三国岳

はじめに:このレポートは国土地理院発行、2万5千分の1
『大名草』を参照していただくようお願いいたします。

2007.12. 3.  日曜日  晴れ  気温ふつう
生野町史で知ったのだが、生野の最奥にある黒川には『七所庚申』なるものがあるらしい。 (石仏探訪の生野 七所庚申 にもレポートあります) 庚申の本尊は青面金剛であるが、現在までに本村(黒川ダムのあるところ)で一体、高路で一体見つけています。そして、そのいずれにも光背部分には『行司作』と 制作者名が彫られています。あと五体はどこにあるのでしょうか?そして残りの石仏にも『行司』の名前はあるのでしょうか? 考えるだけでなんだかワクワクしてきます(私だけかな?)。
本村にある青面金剛高路にある青面金剛

その気で探せば一日で結論が出るのでしょうが、こういうのは暇な時にじっくりと 遊ぶのがおもしろい。今回は長野でそれを探してみましょう。ついでに?三国岳にも登ってみましょう。 東の加美町側からならある程度の標高差もあるのですが、この長野側からだとあっというまに頂上に立てます。 それではあまりに素っ気ないので出来るだけのロングコースを設定します。

市川の支流である長野川に沿った一車線の舗装路を行く。最初にあるのが高路の集落だ。集落といっても 見える範囲で民家は2軒だけ。それも住んでいるのかいないのかわからないような雰囲気だ。 その民家脇に木造のお堂があって、そこに青面金剛がある。本村のものと比べると 細かい相違点はあるものの双子のようにそっくりである。これから行く長野にも青面様があることを祈る。
梅ヶ畑分岐にある山道と石仏

最初の計画では梅ヶ畑集落分岐にある山道から登るつもりだった。それは 梅ヶ畑から大外へ抜ける道として地形図に記載されています。この峠部分から 稜線に沿って三国岳まで縦走しようというものだった。この道自身がどんな道か 興味があったので楽しみにしていたのだが、今日は早めに切り上げないといけないために 登り口を変更することにします。

ここから行かないまでも、どんなものかと車を止めてのぞき込んでみるとなんと石仏があった。 地蔵菩薩だったがなにやら文字も彫られている。道標石仏のようだった。 『右 ・・・・  左 たん・・・』とほとんど読めないものの、左は間違いなく丹波だろう。

長野には駐車できるような所が見あたらないので集落の入り口にあるバラックの作業小屋に 寄り添うように駐車する。準備をすませてスタート(デジカメのタイム設定がリセットされていたので たぶん9時過ぎ)。ここ長野にも大外へ抜ける山道がある。その峠付近から 生野・青垣の境界尾根に乗っかろうというのが第二案だ。
歩き始めは舗装されていたちょっと大外よりに下った所に入り口

以外にも歩き始めは舗装路だった。すぐにダートになるが車も走れるダブルトラックだ。 したがってペースも速くあっというまに峠となる。周囲を探したが石仏などはなかった。 昔の山道を拡幅したために無くなった可能性もある。 峠から境界尾根に取り付くのは賢明ではない。ちょっと大外よりに下った所が入り口に なっている(地形図の594ポイント)。

低いのり面を登って稜線に立つと、三国方向には踏み跡がちゃんとある。それ以外にも 青垣峠へもきれいな道がある。 昔の地形図には記載されているのだが、 国道429からは見えないので無くなっていると思っていたのだが、見える範囲ではきれいなままで 山腹を下っていた。
予想外に良い稜線黄葉も残っています

ヤブはまったくない。しかも稜線の左右とも植林だと思っていたのに 雑木が多い。つまり路面は落ち葉フカフカで、周囲を見れば残った黄葉も楽しめた というわけだ。ただ、小さなピークがいくつもあって、おのおのに分岐があるので それを見誤るととんでもない方向に進んでしまう。

672ピークには新設の三角点があった。金属標の四等三角点で、 三角点の周囲は小さく伐採されている。北方向を見るとようやくこのあたりから粟鹿峰のピークが見える ようになった。帰ってから地理院のHPでこの三角点の情報を探してみたがまだ記載されておらず点名は不明。 そして次のピークが要注意。同じような道幅の四差路になっていてコンパスで要確認。
713付近が最高によかった山頂までは登り一辺倒になる

713は展望はないものの切り開かれて開放感がある。足元は膝ぐらいの高さでアセビが 生えています。行く手を見ると三国のピークも見えており頂上までもうすぐだと安堵感がある。 そして周囲には人の手によって植えられたような雑木が等間隔にあり、まるで なんかの果樹園の中にいるようだ。なんかのんびりとお茶したいなあ。
粟鹿峰と雲頂山馬の背にある鉄塔

ここからは登りっぱなしで息もあがりそうになる。最後の急登りをクリアーすると いきなりポイッという感じで頂上に飛び出る。たぶん11時5分頃。 三等三角点、標高855m。
三国岳山頂でお食事

