山口城趾〜尾根周回

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『但馬新井』を参照していただくようお願いいたします。

2008.12.20.  土曜日  晴れ  気温蒸し暑い
先週、登り損ねた『かせい』に再チャレンジしようかとも思ったが、 やはり未踏のピークも捨てがたい。朝来の岩津ネギが旬を迎えたのでそれを買うついでに 近くのピークに登ってみようと思う。 それは朝来町山口にある『山口城趾』です。

そのピークだけではあまりに簡単過ぎるので、時間が許す限りそこから 時計回りに尾根を縦走することにする。 駐車場所をどこにしようか思案する。山口護国神社にある空き地は駐車禁止の 立て札がある。気が付かなかったが幸いにも国道312沿いに無料の駐車場があった。
羽淵鋳鉄橋

そこには先週見たのと同じような鋳鉄の鉄橋があった。県の文化財である『羽淵鋳鉄橋』です。 明治時代に神子畑から生野にかけて五つの橋が架けられたというが、残っているのは 先週の神子畑とこの羽淵の二つだけらしい。しかもここのは二連のアーチである。

準備を済ませて9時15分スタート。登り口は以前に調査済みです。 集落内の道路沿いにある『妙見宮』と彫られた石碑が目印です。その妙見宮がこの山腹のどこにあるのかは わかりませんが、そこから頂上へ登るのはさほど困難ではないでしょう。
ここが登り口火の用心分岐を左へ

登り始めた私を見て一台の軽トラックが止まる。おじさんが私にどこに行くのかと 訊ねる。頂上にある城跡だと言うと「あの平たい頂上が城跡なんか?」と逆に 訊ねられる。そうだと言うと妙見宮から登れると教えてくれた。 「あの奥で熊が出たそうだから気をつけや」と教えられる。

ちなみに城跡のあるピークに名前があるのかと聞くと『はちろうさんの上』と 言う。おもしろい名前だが由来を聞いてみると、生野義挙の隊長だった 南八郎が祀られているさきほどの護国神社の真上にあるピークだからだそうだ。

参道なのでステップも刻まれているところもある。急斜面にジグザグに道はある。 道が土砂に埋もれかけて単なる斜面になっている危うい箇所もある。やがて火の用心マークの分岐にたどり着く。 そこから左へ登り2ターンで『生野北支線33』の鉄塔になる。
鉄塔から西方向の展望

なかなかの展望だった。西方面が見えているのだが、季節柄植林と雑木の境界がはっきりと見えて、 よさげな斜面がたくさんある。この鉄塔からは大岩がいくつも現れて、 妙見宮が近い雰囲気になる。それらの 岩場を抜けると石垣と青いトタンの建物が見えてきた。

妙見宮裏にある大岩から

妙見さんの前は広場になっていて、新井の町並みがよく見える。 今から140年ほど前に幕府を倒すべく生野の代官所を占拠した八郎さんをはじめとする 十三人の志士たちはこの妙見宮に立てこもったという。

お宮は雨戸がしっかりと閉まっていて中を見ることは出来なかった。 その裏手から道はある。裏手にはお宮に覆い被さるように大岩がある。 最初はこの岩くらをご神体とするようなお宮だったのかと思わせる。
妙見宮の裏にある堀切山頂手前に着きました

二条の堀切を過ぎるといきなりの激斜面となる。 とにかく一歩一歩登っていけばいつかは頂上だ。 上着はとっくに脱ぎ捨てているが、もう一枚脱いでしまいたいほど暑い。 やがて城跡らしい平坦地となると目の前のもう一段上が頂上だった。10時30分。

矢竹がたくさん生えていると聞いていたが、実際は大きく伐採された広いピークだった。 一般的には山口城と呼ばれているが岩洲城とも言う。したがって山名も『岩洲の山』と呼ばれたり、 『鷹城山(たかしろやま)』と呼ばれたりと複数の呼び名がある。鷹城の由来はすぐ北にあるピークが『鷹巣』で そこから鷹が飛来していたからだ。 岩洲城は竹田城の出城だったが天正五年の羽柴秀長の但馬攻めでは一晩で落城したという。
伐採されて三角点もある

