畑 愛宕山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『北条』を参照していただくようお願いいたします。

2007. 1.20.  日曜日  曇り後小雨  気温寒い
まさに負のスパイラルとでも言うべく、週末になるたびに天気が悪い。今朝もいまにも降り出しそうで、 仕方なく近場でお茶を濁すことにする(ところがこれが結構濁らないお茶だった)。標高が300mほどしかない加西市の里山の尾根を歩いてみようと思う。 地形図を見るとピークに山名も無いし、三角点すらも無い。これで尾根がヤブまみれだったらまさに 泣きっ面にヤブである。

スタート地点は加西市谷町からとする。地形図にある鳥居マークは八幡神社で、そこから点線ルートが北向けに 続いているのでこれを利用する。その神社の登り口に駐車して準備、8時15分。 ここには瓦葺きの屋根で白壁に囲われた一角がある。見ると『乳の井戸』と書かれた看板もあった。

『八幡神社の麓にあるこの井戸は、昔から共同井戸として使用されているが、この井戸は 石垣の間から乳のような白い水が湧き出し、しばらくすると澄んだ水となる。 この水を「乳の水」とい呼び、母乳の出の悪い婦人が八幡神社に詣って、この水を持ち帰り、 ご飯を炊くと必ず母乳が多く出るとの言い伝えから乳の井戸と名付けられたものです。・・・』

覗いてみると白い水は湧き出ていませんが、澄んだきれいな水が湧いている。 そばにはその水を汲めるように柄杓もぶら下がっていますが、水底にカニが動いているのを見て 飲むのをやめる。さて、神社へ向かいましょう。
神社前に駐車本殿手前左を行く

石段を登っていく。実は右方向にも道があり、自転車ならそちらで上り下りが出来ます。 周囲は神社特有の巨杉に覆われた薄暗い森ではなく、アベマキ、アラカシなどの里山を 感じさせる明るい雑木に覆われています。寛政年間の立派な石の鳥居を過ぎて 最後の石段手前で左の道を行くのが正解。そのまま石段を登り切ったとしても、本殿の裏手からも この山道に合流するので道中の安全祈願を兼ねて本殿まで行く。
緩やかな登りの明るい山道おっと!こんな所に道標が!!

実は何年も前に東隣にある舗装の峠道からこの点線ルートに乗っかってMTBで ダウンヒルしたことがあります。当然ながら乳の井戸までは乗れ乗れでしたが、こうやって 歩きで登ってみると案外距離があり、またぞろMTBで下ってみたくなりました。 その時にも見ているはずでしたが、途中の分岐で道標の石仏を発見。

横手には『明治三十九年十一月建之』、正面には笑顔のかわいい地蔵菩薩?と『右 若井 左 ヤマミち』とある。 つまり明治の頃はこの山道が谷町と若井町を結ぶ峠道だったのでしょう。 どうりでしっかりとした道だったわけです。今回はその『ヤマミち』方向へ行く。 270+mのピークは左巻きになり登りのない平行道で楽勝。265mピークは右巻きで 同じく平行道でパスする。
265mを過ぎて『C』地点

この辺から足元がちょっとうるさくなる。それまで緩やかだったがこの辺から 30mほど標高を稼ぐ。すると東から延びている支尾根と合流。『C』地点に9時10分。 ここで昔、『加西市教育委員会・・・』と 書かれた白い木柱を見つけたことがあった。それでこのルートがハイキングコースでは ないかと思ったのだ。周囲にその木柱が落ちていないか探してみたが、 その時でも朽ちかけていたぐらいですから当然あとかたもなかった。

この辺からさらにヤブっぽくなる。とは言っても所々にはきれいな道が残っており、 やはりハイキングコースだったのかと思ったりする。 のっぺりと細長い310+mの稜線付近はヤブっぽいが、広い尾根なので右に、左に 迂回しながら歩く。展望は無いし笠形から吹いてくる颪が冷たい。 この辺は秋には松茸山となるので入山するとトラブルになります。要注意。

のっぺり尾根を降りたところは地形図には峠のように左右に点線の道が描かれている。 周囲の雰囲気は峠のように感じるが左右にそれらしい道は残っていなかった。 石仏、道標のたぐいもなくただ古い陶器製の湯飲みが転がっていた。 遙か遠くで散弾銃の銃声がする。この近くでは犬の鳴き声もないし、今日は安心して歩けそうだ。
岩の上によじ登る横手を通過・・・
ん?なんか書かれてるぞ
界石明治四十二年五月???

