明延鉱山

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『大屋市場』を参照していただくようお願いいたします。

2008.11.16.  日曜日  曇り  気温ふつう
晴れていればとうぜん山行きの予定でしたが、週半ばの予報でも日曜日は天気が悪いという。 ならば明延の『ふるさと明延まつり』に行ってみようというM氏の提案に乗っかる。 去年が初めての開催だったのだが行きそびれており今回が2回目だという。どうやら 先週に引き続いて廃坑探索となりそうだ。

やまあそこと筆者と明延とは無関係のようでそうでもない。 というのは、私の父親が独身の頃、仕事でこの地に訪れているのです。 父は腕の良い石州左官でした。石州(現在の島根県石見地方)では代々左官業が受け継がれ、 全国に散らばってその技が披露されたのでした。

この少し北にある南谷中学校(昭和48年に廃校となり石碑のみ残っている)の工事で この地に訪れたのだが、宿泊は明延にあるこのたばこ店に泊めてもらっていたという。 たまたま?このたばこ店も新築中で、宿泊していた父親をはじめとする 職人達で建てたという。
昭和28年平成20年

まさか、55年後に息子が同じ所に立つとは思いもよらなかっただろう。 お店の雰囲気が写真で比べてもほとんど変化がないのには驚かされるが、 実は屋根部分の文字に注目してほしい。

石州左官の得意技として鏝絵というものがあります。それは漆喰で文字やら 絵を描くもので、島根の石見地方には古くてすばらしいもの多く残っています。 この『たばこ』とか『Cigaretteと炎を吐く龍』も鏝絵そのもので、 自分で言うのもなんですが、貴重な遺産だと思っています。
会場の自然学校一円電車だ

たばこ屋さんからすぐの所にあけのべ自然学校がある。会場はここだ。 入り口には出店もあり、多くのテントでもいろいろと食べるものを売っている。 まずは一円電車を見るべく奥へ行ってみる。

敷地に直線で30mほどの線路が敷かれている。もちろんこのイベントのために特設 しているのだ。客車はここから数百mほど離れた振興館の敷地に保存されているものを ここまで運んだようだ。バッテリー動力車は借り物らしい。横手に展示している本来の動力車は錆びついて とても動ける状態ではない。
バッテリーだけで1500kg!こういう雰囲気で神子畑までお買い物

ここ明延と神子畑を結ぶ6kmの路線を往復していた。もちろん鉱石を積んでいたのだが、 町民も利用出来てその運賃が一円だったことからこの名前が付いた。 正式には明延と神子畑のそれぞれ一文字を取って『明神(めいしん)電車』と言っていました。
当時の絵はがきと切符

その一円電車の切符をもらって中に乗り込む。10人ちょっとで満員だ。ほとんどトンネルの中を 運行するためか窓は小さい。明かりは天井に電球が三つほどあるだけなので客車内は暗かったのでは ないだろうか。今日は明るい中を30mほど往復して往時を偲ぶ。
雨にならずによかったとご挨拶このてるてる坊主のおかげです

会場では挨拶が始まっていた。その中で『雨にならずによかった・・・』と言うのが聞こえる。 そういえばここに来てから一滴も雨は降っていない。『特製のてるてる坊主のおかげで・・・』 とも聞こえた。ああ、あの防塵マスクとヘルメットを装備していたあの人形かあ。 抜群の神通力は山行きの時も使えそうだ。

父親の足跡も確認し、一円電車にも乗り、次はいよいよ坑道見学だ。 普通の日なら予約が必要で1グループが3000円だったと思うが、今日は500円と リーズナブル。しかも会場からシャトルバスで送ってもらえる。 さっそくそれに乗っかる。10人ほどがグループとなって元鉱夫の人が案内人となる。
探検坑道へ昔の状態のままらしい

坑道はほとんど昔のままらしい。天井が低く、岩盤がむき出しの所もあり、全員がヘルメット装着となる。 地面はコンクリートで塗り固められてはおらず、坑車が走ったであろう線路がそのままにある。 ルートには明かりがあるが、先週使用した超明るいヘッドライトを当然のように使用する。 他の人たちからはマニアと思われたかな。
たぬき掘りの跡登ったり、下ったり

見どころ、聞き所はたくさんあるが、例によって私とM氏は最後尾で 勝手気ままに悪ふざけ?をしている。線路もある昭和の坑道だが、頭上には150年以上前のたぬき掘りの跡が あって、見上げると地表の明かりが見えている。この掘り進んだ空間に鉱脈があったという証拠だ。
横の鉄管は圧縮空気を送っていた発車オーライ
日本酒を熟成しているそうななんかええもん落ちてないかな
M氏にそっくりなマネキン人形出口が見えてきた

たった500mほどの坑道だったが野趣があっておもしろかった。 明延の地下に広がっている坑道の総延長は、なんと大阪から東京ほどもあるそうだ。 そう考えるとわずか数キロの明神鉄道はいとも簡単に造られたものだったのかとも思う。

明延は日本一の錫の鉱山でした。それが廃坑になったのは資源が枯渇したからではない。 昭和62年にまだまだたくさんの鉱石あるにもかかわらず閉山してしまったという。 今日歩いたさらに下の階層にある、蜘蛛の巣のように張り巡らされた坑道は、 水を注入されて機械とともに水没している。「再開することはないんですか!?」 と案内人に執拗に食い下がるM氏。素人の我々は単純にもったいないと思うよなあ。
う〜ん、よくわかる第一浴場

学習館でジオラマを見ながら説明を受ける。その後会場まで歩いて戻り、町内をスタンプラリーで楽しむ。
なんやろ?錫かな

最近、某ミュージシャンがお金に困って詐欺を働いた。100億円も貯蓄があったというのに 何に無駄遣いしたのだろう。 「100億円もあったら一円電車の完全復活(明延〜神子畑)に寄付するけどなあ」と私。 M氏は笑うように「そんなんしたかって、誰も乗りに来るかいな」とにべもない。 夢のないM氏はこういう格言を知らないらしい。『一円を笑う者は100億円に泣く』

今回の明延鉱山の地図はありません。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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