伐採されていたのはそこに新設の四等三角点があるからだった。 しかも、それは最近よく見かける金属標ではなく御影石の従来からある三角点だ。 帰って国土地理院のHPを見てみるがまだ表記されていなかった。 できたてのほやほやってことか?
東へ向かう

15分ほど小憩する。猪名川移動の矢問さんが無線からかすかに聞こえる。行者岳やら法道寺山などの 高い山があるので直接波ではなく、スルガなどからの反射波で聞こえているのだろう。 先は長いので山頂を後に尾根に入る。曲輪跡から急な下りが終わると快適な尾根になる。

ところが、『D』からいきなりの激ヤブとなる。最初こそなんとか進めたものの、 途中からは獣が通過した空間をよつんばで前進する。 こんな所で熊に遭遇するのはいやだし、ハンターに見られるのもかっこうわるい。 タイミング悪く無線から粟鹿峰移動のたぬきさんの声が聞こえる。 這いつくばったまま応答する。ナタが必要だったなあ。

506に来てもヤブはひどい。東側が植林だったのでそちらにエスケープする。 506から尾根は南に方向を変える。この尾根は標高差も無いので楽勝だと思っていたが こんなとは想像もしなかった。 植林の斜面はなんとか歩けるので様子を見て尾根に復帰する。
食事ポイントから見た

今日はどこも風が冷たくてきついらしい。ところがここは風も無くあったかい。 ヤブも終了したらしく、ここからは城跡ピークも望める。 時間は12時05分。ここで昼食を摂ろう。 今日はお餅を焼いて砂糖醤油で食べる。香ばしくておいしいよ〜。

OAPさん、JMMさんは宍粟の東山でずいぶんと寒そうだ。粟鹿も同様に風がきついらしい。 私はまだ行程の半分ほどなのでこれからが勝負です。ちゃんと歩ければ問題ないが、先ほどのような ヤブがあるとやばい!12時40分再スタート。
西の谷を見下ろしながら歩く分岐ピーク着

幸いヤブは無くなって気持ち良く歩ける。右手の下に見えるのは元津の宮の谷だ。 その谷を中心にぐるっと尾根を回っているので展望にさほど変化はない。 急な登りをクリアーすると分岐のピーク『F』になる。13時05分。

ここから左に行けば岩屋観音の真上を通過して行者岳、あるいは岩屋観音に行ける。 それもおもしろそうだが、やはりこの尾根の行方がどうなるかそちらを行ってみたい。
静かな尾根だ赤松の尾根

急な斜面に落ち葉が積もっているので敷物があれば尻セードで 滑れそうだ。それぐらい急だが危険ではなくおもしろい斜面だった。 一気に200mダウンでようやく平坦になる。この辺りは麓にある 鷲原寺の裏山で、赤松林にはきれいな道が付いている。秋には入山できない感じです。
点名『奥谷』法道寺山を見る

406ピークの手前に三角点があった。ここは国土地理院に記載済みの点名『奥谷』である。 なぜかここの三角点は金属標である。金属と石の設置区別はどうのような基準なのだろうか? ここからは法道寺山、釜床山が見える。それらを眺めながらコーヒーと糖分補給をする。 さらに地形図を見ながら下山ポイントも探らなければならない。
406付近から見る

良い道が続くのでどこまで行けるのかも興味があったが、途中から北に延びる尾根が いかにも具合良さそうで、そちらから下山することにする。その先にあるピークも頂上は平坦で なにかがあったような感じだ。そこから下ると送電線鉄塔『生野北支線40』に出る。
『生野北支線40』巡視路を下る

ここからは巡視路をたどればよい。ジグザグに下っていき谷に降り立つ。 薄暗くじめっとした谷だ。奥に見える 立派な石垣は棚田跡だろうか。わずかの距離で林道と合流する。
林道出口の向こうに神社

林道の出口がすぐ向こうに見えていた。ゲートがあるが施錠はされていない。 扉を開けて表に出ると扉にはこんな文言が書かれていた。 『部落以外の者の入山を禁ず』あら!下山だったのでお許しを・・・。 さらに『地籍調査測量 作業中』これは城跡にあった三角点の設置作業を示すものか?

出たところには三柱神社がありちょっとお詣りする。 後は村道と312を歩いて駐車場所に。15時15分。

今回の山口城趾〜尾根周回の地図は こちら(約100k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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