここにはあるべき石標も無かった・・・。
山頂は涼しい須賀ノ山神宮跡

山頂には13時50分着。じつに登山口から4時間半かかったことになる。 さすがに2時前なのでハイカーの多くは下山済みでこれから下山しようとするハイカーも ほとんどだった。避難小屋の裏側でひっそりと二人して食事をする。

ここには前述の団体が設置した須賀ノ山神宮跡がある。その基台にはこうある。 『素戔嗚尊は須賀ノ山(氷ノ山)に降臨し、八岐の大蛇を退治して奇稲田媛を妻とし 陵と宮を造った。この宮を須賀ノ山神宮という。因播国、但馬国、播磨栗、美作国の 四ヶ国の総社で皇室が管理していた頂上と中腹をめぐり、五十八個の宮跡の礎石が 現存している。茲に須賀ノ山の古代文化遺跡を後世に伝えるために之を建てる』とあった。

県境尾根から見たとうろう岩

14時20分下山開始。もう一度自分たちが出てきたヤブの出口を確認するが 石標はなかった。考えれば、氷ノ山は国定公園だ。勝手にヤブを切り開いて道を造ること自体 問題があったのではないだろうか。それで石標を取り去ったのか? (後に矢問さんが同じルートを歩いたのだが、石柱は登山道から3mほど入ったヤブの中にあるそうだ)

こしき岩を通過して右方向を注視していると県境尾根からもとうろう岩がはっきりと見えた。 氷ノ越えには15時07分着。 皆原村の半平さんの石仏 がある。その右上には基礎の跡があるのだが、これは昔ここにあった避難小屋のものだろう。ベンチに座って頂上を見ながら 水分を補給して親水公園へ下る。

とうろう岩展望所から見る

この下山路は伊勢道と呼ばれ、古くは伊勢(福知山にある元伊勢も含む)への峠道だった。 今はガレガレの登山道だが、昔のほうが整備されていたのではないだろうか。 その途中には『とうろう岩展望所』がある。結局ここから見るとうろう岩が 一番良くなかった。とうろうの形には見えなく、これでは登ってみようという意欲は出てこないだろう。 まあ、そのほうが良いのかもしれないが。

駐車場には16時30分。20台近くあった車も4台ほどになっていて、そのうち3台(我々を含む)は帰る準備中。 まだ1台のハイカーは山中なのか?我々も間違った尾根からあのままとうろう岩へ戻っていたら いまだに山中を徘徊していただろう。とにかくもう一度とうろう岩にチャレンジしてみたい。

今回の氷ノ山の地図は こちら(約85k) でごらんください。


それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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