うちおく(銅山)

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『大屋市場』を参照していただくようお願いいたします。

2007.11. 3.  土曜日  晴れ  気温ふつう
去年のちょうど今頃登った うちおく の尾根が心地よかったので、今年も単独で登ってみようと思う。 去年は養父市側の古屋廃村から登って、大路越えを経て周回したのだが、 今回は宍粟市の赤金(あかがね)廃村から登って同じように大路越えで宍粟市側に下山しようという計画です。

冨土野集落の終端、林道入り口右手に石仏がある。特に銘は彫られていないが、ここは 冨土野峠への旧道入り口でもある。 林道を奥へ進む。途中には個人が建てたログハウスやら 別荘まがいの家もある。その奥にある最初の分岐は右へ進む。分岐を左へ進むと 遊屋廃村へ続く峠道となる。次なる三叉路が今回のスタートゴールです。
造林事務所の前に駐車

そこには廃屋になった造林事務所がある。壁と屋根の一部が落ちているが 中はきれいに片づけられている。準備を終えて左のあかがね廃村方向へ進む。

林道をしばらく歩くと川の対岸にすばらしいケヤキの林が広がっている。 『ケヤキ人工林の密度管理試験地』と看板があるのだが、最近のものかと思えば、 なんと大正2年に植えられたものらしい。それらを数年おきにに下刈りなどを して現在に至っている。
ケヤキの人工林斜面が美しい

木橋があるのでそれを渡って、黄葉を見上げながら落ち葉の道を歩く。 林のおいしいイオンを吸い込むのだが、吸い込みすぎて咳き込む。 都会人の肺には濃すぎるようだ。人工林なのでそのエリアは小さい。 林の終点から飛び石で川を越えて林道に復帰する。
林道にも色づきが鉱山施設跡?

この奥に銅の鉱山跡がある。左手を見ると囲いにかこまれてなにやら怪しい物がある。 それは鉱石を溶かした後の滓のようだ。それが小山のように積み上げられている。 ここは鉱石を採取するだけでなく製錬までやっていたのだろうか。 だとしたら鉱毒などの公害もあったかもしれない。

冨土野集落で聞いた話ではここには『あかがね』という集落があって、学校もあったという。 そういう目で見てみると確かにそれぐらいの空間はありそうだ。広い谷の左右に 石垣にかこまれた敷地がある。石垣を登ってみると平坦地になっていて、その奥は ズリの斜面になっている。鉱山施設が あったのだろう、地面に落ちている絶縁碍子やら茶碗のかけらがその痕跡を示しています。

更地になっている箇所には切り出されたばかりの材木が積み上げられていた。 どうやら林道の奥では杉の切り出しがされているようで、ここが集積場所に なっているようだ。その方向へ進んでみると大型機械が置かれていて、 山の斜面は丸裸になっている。
伐採作業場所を抜ける林道終点から支尾根に取り付く

この辺からでも右の山腹に取り付こうかと思ったが、林道の終点まで行ってみることにする。 ほんとうは山頂から離れる方向なので当初の計画とは違うのだが、まあ成り行きに任すか。 その林道の終点には左方向の谷に『倉床川源流↑』の案内板がある。 そちらへ向かうとさらに方向違いなので、右の谷方向へ入る。そしてそこにある支尾根に 取り付く。

正直言って、最初はどこを登っているのかわからなかったが、 登るにつれて左右から現れる支尾根の合流方向やら傾斜具合から現在位置を確定できた。 それでわかったのはずいぶんと山頂から離れているということ。山頂着が予定より遅れそうなので急ぐ。

稜線にようやくたどり着く。11時25分。この稜線は中央分水嶺です。 西方向へ進むと藤無山だが、ここからだと1時間ちょっとぐらいの距離です。 ここから点名『筏』までの稜線も自然林が多くて癒しの空間です。
山頂に着!!これが山名の証?

三等三角点、標高953.7mの点名『筏』には11時55分着。 ここは展望もなく、周辺の半分は暗い植林なので食事には適さない。 このまま分水嶺の稜線を東へ向かって予定の黄葉尾根で食事をしよう。

途中に石柱がある。この石柱は界標で、この山域のあちこちに全く同じものがいくつかあって土地所有のエリアを 表している。その石柱にはこうも彫られている『山 字銅山官林』。 さらに、その石柱の横手に怪しげな杭が地面に打ち込まれていた。 見ると『古屋山山頂登山記念』『平成19年6月6日』とある。

