経の尾〜毘沙門洞窟

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『笠原』を参照していただくようお願いいたします。

2008. 1. 6.  日曜日  晴れ  気温ふつう
2004年の5月に 経の尾(経納山)に 初めて登りました。それは山の中腹にある周遍寺から山頂までのショートコースピストンでした。 その後、この山域に毘沙門洞窟というものがあるらしいという情報を得る。 正確な場所がわからないので二の足を踏んでいたが、年末に行った手術のリハビリを兼ねて 探索を試みてみる。見つからなくてもほどよい散歩にはなるでしょう。

県道79号線を北上して加西市に入ったすぐのところにミディベーカリーというパン屋さんが ある。その道向かいにある『周遍寺』という標識に従って一車線の道を上っていく。 万が一、対向車が来るとすれ違うことが出来ないような、細くて路面の悪い坂道が続く。 左右に広がるのは乳牛育成センターの放牧地だ。

終点は広場になっていてかなりの車が止められる。今日は私以外は誰もいないが、平日はさぼりの営業車が ここで昼寝をしたりしている。確かにここだと誰にも見つからないしね・・・。 リュックにあれこれ詰め込んで11時50分スタート。
駐車場から階段を上ると周遍寺の本堂がある

古い石段を登っていく。中程に大きな石の手水鉢があり『西国順禮講中 正徳五乙未(1715)七月吉日』とあった。 少なくとも300年前は多くのお参りがあったようだ。右手には廃屋になった庫裏が見える。 ここを心霊スポットとしてWEBで紹介している輩がいるが、あの手の馬鹿はダム、トンネル、廃屋などは すべて心霊スポットと称している。まさに馬鹿の一つ覚えだ。ほんとに山奥に行くともっと不思議な体験ができるを 知らないのだ。

中世には七堂伽藍があったというが、天正六年(1578)に秀吉によって焼き討ちにあう。 その後、天和二年(1682)に地元の高田六郎右衛門により伽藍を再興、現在に至る。 (駐車場にある加西市観光協会の案内板による)
高田六郎右衛門寄進の多層塔八十八箇所巡礼路を奥へ

現在確認出来るのは、如意輪観音を本尊とする本堂、開山堂、大師堂、鐘堂など。 ちなみに本堂正面には墨書きで如意輪観音の説明が書かれていた。 (施ヲ以テ衆生ヲ救イ 智ノ光明輪ヲ以テ障礎ヲ摧破スル尊 )とある。 その本堂裏から八十八箇所の巡礼路を進んでいく。
巡礼路の最奥に道標が出来ていた経の尾に着

巡礼路にゴミ一つないのは信者の人たちが整備しているからだろう。ただ、石仏は そうとうに傷んでいるものも多く、その材質のためか顔が剥離しているかわいそうなものもある。 巡礼路の最奥から頂上への道が続いているのだが、いつ設置されたのだろう、そこには『経尾山 毘沙門』と書かれた 立派な道標があった。これで毘沙門洞窟へは心配なく行けそうだ。

お稲荷の祠を過ぎると分岐があった。ここにも道標があり、右が山頂、左が毘沙門となっている。 初めて来たときにもこの分岐は確認していたが、その時よりはヤブが薄くなっていた。 毘沙門へはどうやら稜線沿いに西方向へ向かうようだ。とりあえず頂上へ向かう。

頂上には12時10分。駐車場から写真を撮りながらでもわずか20分。あまりにあっけないので 八十八箇所の巡礼路を一周してから登るのがよさそうだ。 標高221.1m、四等三角点。
山頂から北の展望地山頂から西の展望地

ここを開山した法道仙人は山頂に妙経を写した石を埋めたという。普通の人なら伝説として 受け止めるのだろうが、なんと実際にここを掘った人がいたらしい。 三角点から数m離れたところにぽっかりを古い穴跡があるのがそれだろうか?

山頂には二方向に分岐がある。そのどちらもちょっと行くと展望地に出る。 今日はかすんでいるので遠望はまったくないが、北方向は西光寺山方向が見えるはず、西のほうは笠形が うっすらと見えた。どちらも腰をかけるには良くなかったので頂上手前にもあるもう一つの 展望地で昼食を済ませる。ここからは志方城山から権現ダム湖、小野アルプスまで一望できる。 空気が澄んでいれば明石海峡大橋も見えるかな?
昼食ポイントでオカリナ山頂手前の分岐から『B』地点へ

12時半に再スタート。頂上手前にあった分岐まで戻り、そこから毘沙門へ向かう。 道はきっちりと着いておりなんら問題はない。 平行道からちょっと登り返すと加古川市と加西市の境界尾根に着く(『B』地点)。 ここは分岐になっており、左へ向かえば志方町の野尻へ降りそうだ。 道標は右へ向かうようになっている。