到着してすぐに銅山に登っているOAPさんと無線が繋がる。しばらく話をして 昼食にとりかかる。その後、入相山から飯森山(神崎での呼び名は南山)へ向かっている TQFさんとも繋がる。つまみをグルグルと回していると2エリアも聞こえて、まあまあの コンディションだ。その山頂は東方向に切り開かれているが(昔はまったく展望がなかった)、 今日はひどいかすみのために近くの山しか見えません。 食事とコーヒーを済ませる。

準備をすませて下山をしようとすると三国峠方向から単独男性が登ってきた。 私は寒くてブレーカーを羽織っていたが、彼は半袖Tシャツで汗びっしょり。 千が峰へ行こうとしたがこちらに変更して青玉神社コースで来たという。 HPの宣伝でもしようかと思ったが、こちら方面はあまり来ないというのでやめた。
三国峠へ下る黒川ダムの風力発電施設

三国峠へ下る。加美町側は古い植林帯、鹿よけネットのある生野側は植林の幼木帯。 その向こうには生野の山々が見える。銀山湖のそばにある法道寺山は異様なほど尖っていた。 そして最近動いているのを見たことがない黒川ダムの風力発電施設。

『播磨おどり場』、『御手洗池跡』という平坦地が頂上直下にある。加美町にある 青玉神社は昔、この三国岳の山頂にあったという。私自身は見ていないが 青玉神社にはこの『播磨おどり場』、『御手洗池跡』のある平坦地に神社があったと記載された 看板があるらしい。のぞき込んでみるが現在は杉がびっしりと植わっている。
峠から右へ

三国峠へはほとんど直線でゆるやかな下りが続いている。 当然だがMTBだったら全乗りのコースだ。 峠に着く。時間は不明。唐松の茶色で小さいV字の針葉が地面にうっすらと積もっており、 空中にもまるで雪のように舞っています。ここから正面の稜線を行けばマタニ山から千が峰へ。 左に下れば山寄上、あるいは青玉神社。私は当然右へ。

この三国峠は加美町側から見ると朝来にある青倉神社への参道でもある。 三国峠から長野、登山口に利用した林道で大外、さらに本村から黒川ダムに沈んだ 谷道を登って(ダムの周回道路の脇にもあおくらを示す石仏あり)青倉神社へ・・・。 にわかには信じられないが 青玉神社の登山道を行くと山には入る手前に小さな石の道標がある。それには 『右 あおくら 左 うめが坂』とあるのです。

青玉神社の祭神は天戸間見命(天目一箇命)という一つ目の神様。これは何を示すかというと 鍛冶(金属・鉱業)が盛んだったということで、鍛冶の火花や、鉱山の手堀の際にタガネが出す石のかけらで 目をやられて一つ目になるという意味合いです。 その青玉から目の神様である青倉へ参道が続いているというのも何かの符合でしょうか。 さらに、同じように頭に『青』の文字があるのも意味深です。
谷沿いの小径植林に入りました

パラパラと降り注ぐ唐松の針葉が首から背中に入るとチクチクと痛い。 峠からの下り道ははじめはちょっと崩れかけた箇所もあるが、植林に入ると 快適な道となる。右手奥に伐採斜面が見え始めるとまもなく林道との出合いだ。
林道終点に降り立つ

長野川には昔は丸太の橋があったが今はない。それを越えると林道の終点だ。時間は不明。 今回とは逆にこのコースで登ろうと思ったら、この林道の終点から左に向かうべし。 正面に明確な道があってそちらへ引き込まれそうになるが間違いです。 渡るべき川には橋は無くなっていますが岩の上に目印となる小石のケルンがあった。
静かな長野の集落おじいさんに教えられ

林道の開始箇所、つまり集落のはずれには一軒の家がある。昔は『三国山荘』と 看板がかかっていたように記憶するが、現在では個人の所有となっているらしい。 まったく静かで物音一つしない長野だ。時間はたぶん1時過ぎ。

二軒ある家のひとつにおじゃまする。おじいさんにお話を伺うと、大外には昔学校があって、 (429沿いの小さな空き地に学校跡と書かれた標識が道路から見えるが、こういう顛末に なるとはわからずだったので写真に撮らず)梅ヶ畑とこの長野から 大外へ向かう二つの山道はその通学路だったという。もちろんおじいさんもそれで学校に通っていたらしい。 それぞれの峠には名前は特にないらしい。

肝心の用件を聞いてみた。すると集落のはずれ西側に小さなお宮があってそこに石仏があるという。 「庚申の青面金剛ですか?」「そんなんはわからん」では実際に見てみましょう!!
間違いなく行司作の青面金剛

道からは見えないようなアングルでお宮はあったが、おじいさんの指さす方向に歩いていくと すぐにわかった。その手前にある小さな石仏をのぞき込む。 それは紛れもなく青面金剛、しかも『行司作』と銘もある。 本村のものと比べると傷みはそうとうにひどいが、なにより無事に残っていてくれたのがうれしい。

おじいさんもこの石仏の由来はわからなかったが、残りの調査で少しでも明らかになれば うれしい。 満足感に浸りながら長野を後にする。

今回の三国岳の地図は こちら(約160k) でごらんください。

それじゃあみなさんも「山であそぼっ」(^o^)/~~~


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