ちょっと整理してみる。まず、この場所は山の頂上ではなく、稜線上の小さなうねりのこぶのような箇所である。 そこに山頂登山記念の杭があることがまず不思議だ。本来なら三角点のある最高点に設置されるはずだが、 たぶんそこがわからなかったのだろう。というか、この界標の石柱を三角点と間違ったのかもしれない。 それと、この古屋山という山名も謎である。

先ほど通過した標高953.7mの三角点ピーク 点名『筏』はあくまでも点名であって山名ではない。古屋の炭焼きをやっている方から聞いた 『うちおく』という地名は、この山域を総称するもので山頂名ではなさそうだ。 ならば、石柱に彫られた『銅山』はどうだろう。登り始めにあった銅鉱山のあったことから宍粟側の呼び名かもしれない。 ならば養父市から見れば麓にある古屋廃村から古屋山と呼んでもおかしくはないだろう。 (ちなみにこれより南東方向直線距離で2.5kmにある三角点【標高759.9m】が点名『古屋山』だが、今言うようにこれは あくまでも点名である)

一つのピークにいくつもの山名があることは別に不思議ではない。 宍粟の黒尾山などはいくつもの呼び名がある。その宍粟市では『宍粟50山』と称して 宍粟の山を紹介する計画があるらしく、それによるとこのピークは『銅山』となっています。 結局はこの山名に落ち着くのかもね。
極楽尾根で〜す

ぽかぽかで〜すKさんをお見送り

目的の雑木尾根にやってきました。 今日はここの黄葉が目当てでしたが、ほとんど落葉しており、去年よりも色づきも よくありませんでした。とはいうものの雰囲気は最高です。 お腹もぺこぺこなのでさっそく食事にします。 標高が低いので無線はさっぱりでした。食事も済んでコーヒーを飲んでいると 大路越えの方向から熊鈴の音が聞こえてきます。一瞬空耳かと思ったのですが 単独ハイカーが登ってくるのが見えます。

こんなルートで登ってくる人って?・・・。実は山の情報も頂いたことのある Kさん というわたしんちのすぐ近くの男性でした。初対面でしたが、山の話で盛り上がります。 私はコーヒーを、Kさんは焼酎を、するとその焼酎に惹かれて大きな蜂が飛んできました。
大路越えへ下るええ色してます

Kさんは山頂へ、私は下山を開始します。13時15分。 857ピークからは藤無のシルエットがうつくしい。 南へ踏み入れそうになるが、間違わないように東へ。
須留ヶ峰方向も見える

大路越え着坑道跡発見

大路越え手前の斜面はどこでも歩けるが 斜度がきついので転倒注意。大路越えには13時50分。 北へ下れば古屋廃村。今回は大路廃村へ下る。 古屋へのルートはわかりにくく急な所もあるが、大路へはわかりよい 踏み跡がある。

ちょいと下った所に倉床川の源流碑が設置されていた。 宍粟の山中でいくつも見たのと同じでステンレス製の立派なものだった。 我々のような山遊びをしている者なら目にすることもあるだろうが、 一般の人がわざわざ訪れることは無く、どういう意味合い、意義が あるのかは不明である。 登りに使った林道終点にも源流の看板があったが、 たぶんあちらは元祖で、こちらは本家だと思う。 林道終点に着。

こんなつまらないものよりももっといいものを発見。 この大路廃村はあかがね廃村と小さな尾根を挟んで対峙している。 ということは鉱脈がこちらにあっても不思議ではないわけだ。それらしきものはないかと 目をこらしていると、倉床川沿いに真っ暗な穴を発見。 奥行きが無いので試掘かもしれないし、縦坑が埋まったのかもしれない。 どちらにしても鉱石が採れたという歴史の証人だ。こちらのほうが私にはロマンを感じる。
林道沿いのほうがきれいだったりして駐車ポイントに着

大路廃村が見えてきました。林道から離れて廃村内を歩いてみる。段々になった石垣と 平坦地がいくつか確認できた。きっとそこは耕作地か家屋が建っていたのだろう。 その中で異彩を放っているのが鉄筋で出来た大きな東屋です。 四方に壁はなく、その屋根の下には焼き物が出来そうな煉瓦の窯があった。 週末にここで陶器などを焼くのだろう。

ご両親がこの大路出身だという方が現在も一宮町にお住まいで、自身(60歳ぐらい?)はこの大路では 育っていないという話をうかがったことがる。 ということはずいぶんと昔に廃村になったのかと想像する。 林道沿いにある坑道跡、紅葉などを見ながら駐車ポイントに着。14時40分。

今回のうちおく(銅山)の地図は こちら(約160k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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