ここからはほとんどアップダウンもなく西へ西へと進むことになる。 はたと気がつくがMTBにうってつけではないのか? それをイメージしながら歩くとMTBを持ってこなかったのが悔やまれるほど いい道だ。
192手前の分岐ありました。毘沙門洞窟

192ピークの手前にある鞍部が分岐だった。正面を登ると192ピーク。 左を下れば毘沙門と書かれている。当初、毘沙門はこの稜線より加西市側にあると 想像していたのだが、これだと加古川市側になってしまう。 しかも城山ゴルフ場の敷地内になりそうだ。

どうなるのかと進んでみると、道は192ピークを巻いているようだった。 すると、石仏が現れる。見ると、西国三十三箇所の観音霊場を模しているようで、 192ピークの南斜面をぐるっと回っているようだ。 その途中にぽっかりと口を開けた目的の洞窟があった。
2童子を従えた毘沙門天さらに奥を覗いてみる

入り口には手水鉢、石碑、石灯籠などがある。洞窟の入り口は、 覆い被さるようにある大岩の下部が斜めに切り裂かれたよう開いている。 その入り口部分の斜め左上に大きな石板があった。近づいて見ると、 なんと薄い浮き彫りで毘沙門天が彫られている。左右には童子を従えている立派なものだ。 残念なことにたぶん昔にここから落下したのだろう、真ん中からまっぷたつに割れていた。

他にも2体の石仏を確認する。洞窟は奥へ狭まっていて、終点は入り口から10mも ないようだ。もうちょっとじっくりと写真を撮りたかったが次回のこととして 下山路を探す。『C』地点の分岐まで戻るべきだったが、横着をして観音霊場の途中から 変なヤブを突ききろうとして進退窮まる。
192ピークから境界を下る『E』地点の峠

このままだとゴルフ場へ下ってしまうのがわかったので巡礼路へ引き返して、 そこから192ピークへ登る。当然だが境界尾根にはしっかりとした道が あってそれに従う。ここもMTBだったら、とんでもなくおもしろい下りが楽しめそうだ。 それをイメージしながら下りきると『E』地点の峠となる。13時40分。

南を見るとゴルフ場の芝が見える。北へ下ると県道へ出る。正面の境界にはさらに 道があった。これを行くとどこまで行くのだろう。地形図を確認すると、 法道仙人の駒之蹄の遺跡を経て、これまた法道仙人の開基した 法華山一乗寺へ至る。つまりこの稜線道は法道仙人が一乗寺から 周遍寺へ出向するのに使われた道だったのです。げんにあの洞窟も仙人が修行に使っていたと いう伝説もあるらしい。

この峠も昔は加西市から志方町へ抜ける生活道だったと思われる。 その快適な道を下りきれば、二つのため池横を通過して喫茶『なぎさ』の西となりの山道から県道へと出る。 ああ、MTBだったらどれほど楽しかったかとさらに後悔する。あとはてくてくと県道を 歩いていく。
周遍寺旧参道入り口にあるこの奥は超激ヤブだった

周遍寺へは旧参道から戻ることにする。新しく出来た工業団地に沿って県道が 付け替えられて、旧道は一般車が立ち入れないようになっている。 周遍寺の旧道へ向かうべくその廃道へ向かう。地形図にある点線ルートがその旧参道だが、 その入り口付近には立派な石棺の石仏がある。

地蔵菩薩立像である。周囲は草むらに覆われて、この時期だから見えるものの、夏場だと草に隠れてしまうだろう。 左手は胸元で宝珠を持っている。右手はだらんと下げていることから与願印なのかもしれない。 顔は摩耗して表情はわからないが、妙にでかい頭はアメリカ映画に出てくるベムのようだ。

耕作地を奥へ進んでいくと谷にあるはずの道がまったく痕跡もない。 背丈以上の笹がびっしりと生え前進を拒んでいる。「多少のヤブならへっちゃらです」なんて いう人もこの谷だけはまずギブアップ間違いなしだ。ここが旧参道だという確信があるので右に、左に移動しながら 道の痕跡を探す。頭からゴミだらけになり獣のようにはいずりながら前進する。

谷が狭まるにつれて徐々に踏み跡らしきものも現れてくる。横手に五輪塔の残骸が転がっていたのでやはり 旧参道に間違いない。やがて前方が明るくなってきて駐車場に飛び出る。14時50分。 来たとき同様に誰もいなかった。目的の毘沙門洞窟も見つかったし、次回はMTBで走ってみよう。

今回の経の尾〜毘沙門洞窟の地図は こちら(約120k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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