篠首十石廃寺〜福栖大日南廃寺

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『三日月』、『安志』を参照していただくようお願いいたします。

2009. 3. 8.  日曜日  晴れ  気温蒸し暑い
先週登った田幸山から北方向を眺めたとき、この山域の一部が見えた。 植林ばかりだと思っていたが案外雑木も多く、しかもアップダウンが少ない 平坦な稜線がなかなかよさそうだ。ひょっとしてMTBで遊べるかも。 そう思って調べてみたら、この近辺には平安時代にあったと言われる 廃寺がいくつかあるらしい。ならば手始めにそれを探しに行ってみよう。

小さいエリアの中に 篠首十石廃寺・福栖大日南廃寺・福栖廃寺と三つも寺跡があることがわかった。 地形図を眺めていろいろとルートを考えてみたがどうも良いルートが考えられない。 え〜い、ぶっつけ本番。とりあえず行ってみよう。当たって砕けりゃ棚からぼた餅のたとえもある。
ここがスタート。矢印の尾根を登る

篠首十石廃寺は新宮町の中村から登ってみる。橋のたもとにスペースがあったのでそこに駐車をする。 地形図にある明神社から伸びる支尾根に取り付いてみよう。8時50分スタート。 途中で出会ったおじさんは谷を詰めれば右方向に道があると言っていました。
ここが登り口予想通りちゃんと道がある

人家の裏手から登るようならちょっと困るが、道横にちゃんと登り口があった。 そのままスルスルと登っていける。予想通りに仕事道が残っており (所々薄くなったりシダに隠れたりしているが)楽勝ムードだ。 もしMTBでここを下るとしたらテクニカルで難コースと言える。
『A』地点から倒木『B』地点からは天国

山頂までこのままならこの支尾根をMTBコースに認定したいところだったが そうはいかないのが世の常。『A』地点からいきなり倒木地帯となる。 歩くには支障がないがMTBにはつらい。右の斜面では伐採の作業が行われているようで そのすきまから東の山々がかいま見える。

『B』地点からふたたび雑木の明るい尾根となる。主稜線と合流してそのまま10時10分。 右方向に登れば四等三角点の埋まる篠首十石廃寺、点名『福原』だ。 平坦ではあるが小さなスペースで、とてもここにお寺があったとは思えない。 三角点のそばには人工的に掘ったと思われるくぼみがある。池だったのか?まさかね、 これも平安時代からあるとは思えないなあ。
篠首十石(しのぐじっこく)廃寺

周囲をぐるーっと歩いてみた。五輪塔のかけらでもあればすごいのだが、もちろん無い。 展望を望むハイカーには無用の山かもしれないが、ロマンに生きているやまあそにとっては 想像力をかきたててくれる魅惑の山だ。 次なる福栖大日南廃寺へ向かってみよう。

山頂から引き返してさきほどの主稜線分岐まで来ると、そこにある 広場のような所の方がよっぽどなにかあったような雰囲気だった。 スコップでもあれば掘り起こしてみたい。
歩きよい尾根篠首十石廃寺を振り返る

とにかくマーキングもないので気持ちがいいことこの上ない。 『D』地点への下降ポイントもなんら目印になるようなものもないが 地形図さえ見ることが出来ればたやすい。
『D』地点『E』地点の鞍部

ズルズルと滑り落ちるように降りたその『D』地点付近も雑木に囲まれた 気持ちの良い尾根だった。こんどはその先から直角に右折れすると 暗い植林の中の広い鞍部となる。 鞍部は広いが左右は倒木が目立つ。ここから隣の尾根に乗り移るのだが 一本のきれいな道があった。
きれいな道だ春の息吹

所々倒木が道をふさいでいるがそれさえなければすばらしいトレールだ。 いったいどこまで続いているのだろうか。福栖大日南廃寺へ行くには 451ピークから左に折れなければいけないが、右方向にその道は続いていた。 きっと千本の集落まで続いているのではないだろうか? MTBで走ってみたい衝動に駆られる。

今回は廃寺巡りなので451から左に折れる。ぐるーっとUターンするように 440ピークへの尾根に乗る。が、この尾根が結構倒木帯だった。 鹿の道を歩いたり、倒木をくぐったり、山腹をトラバースしたりして 440m、四等三角点のピーク点名『中村』には11時50分着。
福栖大日南(ふくすおおひなた)廃寺

ここが福栖大日南廃寺だ。最初の十石同様に周囲は雑木に囲まれているが 広さは数倍以上あるピークだった。うろうろと歩いてみるが礎石跡とか 瓦のかけらとかもなかった。まあ、落ち葉がすごいので表面に出ているはずもないが・・・。 北摂大野山の矢問さんと無線が繋がる。へ〜、標高も無いのにあっち方向にロケが良いのか。 ここで食事とする。

食後、しばらく地形図をみて悩む。というのも、3つ目の廃寺『福栖廃寺』はちょっと 変な所にあったからだ。時間的な余裕はあるものの、下山地の鍋子から舗装路で 中村まで帰るのは気が重い。ここから東方向に下れば送電線鉄塔があり、 その巡視路を利用すれば駐車ポイントにドンぴしゃで帰れる。 その誘惑に負けてしまおう!
播磨線42鉄塔高倉山が正面だ

山頂からちょっと下ると支尾根の分岐がありそこには巡視路の標識があった。 左右の支尾根とも巡視路で、どちらにも鉄塔が立っている。 駐車ポイントに向かうには左を選択して下っていく。U字の溝状の古道がある。 福栖大日南への参道だったのだろうか。 そこは倒木などで歩けないので横を歩く。それはやがて右の谷に下っていった。

鉄塔には12時40分着。けっこう展望があって目の前には高倉山がある。 ここでコーヒーを飲んでのんびりする。さーて、最後の下だ。 巡視路にもかかわらずけっこう急な下りで転けそうになる。 放棄された谷間の棚田跡に降りる。それを抜けると目の前に愛車があった。 13時40分。
どうでんさんのお堂

時間があるので今日の廃寺に関係ある所を訊ねてみる。それは鍋子集落にある『どうでん(堂前)さん』という 石仏だ。お堂の前には新宮町が設置した看板がある。『このお堂の中には、どうでんさんと呼ばれる 石仏が3体(阿弥陀三尊像)まつられている。・・・中略・・・三尊とも流紋岩製で、鎌倉時代中期前半の 造顕と思われ、当地方では最古の石仏である。』

問題は次のフレーズだ。『当石仏は鍋子村北方山上の寺院の本堂前にあった(堂前さんの名の由来)。 当寺が廃寺となり、残された当石仏がいつの頃からか中腹の堂床に移され小堂にまつられた。 ・・・後略・・・幕末〜明治前期頃に鍋子村の 女力士が現在地に背負って降りたという伝承が残っている。』

ぜひとも見たい石仏だったがお堂の扉は閉ざされていた。と、タイミング良くおばさんが歩いてくる。 お願いすると快く見せてくれた。けっこう広い畳敷きの部屋で押入のような所に石仏は安置されていた。 丸彫りでふくよかな体格(阿弥陀は高さ78cmもある)をしており、これを背負うには そうとう重かったはずだ。

それにしても鍋子村北にある山上の寺院、そして中腹の堂床とはどこを指しているのだろうか? 中腹にあったという堂床とは今回行くことができなかった『福栖廃寺』か?ならば山上の寺院は 『福栖大日南廃寺』ということになる。家に帰って思ったが、堂前さんかすぐ上にあったのだから 『福栖廃寺』も登ったらよかったなあ・・・。

今回の篠首十石廃寺〜福栖大日南廃寺の地図は こちら(約130k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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