お宝はないもんかなあ〜と歩いていると、先ほどの峠からすぐの所で大岩が ルートを遮るようにあった。高さは4m弱ぐらいかな、よっしゃ、登ってみるか。 タイマーが間に合わなくててっぺんに立ったときにはシャッターは下りている。 この岩、正面から見ると塔のようだが、実はマンボウのように横に平べったい。

その横をすり抜けるとき、ふと目線を岩盤に向けると、な、なんと文字が 彫られているではありませんか!まずは大きな文字で『界石』とある。 つまりこの石を境界に左右の集落で所有権を分け合おうというものか。 さらに左に文字がある。

こいつがおもしろい。高さも不揃い、文字も斜めに、いかにも素人が彫ったと思わせる。 消えかかっているが一行目が『明治』だろうと思うが、『治』が『さんずい扁に欠』となっている。そして『四』。 二行目が『二年』。三行目が『五月』。続けると『明治四十二年五月』となる。
337を過ぎて最後のピークへ遊歩道に出て驚く

いよいよゴールが近い。最終的には畑と若井を結ぶ峠に降り立ち、そこからゆるぎ岩を経て 下山するつもりだ。それまでにある このルートでは最高峰の337は倒木だらけで、これといって特徴の無いピークだった。 そこから次の320+mの最終ピークへ登り返して驚いた!!なんとベンチが設置されていて、そのそばには 道標のある遊歩道があるではないか!!9時55分。

後でわかったのだが、このピークは愛宕山だという。ベンチに座り向こうを眺めると雪雲に隠れそうに 深山のピークがある。冷たい風は相変わらず吹いており、どうやら小雪になりそうだったが、 その前に下山も出来そうだ。とりあえずベンチでおやつとコーヒーをいただき凍える手でオカリナも 吹いてみる。

そばにある道標には『高峰神社730m(11分)』『ゆるぎ岩470m(7分)』とあって、 道も道標の向いている二方向にある。峠に下りてからゆるぎ岩へ向かうつもりだったが、この遊歩道なら ダイレクトにゆるぎ岩へ行けるようなのでこいつを歩いてみる。
良い松林です峠に出る

里から見てもわかるのだが、この山域は立ち枯れの松やら倒木で覆い尽くされ荒廃しきっている。 ところが、この遊歩道の周辺は不要な雑木、倒木が片づけられて小ぎれいになっていた。 とても良い雰囲気です。ただ、遊歩道は急な階段で下っており、ストックがないと滑りそうだ。 やがて見覚えのある旧峠道と合流。これを下ればゆるぎ岩だが、反対方向のすぐ先が峠なのでそちらへも寄り道する。

峠にはさきほどの遊歩道にあったのと同じような道標がある。『山頂440m(11分)』。 そして小さな道標石仏。あのまま愛宕山から下るとここに下りてくるはずだった。 その道標を眺めてみると四面にそれぞれ地名が彫られている。仏の彫られている正面は『南 下若井』、 『東 若井上下』、『北 日光寺道』、『西 畑道』とあった。ちょっと方角はずれているが、 それぞれの地域に該当しているのがわかる。ちなみに私が歩いてきた尾根は下若井に繋がるれっきとした 道だったわけだ。
倒せ!ゆるぎ岩高峰神社へ

旧峠道に戻り下っていく。ここも倒木などが取り除かれており、すこぶる快適な道になっていた。 分岐があってくるっと回り込むとそこには奇岩ゆるぎ岩がある。10時30分。 案内板がある『・・・・その昔、法道仙人が「善人が押せば動き、悪人が押してもびくともしない。 この岩を押して動かない時は自分に邪心があるから罪悪をざんげして正直慈善の人にたちかえりなさい」 ・・・・』とある。

まじ、これは押す周期合うと岩は動き始めます。ただし、微妙に揺れているので 自分で押していると動いているのがわからない。押している所を他人に見てもらうとちゃんと動いているのが わかります。う〜ん、おれってやはり善人だったのかあ。

遊歩道を下りきって高峰神社を目指す。河上神社もおもしろいのだが、雨(雪)が降り出しそうだったので 奥池というため池沿いにある高峰神社までの遊歩道を急ぐ。 この遊歩道途中からも愛宕山へ登る登山口がある。そしてすごいのは このため池沿いにある水路だ。まるでインカの遺跡のような緻密な石組みで出来ている。
インカの遺跡?高峰神社

その昔は深山の頂上にあったと聞いたことがある 高峰神社には10時50分着。シトシトとみぞれが降り始めたので 木陰に避けてリュックから傘を取り出す。これで今日の山行きは終了だと思ったのだが、 神社の入り口に先ほどの遊歩道の地図があった。 『畑町 歴史の森』という地図には河上神社からゆるぎ岩、愛宕山にかけての『神話の道』、 水路にそってある『水面のこみち』、神社から愛宕山へかけてのルートは『ツツジ街道』。

さらにはこの神社から『遍路のこみち』という八十八箇所の巡礼路があり、行者岩、タタミ岩などの奇岩があるという。 それらをうまく繋げればけっこう長時間遊べそうだ。春のツツジシーズンに訪れるのが よさそうです。集落の小道を抜けて『乳の井戸』には11時半着。

今回の畑 愛宕山の地図は こちら(約110k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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