はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1 『音水湖』を参照していただくようお願いいたします。 2008.10.19. 日曜日 晴れ 気温蒸し暑い
山友達のかねちゃんに「たまには播磨の山に来てよ〜」って言うと
「ならば、案内せよ!」と言う。しごくごもっとも。
かねちゃんの好みは知っているので阿舎利山のこのコースを紹介することにする。
ここは2006年
に登っており、前半は大展望の稜線歩き、その後頂上までずーっとブナを含む自然林を愛でることができるコースです。
たぬきさん、かねちゃん、やまあその3人で阿舎利集落の手前にある道路沿いのスペースに 車を止める。ちょうどその時、奥から2台のマイクロバスがやってきて我々の前を通り過ぎる。 今日は一山への『ふれあい登山会』なるものがあるらしい。 2台とも空だったので登山口に届けた後のようだった。我々も9時30分スタート。
前回靴を脱いで川を渡ったが、今回は橋の手前から入ることによってそれを回避する。 良いアイデアだと思ったのだが、倒木などで進むことが出来ずに結局川を渡る羽目に・・・。 幸い水が少なかったので飛び石で向こう岸に行くことが出来た。 枯れた桂?の古木が谷にある峠道の入り口だ。さあ、ここがほんとのスタート地点です。 誰も歩いていないために峠道には倒木が覆い被さっている。それを避けながら登っていく。 途中に幾本か古い電柱が倒れている。この辺の由来は2006年のレポートを参照あれ。 |
この辺は歩きよい | 1965年8月 | 峠に着きました |
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この峠道は溝谷の学校へ通学路でした。子供達はここの地蔵さんに挨拶をして、正面に見える 三角錐の志倉権現山を見ながら溝谷へと下って行ったのでしょう。 想像力が豊かすぎる私はそういう光景がありありと目に浮かぶのです。 阿舎利への帰り道、雪のある頃は肥料の袋をお尻に敷いて滑って降りたそうです。 (これは事実です)
峠からは尾根をひたすら登っていきます。ヤブもないので苦労なく進んでいきます。 途中から一山が見えました。ふれいあい登山のハイカー達はいまごろどのあたりかな? 峠から1時間ほどで展望の尾根に出る。それまでずーっと植林帯なのだが、その手前10mほどがヤブです。 ヤブということは自然林ということ。自然林ということは色づきを楽しめるということ。 ヤブだから嫌って言う人は自然を楽しめない人です。 |
大、大、大展望だーい |
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展望の尾根に出て一気に空間が広がる。11時20分。三者三様でカメラを構えて展望を写しています。 空気もまあまあ澄んでいていろんな山が見えています。とりあえず写真も終わり、予定通りに ここで昼食をいただきましょう。宮中山のOAP隊、笛石山のしみけん隊と無線交信をする。
12時ジャストに再スタート。この展望尾根は北斜面の伐採のおかげ?ですが、 南方向は木々に遮られているので一山は見えません。 尾根上には伐採を免れたブナが色づき始めています。 新しいネットが張られているのでそのうちまた植林が始まるのでしょう。
四等三角点を過ぎて伐採尾根も終わると植林の中の薄暗い尾根になる。やがて こんもりとした土盛りのある分岐に出る。『六四』の石標があって右に下ると 溝谷と引原を結ぶ峠に至る。阿舎利山へは正面の行くのだが、 ここから頂上までの右斜面はブナの雑木帯となって視線は釘付けとなる。
視線も釘付けなら足も釘付けだ。かねちゃんは座り込んで動こうとしない。 いわゆるブナ中毒状態。まあ時間に余裕があるのでじっくりと楽しんでください。
『六四』の石標から頂上までほぼ1時間かかってしまいました。 途中の会話では、たぬきさんかねちゃんの退職金でこのエリアを買い取るという 予定まで出来ているようです。
山頂には13時半着。OAP隊と再度無線が繋がり下山のメドがついたという。 こちらは宮中山のようなヤブの心配もないので下山も楽です。 そういうことで、ここでお茶して先ほどまでのブナの余韻に浸る。
13時50分下山開始。ちょっと逆戻りしてセト谷経由で阿舎利の集落へ下る。 植林の激斜面を下ると倒木の多いセト谷となる。谷の流れで顔を洗うと 気持ち良い。何度も渓流を横切り下っていく。 『左 山道 右 引原』という石の道標が現れると林道も近い。
1時間で林道に飛び出た・・・・が、そこは堰堤の工事中だった。 日曜日なので仕事はしていなかったが、こんな所で工事をしているとは ちょっと驚きだった。通行止めと看板があったが、逆方向から来た我々にはあずかり知らぬこと。 工事現場をすり抜けて阿舎利集落の道を行く。 Kさん宅横を通過して駐車ポイントには15時15分着。ほどよい距離と時間でした。 おふたりさん、楽しんで頂けましたでしょうか・・・。 |